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更待月

 電話で話していてもナカニシくんが何を言っているのかさっぱりわからず、とりあえず今会おうよ、と私は強く言っていた。渋っているみたいだったが、根負けしたのか、結局会うことになった。会うことになったはいいが、時間を確認すると深夜一時近くで、ナカニシくんちとうちを結ぶ電車はもう終わっている。それで、双方二十分ほど歩いた場所にある、青梅街道と環状八号線の交差点を待ち合わせに決めて私たちは電話を切った。
 外に出るのは久しぶりだった。仕事は一週間も休んでいたし、毎日食欲もなく、冷蔵庫の残りものを一日に一度やっと食べるくらいで、買い物にもいっていなかった。
 東に向かって歩く。行き来する車はまばらで、歩いている人は私以外にだれもいない。ときおり、コンビニエンスストアの看板が、手招きするような明るさで点灯している。
 サトルと会ってのち、本格的に体調を崩した。あの日は家に帰るなり、食べたものも飲んだものもすべて戻して、熱さましの薬とアルコールのとりあわせが悪かったのだろうと思ったが、翌日になっても、その次の日になっても、食べたものは全部吐き、おなかもこわれたまんまで、熱もずっと下がらなかった。起き上がるのすらつらくて、毎日ずっと寝ていた。同僚から電話がかかってきて、いっしょに病院にいこう、と申し出てくれたが、丁重に断った。
 ひさしぶりに外界を歩くせいで、やわらかいものを踏んで進んでいる気がしてしまう。待ち合わせ場所が見えてきて、ラーメン屋の明かりの下、両親に置いていかれた子どもみたいにしょんぼりと立っているナカニシくんが見えた。体格の良さがかえってそれを顕著にかもしだしていた。
 洋子さんに彼氏ができた、とナカニシくんが言うから、いったいどういうことかと訊いたら、洋子母が以前言っていた、送り迎え専用の男のことを彼は言っているらしい。深夜のラーメン屋で、ナカニシくんと隣り合って座り、ようやく私は理解する。
 「それねえ、昔でいうところのアッシーだよ。洋子ちゃんのおかあさんがそう言ってたもん。関係ないよ、そんな男」
 ラーメン屋は空いており、金髪の若い店員は真剣な表情で私たちの頼んだ餃子を焼く。カウンターの一番隅で、背広姿の中年男がやっぱりマンガを読みながら、ちびちびとビールを飲んでいる。
 「うーん、なんか、もういいんす。関係なかろうが、あろうが」
 ナカニシくんはやけにしずかな声で言い、私のコップに瓶ビールをついでくれる。以前洋子の部屋で、ナカニシくんと私と洋子の三人で鍋をつついていたときにも感じていたが、ナカニシくんは女の仕事をことごとく奪う。
 「何よ、それ。本当だよ? その車の男はさ、洋子ちゃんの恋人じゃないんだよ」
 「そうなんだろうけど……いや、こないだその男に送ってもらったすよ、ぼくも」
 ナカニシくんは自分のコップにもビールをつぎ、上下する金色の泡をしばらく見つめている。
 「なんでよ、それ」
 「洋子さんに呼び出されて、何人かで飲んで、それで、そいつが車でみんなを送ってくれて。あ、電車終わっちゃったんで。それで、ふたりの話しかたから、この人たちは付き合ってはいないんだろうなーって思ったんだけど、なんか、もうどうでもよくなっちゃって。そういうの」
 「何それ、全然わかんない、どうでもよくなったって何」
 私の出した声は思いのほか大きかったのだろう、背広男が顔をあげこちらを見ているのが視界の隅に映る。私は口を閉ざす。ちいさな音で昔のロックが流れている。はい、おまちぃ、低く言って金髪が餃子の皿を私たちの前に素早く、しかし静かに置く。餃子にラー油をたっぷりつけ口に運ぶ。何日かぶりに食べる人間らしい食事に、さっそく吐き気がこみ上げてきた。しかし手をとめない。
 「その男が、洋子さんを好きなのはわかるんす。洋子さんは素敵だからそりゃ好きになるだろうとも思うし。そんで彼は、まあ、いつか恋人になれるんだろうって思ってるんすよ。最初ぼくがそうだったように。送り迎えとかしたり、たのまれたことやってるうちにきっと今よりしたしくなれるんだろうって、思ってるわけっす」
 「ナカニシくん、餃子うまいよ、食べな」
 私は言う。ナカニシくんが洋子の部屋で作ってくれた水餃子といい勝負だ、言おうとして、やめた。ナカニシくんは言われるまま割り箸を割り、どうでもよさげに餃子を口に運んで、咀嚼しながら続ける。
 「でもさ、そんなことはなくって」
 「それで何? 自分を見てるようで嫌気がさしたの?」
 「ちがうちがう、そんなんじゃないっす。あのね、美奈子さん、その男ね、すっげえださいの」
