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東雲のきみは 2

 一日一食、ミネラルウォーターの大瓶だけ買っていれば、小包が届くまで過ごせそうだった。幸い日中には食欲がなく、今までうんざりしていた暑さに感謝した。夕方まで部屋にこもり読み飽きたガイドブックをめくっていたが、陽が落ちるとさすがに空腹を感じる。一日使っていいだけの金額をポケットに入れ、部屋を出た。相変わらず廊下には不気味な雰囲気が健在で、大柄な男のうつろな目も必ず私をつかまえた。
 薄闇が包みはじめる路上は、街の住人たちと列をなす観光客と、観光客をあてこんだ土産物屋や物乞いたちであふれ、数え切れないバイクの噴出す排気ガスを吸いながらその合間を縫っているうち、熱気と空腹でめまいがしてきた。額から汗がにじんでくる。それが空腹のためなのか、蒸すような暑さのためなのかわからないままTシャツの裾で拭う。
 通りかかった路地からごま油の香ばしい香りが流れてきて、路地をのぞきこむと銀色の大鍋を置いた屋台が見えた。なだれこむように屋台の椅子に腰掛ける。隣で食事をしている人の手元を見ると彼が食べているのは汁そばだった。愛想良く注文を取りにきた主人に隣を指し、同じものをと頼む。路地はほかのところと同じく、薄汚く、きつい小便の匂いと汚水の匂いがただよっていた。屋台を取り囲むようにして並べられた小さなテーブルはべたべたしていて、麺の入った器は茶渋がこびりついたような色だった。それでもその汁そばはおいしかった。夢中で食べ、差し出された冷たいお茶を一気に飲む。
 後ろから背を叩かれ振り向いた。そのまま箸を握る手を止め、自分の目の前のものを思わず凝視した。そこにいるのが物乞いだとわかるまで数秒かかった。ぼろきれをまとい、ただれたような目を私に向ける中年の物乞いだった。彼には両脚がなく、片腕がなく、こちらに向けた顔一面にはできものがあふれ、キャスターをつけた板切れにうつぶせに乗り、一本の腕を私の足元に伸ばしている。有無を言わせない男の視線に、弾かれたようにポケットを探り一枚の硬貨を手渡した。男は礼を言わず、当然のようにそれを受け取り首から提げた入れものに押し込む。それきり私と目を合わせることなく、サーフボードに乗るように片腕で地面を滑らせ彼は路地から出ていった。わずか数秒のことだった。唖然として彼を見送り、あわてて汁そばに目を落とす。食事中の客たちはさっきと同じようにそばをすすり続け、今物乞いに手を差し出されたことも金を渡したことも、一瞬の空想のように思えた。けれど目の前で湯気をあげる汁そばの表面に、目に焼きついたばかりのできものがふつふつと浮き上がってくるように思え、箸を口に運ぶ動作が重くなる。
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東雲のきみは 1

