一概にその行動を起こす人たちのことを、無遠慮で、想像力不足と非難することはできない。
国家というのはどこも隠蔽体質だ、と母国を信用しない人たちが起こす本能的な自衛なのかもしれない。
そうでない人たちは、情報がわたっていないのかもしれない。
情報をつかもうとしていない者たちが、右にならえのように買いだめしているのは頭の痛い話だが。
ただしい情報は、「知る権利」のもとに保障されるべきなので、国民は事実を知らさらなければならない。
けれど、ただしい情報が人を死に近づけることがある。
砕いて言ってしまえば、安心するためには、嘘をつかれる必要がある。
いまや多くの「患者」を生んだ大地震や津波や放射線は、この国をおおきな「病院」に仕立て上げた。
患者はひとりひとり違う。
生きのびるために事実が必要な人、生きのびるために嘘が必要な人。
それを見極めるために、要人はちまなこになって、某国の経験を鑑みて最善策をさがしているのかもしれない。
それは多数決か、間引きか。
病院はすべての人を救えない。
ベッドは湧き水のように用意されているわけではない。サイクルのようにまわっていく。
ひとつ指令を出せば、ひとり助け、ひとり殺す。
どこかの皇族の言葉で心が救われる人もいれば、1円にもならない雑音でしかない人もいる。
「ひとりでも多くのひとを救援するために、わが国は全総力をもって―」
すべての遺体を荼毘に付すのは難しかった。
埋葬も考られたが、ほとんどの遺族はそれを拒否した。
陸前高田付近に住んでいた友人と、4日ぶりに連絡がとれ、無事を確認する。
自衛隊の人に連れられ、知人の遺体を直接確認し、礼を言って頭を下げたという。
だめもとで、焼いてあげてくださいと懇願したが、やはり叶わなかった。
近しい人のさいごを見たことは何度とあるが、心をえぐられるような痛ましい姿を私は見たことがない。
これが日本人の我欲を洗い落とすための天罰だというのなら、私たちは何を欲しがっていたというのだろう。
暗闇の中、引火しないように工夫された受け皿に、1時間もつ蝋燭に火をつけて、3本費やすころに電気がついた。
電気はついたが、すぐに消した。
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