久しぶりに(おいしくない)酒をしこたま飲んで電車に乗り、岐路につく。
空き地に猫がいた。野良猫の集会かとおもったが、どの子も人懐こく足にすりつく。
酔っ払いが猫とじゃれる図はよくあるもの。
帰ったらよく手を洗えばいい。迷惑がられるほど撫でまくる。
深夜にもかかわらず、どこからか、か細いロケット花火の音がした。
小さな子どもなのか、若者なのか、楽しげな声が風に乗る。
「おんまえ、浴衣ちょー似合わねえんすけどー」
「てめえに言われたくないんですけどー、ぎゃはは」
大きな事件があると、それ以前のできごとの記憶が薄れゆくのは、年をとるごとに増していく。
祖母が死んでからもう2年は経っている。それより前のことは?
被災地に「思い出の品倉庫」が創設されてから、来訪の足があとを絶たないという。
最初の1~2か月は、一縷の希望だった。
だから、安置所にも行かないし、物品の保管所なんて用もなかった。
その後の3~5か月は、思い人への安寧の祈りだけだった。
どんなものでもいい、焼け焦げた写真の端切れだっていい、どうにかしてつながっていたい。
時間を戻してほしい。
そんな思いが、思い出の品倉庫に漂っている。
震災当時、地震速報のアナウンスを、スタッフと順番に打ちながら
町が渦巻に呑まれていくのを震えながら見た。
打ち間違えたらどうしよう、お願いだからテレビを見ていてほしい。
これは現実か。
遠く離れたアフリカ大陸の飢餓問題や中東の戦争中継でもない
わが国で、今、起きているのか。
スタッフが震えながら携帯の番号を打つ。繋がらない電話に、口を押さえて涙をこぼす。
平和呆けは本当に恐ろしい。この年頃になれば、私たちは少なからず、人の死を経験したはずだ。
何かを見て、何かを理解したつもりでいると、こういうツケが回ってくる。
狭心の痛み月一程度に感じる。健康診断でいつかひっかかるだろう。
だれもが必ず、順番を待つのだから、ちょっと早かったからって騒ぐこともないという主張があるが
たぶん、それは強がりでしかないのだろう。
そうやって「見ない」ことで保身に回らないと、やっていられないのだろう。
知らないことは罪なのだろうけど、罪を背負わないと生きられない人もいるだろう。
そんな人たちを責めることは、きっとできない。
彼らの中にはきっと、誰よりも自分のことを責めているから。
許してくれますかと猫にきくと、返事もなく闇に消えた。
そりゃそうだよな、服についた毛を払いながら踵を返す。
「てめえ、サイズ合ってねえんだよ」
「ばか、おま、こっち向けんな」
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