 日本がただぬるいという自覚が足りなかった。ここはよその国であって、あれは闇為替だった。銀行などより断然いいレートを耳にして、男についていった。屋台で隣り合い、数時間話した男は私に紅茶をおごり、この国の人々や文化を語り、そうしてどこか恥ずかしそうな笑顔で両替の話を持ち出してきたのだった。そこからはマジックだった。男がなぜそんなレートで両替できるのか私に納得させ、私を路地裏につれていき、なんのためらいもなく日本円を出させた。男は束になったこの国の紙幣を私の前で数えてみせ、今ここで確かめろと言う。金を受け取り、数えようとすると一人の子どもがまとわりついてきた。煙草を一本くれ、ガムでもいいとたどたどしい英語を連発しながら私の足に触れ、子どもに注意を払っている隙に男はいなくなった。子どもを追い払ってから束を改めると、表面だけ本物で中身はすべてただの紙切れだった。冗談みたいだった。一人残された路地裏で、紙の束を手に、私は呆然と立っていた。呆然としながら心の隅で、見事だったといやに素直に感心していた。
 きしむベッドから下り、汚れた壁の落書きを爪でこする。こすりながら気付いたが女のへたくそな裸体の絵だった。ぱらぱらとそれの表面ははがれ落ち、女は半分姿を消す。残りの金で、多分あと十日なら暮らしていける。食費を切り詰めればもう少しいられるかもしれない。どのみち、人の良さそうな闇両替に持っていかれなくてもせいぜい有り金がもったのは一ヶ月くらいだろう。一週間も、一ヶ月でもそれほどかわらない。帰ればいいのだ。裸女の落書きを爪でこすってすべて消してしまい、ベッドに並んだ紙幣に一瞥をくれて部屋を歩きまわる。ねっとりと部屋に充満した空気をかきわけている気分になる。交換していないだろうシーツ、古びた机、開け放たれた小さな窓、せまいホテルの一室を確かめるように埃だらけの扇風機は首をまわす。
 空から下を見下ろした。すぐ隣には電気会社の看板をさげる崩れそうなビルがあり、真下の路地には麺類を食べさせる屋台が一軒ある。帰ればいいのだと、心の中でもう一度つぶやいてみる。痩せ細った野良犬が屋台に近づき、日陰を見つけてごろりと横になる。帰ればいいのだ、呟き続けていたその一言はいつのまにか、帰るのか? という疑問系に変わっている。
 ばらまいた紙幣をもう一度数えようと手を伸ばし、思いなおしてそれをしまった。硬貨だけをポケットに入れて部屋を出た。だれに訊いてもこの街で一番安いと言われている、このホテルと言いがたい宿は、古く巨大で、廊下に足を踏み出すたびにぎくりとする。すりガラスをはめこんだ木製のドアがずらりと並ぶ細い廊下は迷路のようにあちこち曲がりくねっていて、窓もなく、人の気配もまるでない。切れかけた蛍光灯が点滅を繰り返しながら照らす廊下の先は、見たこともない場所へ続いているような気がした。床板は踏みしめるたびぎしぎしと音をたて、ところどころはがれていたり湿っていたりする。薄暗い階段を下りていくと、途中に体格のいい欧米人が背を丸めて座り込んでいる。太い指を不器用そうにあやつって、小さなパイプに詰め物をしている。横を通るとき彼は顔を上げ、ぼんやりした声でハローと言い、ただれたような笑顔を見せる。人間の心を覚えた、悪魔の使いか何ものかのようにみえたが、返事をするのに戸惑わなかった。

右に海

 そのとき私は二十歳で、タイの小さな島におり、マラリアにかかっていた。
 私は恋人だった人間の弟と旅をしていた。成田からバンコクへ、バンコクからアユタヤへ、アユタヤからチェンライ、チェンライからホアヒンへ、ホアヒンから夜行列車で……どこだったか、スラーターニーか。そしてスラーターニーからボートに乗ってサムイ島へ、サムイ島からそのちいさな島にたどりついた。成田を出てから一ヶ月。
 この小さな島で、私は突然発熱したのだ。
 乾季の、くっそ厚い日中、私はたった一枚ある毛布にくるまって、がたがたと震えた。熱があるみたい、と弟に言うと、彼はバンガローの主人のところに体温計を貸してもらいにいった。そのバンガローに体温計はなく、主人は隣のバンガローまで体温計を捜しにいったがそこにもなく、その隣にもなく、結局、主人は体温計捜しをあきらめて、私をジープに乗せて船着き場の医者のところに連れていった。
 その島に病院はなかった。船着場から坂をあがったところに、ちいさな無人の小屋があり、そこが診療所になっている。医者は大きな島から週に幾度か、この小屋にきて診察をおこなうらしかった。
 その日は運良く医者がくる日だった。医者は私の血を抜き取り、それを大きな島に持っていって調べると言った。毛布をひっかぶって震える私はバンガローの主人に連れられ、また宿に戻ってきた。
 毛布にくるまってがたがた震えながら、私は数ミリリットルの私の血が船に乗って海を渡っていくさまを考えていた。

