10年前、私は何に対しても、過去を持ちだして、ある程度の道標になりそうなものを引っ張ってくるようにしようと決めた。
 例えば、何かを失敗する前に何かを用意するようにだとか。
 出かけるときになって部屋の鍵を探すのは、いつも同じ場所に置いておかないからだ。
 だから、玄関先に隠して置くのもよし、常にいつも使っているボストンバッグに入れておくのもよし。
 失敗する前に、処理してしまえばいい。
 失敗する前に、準備をしておく。
 そうすれば、問題ないのだ。
 なんでもかんでも、それができたらいい。
 だけど、なんでもかんでもできることは、限られているのだということを知った。
 
 いつどこで、何を失うかわからない世の中で、何を失うのかもわからないのだから、下準備もできない。
 あとになって後悔するのは良心がそうさせるのか、それとも、ああ、やっぱり自分はそういう人間なのだと落胆するからなのか。
 10年前、私は二十歳を前にして、できるだけ後悔することがないよう、なるたけ節度を持ち、誠実であり、正直でいようと心がけることを決めた。
 でも、10年前の私は二十歳そこそこで、二十歳そこそこの人間が持つ過去の教訓など、30代、40代からしてみれば赤子の失敗談に過ぎない。
 ここ10年で私がこぼしてきたもの、失ってきたもの、手を離してきたもの、見逃してきたものを振り返ってみた。
 手に入れたものに比べて、なんと多いことか。
 私の部屋からは桜の木が見える。
 緑に茂り、陽光を弾いて、風に揺れている。15年前から。
 だけど、もうその木がピンク色に輝くことは、もうない。切られてしまう。
 中央分離帯をひく程に広げようとする場所に、桜の居場所はない。
 とうに現役を退いた、父の旧友の家も消えた。
 優しい笑顔で、もう捨てるからあげるよといってコロッケをくれた店長のコンビニも消えた。
 一度も私を見上げてしっぽを振ることはしなかった、クマの飼い主の薬屋も消えた。
 薬屋の隣の鳥屋も消えた。
 若い夫婦が懸命にやりくりしているケーキ屋も消えた。
 交通事故が多発している複雑な形をした交差点前に建つ家も消えた。
 若い人達が多く働いて賑やかだった新聞配達の事務所も消えた。
 記憶の片隅をたどれば、まだたくさんある。
 恋人と通った焼き鳥屋も、古本屋も、八百屋も、酒屋も、消えた。
 私が住むアパートも、政府から立ち退き状がきた。
 古いなりにも分譲であるし、多くの住民が反対した。
 結局、建て替えは決まったが、新たに建てられる予定のマンションに継続して住むかどうかは任意になった。
 私はこの町を出るつもりはない。
 かといってこだわっている程でもない。
 何も持ってないですから、と大手を振って町を出ていくほど、私は奔放ではない。
 だけど、形のないものが忘れられないから、なんてこと、気心しれない相手以外に言える言葉じゃない。
 震災があって、何日たっても、何週間たっても、何ヶ月たっても見つからない大切な人のことを、「早く帰ってきて」と願う気持ちに似ている。
 あかの他人にとって、それがただの腐った肉塊にしか思えなくても、その人達にとっては、何にも代え難い大切なものなのだ。
 ほぼ原型を保っていない我が子を、死臭漂う安置所の中で、唇を落としながら抱きしめた母親の気持ちが、少しだけわかる。
 大切なものは人によって違う。
 後ろ指を指されて、恥ずかしいと思うものは大切なものじゃない。
 矜持も、正義も、見栄だって捨てる。何が絶対かだなんて、誰かの眼鏡が測るものじゃない。
 改修工事をしている間、どうしようかと思う。
 私も年をとった。
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