 「ださいの?」
 金髪はカウンターの内側で、今度は私たちのラーメンを作り始める。器を用意し、麺を茹で始める。
 「ださいっていうよりも、なんでもないというのかな……ほんっとなんでもない男なんですよ。おれみたいに。車はトヨタで、バナナリパブリックのTシャツ着て、ストーンウォッシュいまどき入ってる? って心配させるようなジーンズはいて、話してると会話がワンテンポずれるの、髪が異様に濃くてさあ」
 私は笑った。あのナカニシくんがそこまで人のことをけなす言い方をするのだから。ナカニシくんもそこまで言って、ふきだしてしまう。
 「でもさ、彼は彼なりに、洋子さんに尽くしてるんすよ。で、それ見てたら、なんかさあ、この人を好きだと思って、この人のために何かしたいと思って、でも、いったいおれや彼に何ができるんだろうとか考えちゃって」
 「うーん、それで、さっき電話で言ってた、もうたぶん洋子さんに会わないって、どうつながるの?」
 私たちの前にラーメンの器が置かれる。茶色いスープに、半熟のゆで卵と叉焼がのっている。「うまそっすね」ナカニシくんは言い、私たちはしばらく無言で麺をすする。隅で漫画を読んでいた男は立ち上がり、会計をすませて深夜の町に出て行く。熱気を含んだ風が出入り口から一瞬吹き込み、すぐに店内に充満する麺の匂いにまぎれる。
 「うん、自分でもうまく言えない」ナカニシくんは麺をつかんだ箸を空中で止め、つぶやく。「なんでもない男がさ、恋人になろうってあれこれ努力してて、でもそんなの洋子さんには全部迷惑じゃないかって、気付いてたことを認めなきゃって思ってきて」
 「って、やっぱバナナリパブリックに自分を見たってことじゃん」
 「それでもいいっす。そういうことなのかもしれないっす。でも、思ったんすよ。人を好きでいるってどういうことなのかって。そしたら、ぼくやバナリパ男みたいにものほしげにうろついてんのってちがくないかって」
 ナカニシくんはそこで言葉を切り、ふたたびラーメンを食べはじめる。私もうつむいて麺をすする。にんにくのにおいで顔のまわりがいっぱいになる。私とナカニシくんの真ん中に置いてある皿の上では、餃子がもう冷めてしまって油が浮いている。私はそれになんとなく箸を伸ばし、餃子を口に入れ、入れたとたん後悔し、ビールで流し込む。ナカニシくんはビール瓶を傾けて空なのを確認し、ビールもう一本ください、とカウンターに声をかける。金髪のおにいさんが笑顔でてきぱきとビールを私たちの前に置く。それにこたえるように、ナカニシくんも笑顔で頭を下げながら、空瓶を金髪に手渡した。
 「物欲しげ」ナカニシくんの言葉をくりかえしてみる。「純粋に」ナカニシくんは私にビールを注ぐ。液体のなかで泡がゆっくり上下する。「何ができるか」
 「ひょっとしてこういうの、とんこつしょうゆ系って言うんですかね」ナカニシくんはそんなことを言っている。
 「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないね」私は適当に答える。しょうゆ系だろうがミソ系だろうが、とんこつ系だろうがバナナなんとかだろうが、純粋に好きだろうが不純に好きだろうが、そんなこと、実にすこぶる本当にどうでもよかった。
 私が呼び出したのに勘定はナカニシくんが払ってくれた。まだ夏のさなかだけれど、店の外に出ると一瞬、冬の深夜みたいなにおいが鼻先をかすめ、いったい自分がどこにいるのかわからなくなる。
 「ナカニシくん、直接会って話を聞いてもよくわかんないままだけど、じゃあ本当に、ナカニシくんは洋子を好きでいるのをやめるわけ?」
 言いながら、へんな言い回しだ、と思った。好きでいるのをやめる、なんて。
 「やめるっす」ナカニシくんは即答する。「もう会うこともないだろうし、連絡もしないだろうなあ。あっ、美奈子さん、こっちでしょ、近くまで送ります」
 いいよ、環八からタクシー乗りなよ、と言おうとして、気付いた。ナカニシくんが洋子に二度と会わないのなら、たぶん私と会うのもこれが最後なのだろう。
 「じゃ、送って」
 私は言って、ナカニシくんと肩を並べて青梅街道を歩きはじめる。トラックが轟音をあげて通り過ぎる。バイクが数台通り過ぎる。遠くコンビニエンスストアの明かりが見えるが、ほとんどの商店はシャッターを下ろし、電飾看板の明かりももう消えている。
 「ナカニシくんさ」歩きながら私は言う。「前さ、言ってたよね。あーだれかと話したい、酒飲みたいってどうしようもなく思ったときにさ、だあれもいなくて、アドレス探してさ、でも軽く電話できる相手がだれもいないなってときに、思い出してもらいたいって。君自身のことを」