 結果が戻ってくるのに三日を要した。え、三日? 復唱する遅さである。三日後、前にあった医者がにこやかに私の宿を訪ねてきた。ハロウ、ユー、マラリア! 医者はうれしそうである。バンガローの主人とその妻、その子どもたち、近所の食堂の女主人が、私の泊まっている部屋のテラスに集まり、医者の言葉を聞いて口々にマラリアとくりかえした。マラリアは、その島でもめずらしいようだった。うちのおばあちゃんが三十年前にかかったよ、うちのおじいちゃんは二十年くらい前にかかっていたよ、と、彼らの交わすおしゃべりを、英語のしゃべれる主人の息子がいちいち英訳してくれた。
 医者の差し出す大きな錠剤を六粒、ぬるいコカ・コーラで飲み下した。オッケイノープロブレム、私がすべて飲み終えたのを確かめると、医者は言い、帰っていった。マラリア患者を見学にきていた野次馬も、それぞれの持ち場に戻るべく帰っていった。顔を真っ青にして見守っていた弟は、やっと安心して海に泳ぎにいった。タオルを部屋から持ち出すとき、変な顔されなくてよかったな、と一言残して出て行った。確かにそのとおりである。外部からきた人間が、滅多にかからない妙な病を持ち込んだとなじられてもよかったものを。この国は、優しいのだと、私は体調の悪さを忘れようとするかのごとく感謝した。
 が、たったひとりになったとたん、私は勢いよく嘔吐し、吐きおわったとたんものすごい下痢に見舞われた。
 その日から、私は寝込んだ。水さえも飲めば吐き下し、ふらついて立つことができない。一日じゅう、ベッドのなかにいた。弟は私の握力をたしかめ、ふたたび顔を真っ青にした。

 私の部屋の窓から海が見えた。波はおだやかで、海面は陽を映して鏡のように光り輝いている。トップレスで本を読む欧米人や、ビーチボールで遊ぶ褐色肌の島の子どもたちが、ちらちらと陽炎のなかに見た。
 一日じゅう寝ている私のために、弟が何冊か文庫本を持ってきてくれた。
 宿泊しているバンガローの食堂に、旅行者たちが置いていった本が何冊も置いてある。たいがいが英語のガイドか、ペーパーバックのミステリ小説だったが、日本の本が何冊かあった。
 角川や、講談社。カバーはなく、茶色い表紙は黄ばんでいる。それはひどくなつかしい感じがした。なつかしい感じがするのはいい。古い友達に偶然出くわしたような。
 バンガローにあった本は片岡義男と星新一と村上龍だった。日本では手にとったことのないそれらの本を、私は一日じゅう読んだ。読み飽きると本から目を上げて、窓の外のちらちら輝く海を見た。
 本を開き、私は物語を読んでいるのではなく文字を見ていた。見知った言葉で描かれる、見知った場所で起こるできごとをつづる、五十音の文字。その文字がくっついたり離れたりする様。意味を形成しようとする様。
 物語ではなく、文字を見ていると、ふと、解読可能な見知った文字の合間から知らないだれかが浮かび上がる。それは物語の登場人物ではなくて、この本を通過していった無数のだれかだった。

