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カテゴリー「sunrise」の記事一覧

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東雲のきみは 5 終

 ホテルに帰る前に、郵便局に行ってスガノくんに電話をかけた。小包の届いた報告をしようという口実を作ったが、本当はそんなことはどうでもよかった。昨日会っていたような気安さで、おやすみ、だとかまたな、だとか言って欲しかった。母のように、兄のように、あの人のように。
 「ああ、届いたんだ、よかったな」
 受話器の向こうで聞きなれた声は言う。ありがとう、私は言う。
 「ずいぶんかかったみたいだけど、平気だったんかよ」
 「うん、なんとかね。ほかの旅行者に頼ったり」
 とっさに嘘をついた。私の言葉をさえぎって、スガノくんは思い出したように言う。
 「そうだ、おにいさん、帰ってたよ」
 「え?」
 ずらり一列に並んだ電話では各国の旅行者たちが受話器を握っており、飛び交うフランス語や英語から彼の言葉を抜き取るために、受話器に耳を痛いくらい押し付ける。
 「何て?」
 「友達に電話かけようとして、間違ってあんたんちかけちゃったんだよ、指が勝手にさ。そしたらおにいさんが出た」
 「それ、いつごろ」
 「一週間くらい前かな。あれ、帰ってるんですかって思わず言っちゃって」
 「それで」
 後ろの窓口で局員が数える紙幣の音も、天井にはりついたプロペラの音も耳障りに思えた。この電話だけ残してすべての回線がショートしてしまえばいいと願いながら受話器の声を待つ。
 「ああ、帰ってきてみたって言ってた。今度は下がいないよって、笑ってた。あの感じで。それだけ」
 あの感じとスガノくんが言うのは、ため息を漏らすような兄の笑い方のことだ。すぐ目の前で、かすかな息を漏らして兄が笑っているように思えた。
 「帰ってきてみたってことは、またすぐどこかに行っちゃうってこと?」
 「さあ、そこまではちょっと」
 スガノくんにしつこいくらい礼を言ってから、もう一度国際電話申し込みの列に並びなおし、自宅に電話をかけた。だれも出ず、呼び出し音が執拗に繰り返される。暗い廊下の突き当たり、古びた木製の上で鳴り続ける電話機が鮮やかに思い浮かんだ。それをじっと聞いている、食堂のテーブルやキッチンの調理器具たち。二十回コールを鳴らして諦め、私は郵便局をあとにした。

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東雲のきみは 4

 私の名前が書かれた小包が届いたのは、二十日ほどたった日のことだった。端がつぶれ、泥がつき、ところどころへこんだ小さな段ボール箱が、ここにたどり着くまでにどうしてそれほど時間がかかったのかはまったくわからなかった。毎日顔を合わせていた郵便局の女は、小包を見つけて思わず声をあげた私を見、安心したように微笑んだ。
 快い重さの小包を手に郵便局を出、宿に帰るまで待ちきれずに石段に腰かけて蓋をあける。ニ、三冊の週刊誌と、厳重に包まれた封筒、瓶詰めの梅干、それと手紙が入っていた。乱暴にそれらの押し込められた小包はまるで待ちに待ったクリスマスプレゼントのようで、いったい何から手に取っていいのか放心してしばらくそれを見つめた。封筒の中に頼んでおいた無記名のトラベラーズチェックが入っていることを確認し、同封されていた手紙を見る。輪ゴムで束ねられた私宛ての手紙はダイレクトメールがほとんであったが、数枚ほどあった。蓋を開けた小包を膝に抱え、留守中我が家のポストでじっと息を潜めていた手紙に目を通していく。
 結婚しました、という写真入りの葉書があり、夏物のバーゲンセールのお知らせがあり、結婚相談所の案内書があり、よく行っていた美容院からカットの時期を教える葉書があり、芝居の案内があった。どれも私から等しく遠く、私のいない見慣れた場所で、結婚式やバーゲンセールや芝居が開催されていると思うと不思議だった。一番最後に兄からの葉書が一枚あった。いつもと同じように、元気でやっているとかなんとか、簡単に書かれている。田んぼで素っ裸の子どもが遊んでいる絵葉書だった。葉書に押されたスタンプは私の行ったことのない土地のものだった。私と同じように今どこかをさまよっている兄の葉書すらも、偽の小道具みたいに感じられた。額からこめかみへ一筋流れた汗を拭い、もう一度最初から手紙を眺めていく。
 ベッドに腰かけて小包を開けたり閉めたりし続け、夕方、一万円のチェックをもって両替に行った。一枚の紙切れは数枚ものしわだらけの紙幣と交換され、その束を手にしたとたん気持ちが華やいだ。思い切り散財したくなった。いつもはその甲高い鳴き声で私を苛立たせるサジタの鳥も、かわいらしくさえ思え、籠に顔をつけて鳴き声を真似てみる。この原色の鳥にサジタはトーくんと名前をつけ、しかし一向に慣れず、言葉をしゃべる兆しも見えないのに毎日話し続け、パンくずをまいてやっている。名前を呼びかけると鳥籠の隅に避難し、パンくずの中にじっとうずくまる。

