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猿婿入り

 どうして私、こんな男と結婚しちゃったんだろう。ときどき、そう思う。
 あなたはそうやって、「贅沢だ」って笑うけどね。想像してみてよ。狭い部屋にサルみたいな顔の男と二人っきりで、窓から見える景色といえばただの真っ暗闇で、サルは今日一日に研究所であった出来事とかをひとしきり話して、それからおずおずと、「そろそろ寝ようか」って言うのよ? 息が詰まる。
 だいたい私、サルにだまされたのよ。
 真夜中に私のアパートに来てさ、「この花をきみに」って、水色の百合を腕いっぱいにくれて。
 「ぼくが開発したものなんだよ。もう少しで、梅の花の香りがする桜も完成する。咲いたら、またきみに一番に持ってくる」
 受け取った百合は花粉が金色で、花弁はセロファンみたいに薄く透けていた。
 サルは、出来たばかりの花を私に渡すために、タクシーを飛ばしてきたみたいだった。髪の毛はべっとりしてて、眼鏡なんて脂で曇ってるぐらいで、足元は毛玉の浮いた靴下に健康サンダルをつっかけてた。「ありがとう、じゃあね」ってドアを閉めたんじゃ、あまりにも冷たすぎるかしらと、仏心を出したのが間違いのはじまりよ。
 「上がってお茶でも飲んでく?」
 と訊いたら、サルはすごく嬉しそうに、顔を真っ赤にしてうなずいた。そしていそいそと居間のテーブルについたんだけど、サルが歩いたあとには、フローリングに点々と蒸気みたいな足跡がついたわ。すんごい脂性っていうか、蒸れ症っていうか、とにかくサルの足は凶器に近いの。
 それで私、「シャワー浴びたら」と提案した。べつに深い意味なんてなくて、真夜中に不潔たらしい男にお茶なんて出したくなかったから。
 私はサルに、着替えを押し付けたわ。「はい、これ。浅田くんの服で悪いんだけど」って。サルはオリーブオイルを垂らしたトマトみたいになって、ぎこちなくバスルームに消えた。
 いえ、残酷なんかじゃないわよ。頼まれもしないのに、浅田くんと別れてからも周りをちょろちょろと動き回ってるのはサルのほうなんだから。ふつう、友達の元彼女となんて疎遠になるものでしょ。それなのにちょろつくからには、はっきりさせたほうがいいと思ったの。「私はあんたのことなんてなんとも思ってないし、まだ浅田くんのこと忘れてないから」ってさ。
 こっちの言いたかったことが、サルに伝わったんだかわからない。とにかくサルは、ちょっとはさっぱりしてバスルームから出てきた。浅田くんのシャツはサルには大きかったみたいで、哀れなぐらいに貧相さが際立ってたけれどね。
 私はそのあいだに、お湯を沸かして、コーヒーをいれて、それから百合の花を足浴用の洗面器にいけた。しょうがなかったのよ、そんな大物を挿すような花瓶なんて部屋になかったし。
 サルは、洗面器に入った百合が台所の床に置かれてるのを見ても、べつに不満そうでもなかった。また居間の椅子に座って、「いただきます」とコーヒーをちょっとすすったわ。私はすでに、「もう帰ってくんないかな」と思いながら、サルの向かいに座ってた。
 サルも私も、話すこともべつになくて、ずっと黙っていたんだけど、そのうちサルが顔を上げて私を見た。
 「これからぼくが言うことに、『うん』って答えてほしいんだ」
 「いやだ」
 と私は言った。
 「いやでも頼むよ。友だちだろ?」
 「いつからよ。あなたはただの、別れた男の友人。私にとっては、いまやむちゃくちゃ遠いつながりだよ」
 「きみはどうして、そんな遠いつながりの男を夜中に部屋に上げて、シャワーまで使わせるんだ」
 と、サルは珍しく反撃してきた。「前から思ってたけど、きみはちょっと隙がありすぎるっていうか……。そんなだから、浅田みたいな男に引っかかって泣くはめになる」
 「余計なお世話」
 と、私は憤然として言ったわ。「浅田みたいな男、って、あんたその浅田と友だちじゃないの。なに言ってんの」
 「ぼくは浅田と愛を囁いたり囁かれたりする間柄じゃないから、あいつがどれだけろくでもない男でもべつに関係ない」
 「私だって、愛を囁いたり囁かれたりなんかしなかったわよ!」
 「そうなの?」とサルは言った。「殺伐としてたんだなあ」