 まず最初に思い浮かぶ、だれか、は、東京のだだっ広い大型書店で、あるいは長野の商店街にあるしょぼくれた本屋で、もしかしたら岐阜のしずまりかえった古本屋で、書棚をながめて歩いている。彼は、数週間の旅の友を捜している。片岡義男のコーナーで足を止め、一冊ずつ抜き取ってぱらぱらとめくり、うん、これだと思い、レジに向かう。千円札を用意しながら、彼の目はレジの光景ではなく、見たことのない南の島を思い描いているだろう。その島で、のんびりと寝そべり、ビールを飲みながらその本を開く自身の姿を思い描いているだろう。
 なんで片岡なんだろう、と私は疑問に思いながら本から目を上げ、ちらちら光る海を見、揺れるタマリンドの木を見、それから天井に張り付いた、ゆるくまわるファンをぼんやり眺める。
 片岡がどうこうではなくて、なんで彼は片岡を選んだんだろう。読みやすそうだと思ったから? 開いているところをだれかほかの日本人旅行者に見られても恥ずかしくないと思ったから? あるいは、昔別れた恋人が、片岡を好んで読んでいたことを思い出したのか?
 突然私の頭のなかで、そのだれかははっきりとした輪郭を持つ。
 年の頃は二十七、八歳。高校時代、彼は片岡義男の愛読者だったのだろう。彼の描く世界にあこがれ、彼の描く主人公に共感し、主人公がつぶやくせりふにうっとりしたのだろう。けれど高校を出、育った家を出、働きはじめ、彼は片岡から徐々に遠ざかる。現実は片岡義男的ではないし、彼もまた、片岡義男の主人公でもない。部屋ののあかにはコンビニ弁当の空箱と、取り込んだままの洗濯ものが山を作り、片付けても片付けても、明日はまた空箱と洗濯ものを引き連れてやってくる。
 本なんかもうとうに読まない。読む時間がないわけではないけれど、読んだからどうだってんだ、彼は思う。
 本を読んだからといって洗濯ものの山が自動的に片付くわけではない、栄養バランスのいい食事が目の前に並べられるわけでもない。仕事が減るわけでもないし、慢性的な寝不足が解消されるわけでもない。
 今や彼が読むのは、惰性でとっている新聞とそのチラシ、電車の吊り広告と、だれかが読み捨てた週刊誌だけだ。それでなんにも支障はない。毎日はせわしなく彼を迎えにきて、手をふるまもなく背中を見せて消える。
 二十五のとき、彼は恋をする。恋人はときおり彼のちいさなアパートにやってきて、吸殻の山盛りになった灰皿をきれいにしたり、たまりにたまったゴミを捨てにいってくれたりする。ちいさな台所でこまごまとした料理を作り、彼は彼女と、テレビを見ながらその料理を食べる。結婚してもいいかな、と彼は思う。疲れて帰ってきたら、料理のにおいとともに彼女が笑顔で迎えてくれる。そんな生活もいいかな、と思う。
 けれど彼はふられてしまう。おれのどこが悪かったのか教えてよ、と、彼は最後の自尊心を守るべく、ぶっきらぼうに彼女に訊く。なんだかあなたって退屈なのよ、と彼女は言う。さようなら。
 そしてひとりの生活がまた戻る。生活はにこにこと彼の肩をたたき、台所をコンビニ弁当の空箱で埋め、トイレの床を陰毛だらけにし、洗濯物の山を作る。
 そんな生活のなか、彼の頭の片隅に、ある光景が走る。それはまるで遠い記憶のように淡く、けれど確固としてそこにある。
 絵の具を溶いたような色の海、風に揺れる椰子の木、テラスにぶらさがったハンモック。
 南だ、南だ、と彼は思う。センチメンタル・ジャーニーである。仕事も辞め、期間も決めず、世界を放浪してみよう、と。
 けれど実際彼は夏休みに有給休暇をプラスした十日間の日程を組み、旅行代理店にチケットを買いにいく。旅に必要なものをリストアップして買い求め、そしてふと本屋に立ち寄る。
 本屋には当然のことながら本があふれかえっている。何冊かの背表紙は、彼を拒否するように凛としている。平積みになった何冊かは、はっきりと彼に告げる。きみにはわかりっこないんだから手にとるだけ無駄だよ。けれどほかの何冊かは、友好的な手を差し伸べてくる。旅につれてって。ぼくらはびっくりするほど仲良くなれるかもしれないよ、と。けれどそうして手を差し出されると、今度は彼が引いてしまう。本に対して彼はまったく保守的になってしまった。差し出された手を握って、裏切られるのはまっぴらごめんだと思っている。
 そして彼は文庫本のコーナーで、なつかしい背表紙に気がつく。ずらりと並ぶ背表紙。その前に立ち、タイトルをしげしげと眺めていた高校生の自分。生活になれなれしく肩を組まれることもなく、意味不明な理由で恋人に去られた経験もなく、何かに強くあこがれて、そのあこがれの強度によって、あこがれに近づけると信じていたころの自分。
 これだ、と彼は思う。何冊か手にとってレジに持っていく。レジスターにはじき出される数字を見ながら、けれど彼は違う所を見ている。澄んだ海と、雲のひとつもない紫に燃える空。ハンモックとサンオイルの匂いと、タピオカの舌ざわり。
 そのようにして片岡義男の文庫本はタイの島にやってきたに違いなかった。
 帰り際、彼はナップザックに詰めていた片岡を、ふと思いついて取り出す。この島に置いていこうと思い立つ。フロントといっしょになった半屋外の食堂にきて、そこにある本棚に彼は、そっと片岡義男を差し入れる。
 明日からまた生活がまわりはじめる。けれどこの本はずっとここにある。その考えは彼をすこし愉快な気持ちにさせる。仕事の合間、電話の鳴り響く広いフロアで、洗濯物の山になったあの部屋で、タイのちいさな島の、海沿いのバンガローにある一冊の文庫本に彼は思いを馳せる。まるでもうひとりの自分が今もそこにいるような気分を、つかの間彼は味わう。

 彼の分身としてここに置き去られた一冊は、以降、バンガローに宿泊した日本人達に読み継がれていく。出てきたっきり二年も日本に帰っていない青年や、島の粗悪なドラッグ漬けでへろへろになった若者や、傷心のひとり旅の女の子が、本棚にあるあの本をなにげなく手にとり、なんで片岡義男なんだろうと思いながらもページをめくり、いっとき、物語に没頭する。