東雲のきみは 3

 目覚めるとサジタはいなかった。部屋の片隅にロープがはられており、見慣れないTシャツやらボクサーブリーフやらが干されている。しっかり絞りきれていないそれらは水滴を床に落としていた。二人で一部屋を借りるのは案外楽なのかもしれないとおもいながら、便箋をテープでつなぎあわせる。「お金をなくしました。一銭も持っていません」そこまで書き、少し考えてから「住所を教えてくださればあとできっとお返しします。いくらかでも貸してください」とつけたした。そうつけたさずにはいられない中途半端な良心とプライドに苦笑した。今日郵便局に行き、小包が届いていなければ、日本企業のビルの前で立つつもりでいた。そして小包は届かなかった。
 街の中心街から小一時間歩くと、近代的なビルが数軒建つ一角がある。そのあたりの路地はバイクも通らず、敷地内には高級車が並んでいる。看板には日本で見慣れたいくつかの社名が並び、どのビルの前にも警備員の個室がある。大きな木の根元を選び、腰を下ろして紙を広げた。ビルからはだれも出てこず、天秤棒をかついだ女がときおり通りかかって、木陰に坐る私をちらりと見て通り過ぎていった。内臓が腐り始めるのではないかと思うほど暑かった。Tシャツが腋の部分から徐々に湿っていく。太陽をぎらぎらと反射させる背の高いビルを見上げ、背後を見渡す。道路を隔てた反対側には店が並び、日本語の看板を提げた店が数軒った。暑さをまぎらわせるために店名を口のなかで読み上げていく。さくらとうきょう、親子丼、冷やしそば、ランチメニュウ、ラーメン、……読める文字を探していただけなのに、私の目は次第に食べ物ばかりを追っていて、気がつくと口の中は唾液で満ちている。

 天秤棒をかついだ女が通り過ぎようとして足を止め、近づいてくる。三十なかばくらいだろうか、藁の帽子を目深にかぶり、白い歯を口元からのぞかせてしきりになにか言いながら籠のなかを見せる。天秤につられた籠の中には、白い卵がぎっしり入っていた。女の歯のようにきれいに並んだ卵の表面は、すべすべと美しく、唾を飲み下す音が自分の耳に届いた。女は私の前にしゃがみこみ、食べろ、買え、としぐさで言う。表情の豊かな女だった。陽に妬けた顔いっぱいに笑顔を見せたり、唇をとがらせてすねた表情をつくって見せたり、瞬時に変わるそれらはしかしあどけなく、まだ若いのかもしれないと思う。お金を持っていないのだと首を振るのにもかまわず、女は籠の中から卵を一つ一つ取り出し、朝方の鳥に似た調子でしゃべりまくる。まるでいやがらせのためにわざとそうしているのではないかと曲解してしまうほど執拗に、女は卵を見せびらかす。全部のポケットを裏返して見せ、面倒くさいので日本語でお金がないと繰り返した。ようやく納得したらしく、彼女は大事そうに卵を籠にしまっていく。立ち去るかと思ったが、彼女は私の隣にゆるゆると腰を下ろし、額の汗を拭い笑いかける。私も愛想笑いを浮かべた。休憩のつもりなのか、女は天秤棒を傍に下ろし、紙袋から笹の葉にくるんだものを取り出して食べはじめる。横目で眺めると女が食べているのは握り飯に似たものだった。ふたたび口の中に唾液がたまり、女に聞こえないようにそれを飲み込んだ。