 愛の言葉なんてなくても、私たちはしっかりいってたんだと説明するのもバカらしくて、私は心のなかで、「死ねサル」と百回ぐらい唱えた。
 「明日も仕事でしょ。もう帰ったほうがいいんじゃない」
 「まだ話が終わってない。というか、はじめられてもいない」
 「早いとこはじめて、ちゃちゃっと終わらせてよ」
 「ぼくもそうしたい。だから、これからぼくが言うことに『うん』って答えてほしいんだ」
 真っ白くて細い蛇が胃のなかでのたくってるみたいに、むかむかしてきた。
 「その前提条件を変えて。話が前に進まないじゃない」
 「わかった。きみはなにも言わなくていい」
 とサルは言った。「なにも言わずに、ぼくと結婚してくれ」
 三本の箸を一膳と数える国の人と食事をともにしたって、あんなに呆気に取られはしなかっただろう。言葉が出なかった。
 「な……な……」
 「うん、何も言わなくていいよ」
 とサルは言った。「実はぼく、もうきみとの婚姻届を提出しちゃったんだ」
 「なにそれ!」
 私は驚いて、テーブルを力任せに叩いたわよ。「そんなの私、書いてない!」
 「きみ、自分の欄を記入した婚姻届を、浅田に突きつけたことがあるだろう」
 たしかにあった。「そういうの、やめたほうがいいな。せめて別れるときに取り返すべきだ。浅田が『いるか』って訊くから、『いる』って言って五万で買っちゃったよ」
 「ろくでもない」
 「まったくだ。ああいう男には気をつけないと……」
 「主にあんたのことを言ったのよ!」
 詐欺みたいねって、まさに詐欺だったんだってば。言ったでしょ、サルにだまされたって。
 私は必死に、そんな結婚は無効だと主張したわ。だけどサルは、半分ぐらいに減った冷めたコーヒーに、いまさらいくつもミルクを入れながら、
 「でもねえ」
 と言うのよ。「無効だと証明するのは、なかなか面倒だと思うな。婚姻届はきみが書いたものに間違いないんだし、ぼくと浅田とのあいだで金銭の授受があったことを証明するものはなにもないし。とりあえず、ぼくと結婚しちゃえばいいと思うよ」
 「とりあえずもくそもないわよ」
 私はほとんど泣きそうになってた。「なんであんたと結婚しなきゃならないの」
 サルは腐った泥水みたいな色になったコーヒーを飲み干して、つらそうに顔をしかめた。
 「とりあえず、って言っただろ。詳しいことはまだ言えないんだけど、ぼくは今度、転勤することになった。それがちょっと遠い場所でね。ぼくはそこに、ぜひともきみをつれていきたい。一緒に行きたいんだ」
 「どうして」
 「きみが好きだから。とても、すごく」
 コーヒーカップを支えるサルの指が、ぶるぶる震えていた。「ぼくは珍しくて美しい花を開発するのが仕事だけど、きみがいなければその仕事には意味がない。全部、きみのための花なんだ」
 そんなことを頼んだ覚えはないと思ったわ。全部、「私のため」とサルが勝手に思ってやってるだけのことじゃないの。私には関係ない。
 だけど、サルはとっても真剣な顔をしてたし、私もそろそろ結婚したいなと思ってたのに浅田くんとは駄目になっちゃったし、転勤についていってしばらくしたら別れてもいいってサルは言ったし、それならまあいいかなと思って、結婚することにしたの。
 もうずいぶん昔の話。
 サルがくれた百合の花が、台所で金の花粉をさらさらとこぼしていた。

 あなたも知ってのとおり、サルの転勤先は、ちょっとどころじゃなく遠い場所だったわけ。
 環境が激変した、なんていうレベルじゃなく、私は今度こそホントに呆然とした。
 こんなに閉鎖的な空間で暮らしたことも、こんなに巨大な集合住宅で暮らしたことも、いままでなかったんだもの。
 窓の外にはいつも、朝なのか夜なのかわからない暗い空間が横たわって、広がっている。玄関のドアを開けると、集合住宅の中庭には、一年中のべつまくなしに花をつける桜の木がたくさん植わっている。
 あれ、実はみんな、サルが植えてるものなのよ。香りは、梅というよりもバナナに近い。「きれいだからいい」って、住民に好評だからよかったけど。年がら年中、空気がバナナのにおいになっちゃって、私はちょっと辟易してるわ。
 サルはいつも余計なことをする。桜は強い香りがないから、いい花だったのに。
 そう思わない?