 「うん」ナカニシくんは、掠れた声でうなずく。
 「洋子がそうなったらどうすんの? 放っておくの?」
 ナカニシくんは隣を歩く私を見下ろし、やわらかく笑う。
 「おれね、わかったんす。洋子さんはそうならない。夜半に無性に会いたくなるのは、おれとか、美奈子さんみたいな人種なんすよ。そもそも突然たまらなく人恋しくなる人だったら、ぼくらみたいな行動に……って、まあ程度の差はあるんだろうけど、ぼくらみたいなこと、なんかしらしてますよ。そうならない人だから、おれらみたいなのが寄っちゃううんすよ」
 「何その、ナカニシ理論。へんなの」
 私たちは街道を曲がり、ひっそりとしずまりかえった住宅街を歩く。まったく人通りがない。このままこの年下の男に変な気を起こされて、襲われる様を想像したが、何の感慨も沸き起こらず、きっとそれはナカニシくんも同じなのだろうと思った。やがて視界の隅にうつるナカニシくんの肩を、サトルの肩と重ね合わせてみたが、またしても感慨はなかった。一つ違うのは、切なさとは程遠い、情けないほどの虚実感だけだった。街灯に照らしだされた暗い道が、まっすぐどこまでも続いている。ところどころに、信号機の光が飴玉みたいに浮かんでいる。
 ナカニシくんはおそらく、交際もできないのに洋子を好きでいること、好きでいて、あれこれと彼女の欲求を満たしてやることに疲れたのでは、けっしてないだろうと思った。たぶん、自分自身に怖気づいたのだろう。自分のなかの、彼女を好きだと思う気持ち、何かしてあげたいという願望、いっしょにいたいという執着、そのすべてに果てがないことに気付いて、こわくなったんだろう。自分がどれほど痛めつけられたって、傷ついたって、体がつらいと悲鳴をあげたって、それがなんなのだと、じきに去っていくであろうバナリパ男を見て知ってしまったんだろう。
 「ストーカー同盟も解散、か」
 私は笑って言ってみたが、ナカニシくんは笑わない。何も言わない。横顔を盗み見たが、固まったままだ。私たちはしばらく無言で歩く。汗がしたたり落ちて背中を流れていく。細い川に橋が架かっている。橋から川を見下ろすと、黒い水面に街灯が映って揺れている。
 アパートの前まで送るとナカニシくんは言ったが、私はそれを断って、駅に向かう彼についていった。しずまりかえった住宅街の向こう、やがて暗闇のなかに沈む駅の看板が見えてくる。ロータリーに灯る街灯が夜を静かに白く照らしている。タクシー乗り場に向かってナカニシくんは歩く。
 「きをつけて」
 「ありがとうございます。美奈子さんもね。おやすみなさい」
 また会う機会などないだろうけれど私たちは言う。ナカニシくんは手をふる。その笑顔はなぜか無性に私を苛立たせた。
 「好きな女のために身を引くようなこと言っちゃって」離れていく後姿に向かって、私は気がついたら叫んでいる。「結局、毛の濃いバナリパ男に負けたんじゃないか。見返りがないのになんかするのが馬鹿馬鹿しくなったんじゃない。飽きたんだよ、好かれないのに好きでいることに。水餃子の皮こねても置いてかれるのがつらいんでしょ、我慢の限界なんでしょ」
 ナカニシくんはゆるゆるとふりかえり、私を見てふたたび笑い顔を作る。おいてきぼりの子どもの情けない笑顔。私はいよいよ啖呵を切る。
 「あんたの言ってることは全部きれいごとだよ! 手に入りそうもないから、涙呑んであきらめたんだって、正直に言えばいいじゃんか! 私はそんなきれいごとは言わない、みっともなくたって物欲しげにうろつくよ」ナカニシくんはタクシー乗り場にたどりつく。停まっていた一台がドアを開ける。私は唇を噛んだ。「べつになんにもいらないって言ってたじゃん! ずっと、ずっとツカイッパ要員のままでいいって!」
 ナカニシくんはタクシーに乗り込む。乗り込んで、ガラスを開き、大きく手を振る。タクシーは音もなく走り去り、
 「うるっせえ! よっぱらい」
 どこかの窓から私に向けたのであろう怒鳴り声が響き渡る。
 「だまれ!」
 腹の底から押し返すような声で私は一喝した。
 ふりむくと白く丸い月があった。
 帰る家を見失いいっしょにさまよっていると思ったもう一匹は、みずから場所をさだめてそこに去ってしまった。ああ。またひとり。これからたったひとりで、どんなにバカらしいことも無意味なこともやらなくてはならない。煩悩が目減りするようにと、月に向かってともに祈ってくれる朋友はもういないのだから。
 
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