東雲のきみは 2

 一日一食、ミネラルウォーターの大瓶だけ買っていれば、小包が届くまで過ごせそうだった。幸い日中には食欲がなく、今までうんざりしていた暑さに感謝した。夕方まで部屋にこもり読み飽きたガイドブックをめくっていたが、陽が落ちるとさすがに空腹を感じる。一日使っていいだけの金額をポケットに入れ、部屋を出た。相変わらず廊下には不気味な雰囲気が健在で、大柄な男のうつろな目も必ず私をつかまえた。
 薄闇が包みはじめる路上は、街の住人たちと列をなす観光客と、観光客をあてこんだ土産物屋や物乞いたちであふれ、数え切れないバイクの噴出す排気ガスを吸いながらその合間を縫っているうち、熱気と空腹でめまいがしてきた。額から汗がにじんでくる。それが空腹のためなのか、蒸すような暑さのためなのかわからないままTシャツの裾で拭う。
 通りかかった路地からごま油の香ばしい香りが流れてきて、路地をのぞきこむと銀色の大鍋を置いた屋台が見えた。なだれこむように屋台の椅子に腰掛ける。隣で食事をしている人の手元を見ると彼が食べているのは汁そばだった。愛想良く注文を取りにきた主人に隣を指し、同じものをと頼む。路地はほかのところと同じく、薄汚く、きつい小便の匂いと汚水の匂いがただよっていた。屋台を取り囲むようにして並べられた小さなテーブルはべたべたしていて、麺の入った器は茶渋がこびりついたような色だった。それでもその汁そばはおいしかった。夢中で食べ、差し出された冷たいお茶を一気に飲む。
 後ろから背を叩かれ振り向いた。そのまま箸を握る手を止め、自分の目の前のものを思わず凝視した。そこにいるのが物乞いだとわかるまで数秒かかった。ぼろきれをまとい、ただれたような目を私に向ける中年の物乞いだった。彼には両脚がなく、片腕がなく、こちらに向けた顔一面にはできものがあふれ、キャスターをつけた板切れにうつぶせに乗り、一本の腕を私の足元に伸ばしている。有無を言わせない男の視線に、弾かれたようにポケットを探り一枚の硬貨を手渡した。男は礼を言わず、当然のようにそれを受け取り首から提げた入れものに押し込む。それきり私と目を合わせることなく、サーフボードに乗るように片腕で地面を滑らせ彼は路地から出ていった。わずか数秒のことだった。唖然として彼を見送り、あわてて汁そばに目を落とす。食事中の客たちはさっきと同じようにそばをすすり続け、今物乞いに手を差し出されたことも金を渡したことも、一瞬の空想のように思えた。けれど目の前で湯気をあげる汁そばの表面に、目に焼きついたばかりのできものがふつふつと浮き上がってくるように思え、箸を口に運ぶ動作が重くなる。

東雲のきみは 1

 日本がただぬるいという自覚が足りなかった。ここはよその国であって、あれは闇為替だった。銀行などより断然いいレートを耳にして、男についていった。屋台で隣り合い、数時間話した男は私に紅茶をおごり、この国の人々や文化を語り、そうしてどこか恥ずかしそうな笑顔で両替の話を持ち出してきたのだった。そこからはマジックだった。男がなぜそんなレートで両替できるのか私に納得させ、私を路地裏につれていき、なんのためらいもなく日本円を出させた。男は束になったこの国の紙幣を私の前で数えてみせ、今ここで確かめろと言う。金を受け取り、数えようとすると一人の子どもがまとわりついてきた。煙草を一本くれ、ガムでもいいとたどたどしい英語を連発しながら私の足に触れ、子どもに注意を払っている隙に男はいなくなった。子どもを追い払ってから束を改めると、表面だけ本物で中身はすべてただの紙切れだった。冗談みたいだった。一人残された路地裏で、紙の束を手に、私は呆然と立っていた。呆然としながら心の隅で、見事だったといやに素直に感心していた。
 きしむベッドから下り、汚れた壁の落書きを爪でこする。こすりながら気付いたが女のへたくそな裸体の絵だった。ぱらぱらとそれの表面ははがれ落ち、女は半分姿を消す。残りの金で、多分あと十日なら暮らしていける。食費を切り詰めればもう少しいられるかもしれない。どのみち、人の良さそうな闇両替に持っていかれなくてもせいぜい有り金がもったのは一ヶ月くらいだろう。一週間も、一ヶ月でもそれほどかわらない。帰ればいいのだ。裸女の落書きを爪でこすってすべて消してしまい、ベッドに並んだ紙幣に一瞥をくれて部屋を歩きまわる。ねっとりと部屋に充満した空気をかきわけている気分になる。交換していないだろうシーツ、古びた机、開け放たれた小さな窓、せまいホテルの一室を確かめるように埃だらけの扇風機は首をまわす。
 空から下を見下ろした。すぐ隣には電気会社の看板をさげる崩れそうなビルがあり、真下の路地には麺類を食べさせる屋台が一軒ある。帰ればいいのだと、心の中でもう一度つぶやいてみる。痩せ細った野良犬が屋台に近づき、日陰を見つけてごろりと横になる。帰ればいいのだ、呟き続けていたその一言はいつのまにか、帰るのか? という疑問系に変わっている。
 ばらまいた紙幣をもう一度数えようと手を伸ばし、思いなおしてそれをしまった。硬貨だけをポケットに入れて部屋を出た。だれに訊いてもこの街で一番安いと言われている、このホテルと言いがたい宿は、古く巨大で、廊下に足を踏み出すたびにぎくりとする。すりガラスをはめこんだ木製のドアがずらりと並ぶ細い廊下は迷路のようにあちこち曲がりくねっていて、窓もなく、人の気配もまるでない。切れかけた蛍光灯が点滅を繰り返しながら照らす廊下の先は、見たこともない場所へ続いているような気がした。床板は踏みしめるたびぎしぎしと音をたて、ところどころはがれていたり湿っていたりする。薄暗い階段を下りていくと、途中に体格のいい欧米人が背を丸めて座り込んでいる。太い指を不器用そうにあやつって、小さなパイプに詰め物をしている。横を通るとき彼は顔を上げ、ぼんやりした声でハローと言い、ただれたような笑顔を見せる。人間の心を覚えた、悪魔の使いか何ものかのようにみえたが、返事をするのに戸惑わなかった。
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