 サルが作った桜は、実をつけない。ここには実を食べる鳥がいないから。花びらは散ると空中で淡雪のように溶けて、決して地面に積もらない。ここにはゴミを埋め立てるための土地がないから。
 なんてさびしい花を、サルは作ったんだろう。
 鳥も土地もない場所で暮らす日に備え、サルはずっとずっと、そういう環境に適合する花の開発だけを続けてきたんだって。
 「過酷な条件下でも育つ米や麦の開発は、いろんなひとが手がけてきた。だけど、食べ物があったって花がなければ、なかなか快適には生活できないだろうと思ってね。競合相手があんまりいなかったおかげで、ここへ来られた。そのうえ、きみもついてきてくれたし、ぼくはいまが一番幸せだな」
 「もう二度と帰れなくても? ここでずっと、私の不機嫌面を見ながら過ごさなきゃならなくても?」
 私がそう訊いても、サルはにこにこ笑っている。
 サルはとても優しい。同じベッドで目が覚めて、隣で眠るサルの顔を見て悲鳴を上げそうになるときもあるけど、あとは特に不満もない。
 仕事に出かける前に、サルは必ず私に、
 「今日は何時ごろに帰ったらいいかな」
 と訊く。一人でいたくないときや、食べなきゃならないおかずが溜まってるときは、
 「なるべく早めに」
 と私は答える。サルの顔をあまり見たくない気分のときは、
 「帰ってこないで」
 と言う。そうするとサルは研究所に泊まって、私が迎えにいくまでいつまでも戻ってこない。
 私になるべく、いやな思いをさせたくないんですって。
 私が退屈していると、週末にはドームの端までつれてってくれる。そこにはサルの勤務する研究所の温室があって、扇ぐとチリチリと音を出すスズランや、壊れた蛇口みたいに澄んだ水滴を垂らすホタルブクロや、銀色に発光するクチナシやらが咲いている。温室内に充満する空気ときたら、トロピカルフルーツの集合体みたいに濃くて甘い。
 サルは一月にいっぺんは、
 「ぼくとの生活が苦痛だったら、すぐにそう言ってくれ」
 と言う。
 「私が苦痛だと言ったら、あなたどうするの」
 「きみの前から消える」
 「それって脅迫じゃない」
 「脅迫なんかじゃない。ぼくは決意を語っているだけだ」
 サルと私はそんなふうにして、けんかしたりしながら毎日を暮らす。

 ねえ、ねえ、これは惚気じゃないんだってば。お願いだからちゃんと聞いて。私、こわくてたまらないのよ。
 サルは私を愛していると言う。
 最初はそんなの、迷惑以外のなにものでもなかった。一緒に暮らしているうちに、たしかに愛着も少しは湧いてきた。
 だけど私はやっぱり、サルを愛してなんかいないのよ。ただ、一人になるのがいやなだけ。こんな、知り合いもろくにいない場所で、一人でなんて生きていけない。だから、サルと一緒にいるだけなのよ。
 それで言うなら、私は浅田くんのことだって、べつに愛してなんかいなかった。いまになって、よくわかる。
 サルの私に対する献身、気づかい、サルが私に寄せる心情を、愛というなら、私はこれまで、だれのことも愛してなどいなかった。
 生まれた場所を遠く離れて、それでも「この人だけは離せない」と思うような相手なんて、私にはいなかった。
 親も兄弟も友人も捨てて、重力や生まれ育った場所を振り払って。サルは愛だけを推進力にして、自分に必要なものをすべて手に入れた。
 だけど滑稽なことに、サルが愛をささげる対象である私は、からっぽなの。
 地球は、どうなったかしらね。
 サルは選ばれて脱出ロケットに乗った人間だけれど、私は違う。ただサルの熱情に押し切られて、気付いたらこんな場所までつれてこられていただけ。
 私は、サルがいつ、盲目的な愛から醒めて、私のなかの空虚に気付くのだろうかと思うと怖い。はじめから気付いていたのだとしたら、それでもなお、どうして私に愛の言葉を囁き続けられるのだろうかと思うと。
 サルの愛は、私を縛る鎖だ。私を縛り、断崖からぶらさげて、喪失の恐怖を煽るような愛だ。
 私はもちろん、サルにそう言った。サルは笑って、
 「きみはまた、面倒なことを考えるね」
 と言った。「ぼくはたしかにきみのことを愛してるけど、それはぼく自身の満足のためでもあるんだよ。きみもきみ自身の満足のために、好きなようにしたらいい。ぼくを愛するもよし、ぼくを愛さず、ただ一緒に暮らすもよし」
 サルの指先は、そのときも震えていた。震えながら、でもそれを私に気取らせないようにコップをつかみ、合成麦芽ビールを飲み干した。
 その後、サルは研究所からこの電話機を持ってきた。
 「カウンセリングロボット直通回線だよ。環境が変わってストレスを訴える人が多いらしくてね。隣の部署が開発したんだ」
 って。
 あなた本当にロボットなの? へえ、そう。サルなら案外、ボイスチェンジャーでも使って、私からの電話を自分で受けそうな気がしていたんだけど。
 おかしいわねえ、おかしなことを考え付くひとがいるもんだわ。ロボットに悩み相談だなんて。
 もうすぐサルが、「そろそろ寝ようか」って声をかけてくるころだ。今日はおしまいにしましょ。
 サルと私は眠る前に、「おやすみ」を言い合う。おやすみを言うたびに、私はいつも少し不安になる。
 本当に明日、私たちはまた目を覚ますのかしら。眠っているあいだにドームに穴があいて、サルと私は別の夢を見ながら、ちりぢりに宇宙に吸い出されてしまうかもしれないじゃない。そうしたらもう、隣で眠るサルの顔には、二度と会えなくなる。
 なあに、あなたどうしてそんなに嬉しそうに、「そういうのが愛だ」って言うの?
 でもまあ、そうね。そのほうが、私も救われる。
 私たちはこうやって、きっとずっと一緒に暮らしていくんだわ。直径五キロの小さな小さなドームのなかで、むせかえるような花のにおいに包まれて。
 またかけるね。おやすみなさい。
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