久しぶりに学生同期の人たちと銀座で飲む。
パパやパパ候補やただのヤリチンもいて、彼らの幸せぶりや軌跡を垣間見て、純粋に喜べる私は友達に恵まれているなと思う。嫌いだったらそう思わないからね。
仕事でトラブルがあってもオフには持ち込まない精神的な強さも
コブツキになってにじみ出てくる大黒柱の貫禄も
同棲生活の果ての結論を誰にも委ねずに自分1人でひねり出すブレなさも、私にはまぶしく映る。
大人の男たちが手にする酒は、とても似合っていると思った。
大会1週間前に全日本フィギュア選手権で浅田真央が出場するというニュースが届いたとき、やっぱりそうかという関心より、やはり人間ていうのは強い生き物なんだな、という感心だった。
母・匡子さんの死の知らせを飛行機で聞かされたとき、真央の頭に引退の文字は過ぎらなかったのだろうか。
23日付、男子SPで驚異的な数字をたたき出した、真央の恋人・大輔。
立ち上がりの場面、4回転3回転のコンビネーションを決め、なみはやドームの会場を一気に沸かせた。
アクセルを跳ぶとき、彼の脳裏にあったのは一体なんだったのか。
人間には、火事場の馬鹿力があるというのはよくある話で、これは2つの場面で発揮されるらしい。
1つは、恐怖心にあおられて、絶望的の状況下で発揮されるもの。
1つは、自分以外の誰かのことを強く思ったとき、どうにかしてあげたいと祈ることで発揮されるもの。
状況と出来事がうまい具合につながって、それが都合のよい結果論としか受け止められないこともあるけれども、私はそれを「祈りの昇華」として飲み下すほうが好きである。
あなたが祈ってくれたから助かりましたと、祈りが通じてよかったですと、そういう思いの積み重ねが、なんとか生きていくための糧になってる人は多いかと思う。
今年は震災があったから、祈りだけではどうにもならないことがあって、きれいごとでは済まされないということを私たちは学んでいる。
本でお腹は満腹にはならないし、遅すぎた毛布は二度と体を温めてくれない。
薪は永遠の火を約束してはくれないし、水たまりの水は飲めるかどうかわからない。
祈りでどうにかなるわけではないし、祈りが通じることもない。
それでも祈りの昇華を願わずにいられないのは、私がきっとみみっちい人間だからなのだろう。
うまい具合に都合よく幸運をつなぎ合わせて、なんとか手繰り寄せて、今を生きる。
うまくいかないときは発散すればいいのだ。
野田総理をうんこと固有名詞に登録して会社を辞めようが、会社のLANにあるデータをすべて消去しようが私の自由であり、権利なのである。
今日も平和である。
PR
COMMENT