報道官のキョウユが出てくるたんびに、国民感情を回復しようとしている母国の姿勢に唾をはいてるように感じるのだけど、あれは私だけか。海外記者団の思慮に若干かけた質問に「サマ?(なんすか?)」はちょっとウケたけど。
万博とか哨戒船だとかGDPとか、カードを出せばいくらでも出てくるけれど、日本人がこの手に敏感なのは多分平和だからだ。中東のデモ抗議にほとんどの日本国民が共感できないのは、法治国家だからとか国民性だからとか、そういうのではなく、時代性によるものが大きいように思う。
正直なところ、「よくやるよ」「政教一体はだからヤバイ」「時代遅れ」という思いを持つ日本人は少なくないはず。踏絵や魔女狩りを経験してきた先進国は、どうしても上から目線でものを見てしまうので、途上国の根幹がどういうものなのかいまいち踏み込んで考えられないのだ。
朝鮮半島で対立国にむけて抗議の風船を空に飛ばしたり、プラカードを持って行進する右も日本にもいるにはいるがあまり目立ってはいない。関心がないのだ。というより、あまり関わりあいたくないんじゃないだろうか。
孤島の島国だから国境を陸続きで足を踏み入れる機会も実感もないし、いわゆる「カチコミ」をする大義名分も、興味もない。動物界における、カピパラみたいなもんじゃないだろうか。
国交間の問題でもなんだかなと感じていたら、NZの大地震で片足を犠牲にした学生に、直電でリポートする局もたいがいだけど、日本の緊急援助隊が行くのが遅いと批判する声もなんだか他人事に聞こえてくる。だいたいNZから要請がなければ行けないのだし、日本にしかない超特別な救済策をそなえているわけでもない。
それにしても、「つい先日前までサッカーできてたのにねえ、夢があったのにねえ」には舌を巻いた。
たぶん、想像力が麻痺したとか、思いやりを忘れたとか、そういうことではないと思う。
人間としての矜持を持つことをやめる、純粋な怠慢だというふうに思う。
職場で黙祷しているあいだそんなことを考えていたら、「やっぱり各々の生活で大変なんだからしょうがないじゃないか」という声なき声が、オフィスの窓の向こうから聞こえてきた気がした。
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