 私は本を閉じ、窓から見える海を眺めた。
 どこかの会社で、スーツを着て、ときおりタイの島に置いてきた文庫本を思い出す男も、よもや今、マラリアにかかって毎日吐き下している奴がそれを読んでいるとは想像もしないだろうと私は思った。
 海はちかちかと色を変える。銀、緑、ブルーや白や、紫や黄色に。
 開け放ったドアから、犬が入ってきて私の様子をうかがい、ベッドから垂らしたてのひらをぺろりとなめてまた日向へ出ていく。
 あんた、調子どう、というようなことを言いながら、数軒先の食堂のおばさんが、ジャックフルーツを持ってきてくれる。
 毎日海で遊ぶ弟は、一日三回私の様子をみにきて、水だの食べ物だのと心配し、また海に遊びにいく。海がよく似合う男だ。海のそばで暮らすべくしてうまれたのではなく、海のためにうまれたのではないか。
 何を食べても何を飲んでも、すぐに戻してしまう私はみるみる痩せて腰骨が浮き上がり、膝がとんがり、目玉ばかりがぎょろぎょろし出した。文庫本を持っているのもだるかったけれど、私はくりかえし本を開いた。
 そうして、代わり映えのしない生活をまわしている男のことを考えるのだった。
 病気がなおって日本に戻った私と、彼が、たとえば渋谷のスクランブル交差点なんかふとすれ違うさまを、そっと空想してみたりしたのだった。私たちはもちろんどちらも気付かない。ただ、すれ違う。


休憩

 喉ににぶい痛みを感じる。のど飴をなめる。視界が遅れてやってきて、思考がにぶる。
 悪寒が走る。インフルエンザかと疑うが、腹痛と嘔吐感がない。トレーナーをダブル、半纏をダブルで着て、電気毛布をダニ殺しレベルに上げて頭から包まる。
 二時間うじ虫のように布団のなかでうごめく。1分ごとに痰がでる。ティッシュが切れる。ゴミ袋が満タンになる。汗が出ない。熱38,5度。
 排熱が気になり、食でなんとか汗を出したい。水炊きでようやく汗が出る。塩ぽんずがうまい。味覚は正常らしい。食欲がある。汗が出る、出ない、出る、出ないの繰り返し。

 夢を見る。歯が欠ける夢。目が冷める。食事中、実際に歯が欠ける。新しい保険証が見当たらない。歯医者へ予約する気が失せる。
 久しぶりに風呂に入る。一瞬でのぼせる。ポカリスエットをひたすら飲む。
 原稿を書く。頭が働かず、誤字以前に日本語ですらない。保存したつもりがゴミ箱に入っている。
 元同僚から仕事の話がくる。前向きに考える。
 ゼリー生活を脱出する。ウィダーインゼリーは美味しかった。

出自

 ふだんはそれぞれの場所でものを書いている人たちが、三十人ばかり一堂に会して、作品を披露しあった。自分の書いたものを手に取り合い、皆の感想や批評を受けるのは勇気がいることだが、それは承知での参加だ。
 ある男性のエッセイは二人の孫の賑やかな訪れの場面から始まった。しかし「じつは」と話は展開する。孫の一人は自閉症児である。娘である母親が、その子をどう育てようとしているかを含めて、娘と孫を見守る祖父の心情が、ひしひしと伝わった。
 茶話会になったとき、同じ年配の男性が、あらためて質問を投げかけた。
 「プライバシーはどの程度書いてよいものでしょうか。私にも孫がたくさんおりますが、そのうちの一人は、長生きできない病気です」
 彼がそれまでに発表したエッセイは、どれも穏やかで豊かな老後の生活を綴ったものばかり。ああ、そんな楔に捉われていらしたのかと、一同、しんと静まりかえった。今回、障害を持つ孫のことをきちんと書いた作品に触れ、同じ状況に置かれていながら、これまで書かないでいた自分を顧みての問いかけだったのだろう。
 「エッセイというものは自分をさらけだすはずのものなのに、自分には書けないものがある。しかし書かないで居ると、一番重大な自分の真実を書いていないといううしろめたさがあるのです」
 いつかかならず、いや、最初から突き当たる最大の問題が、自己開示をめぐる葛藤である。
 この集まりの中には、自分自身が自閉症児の母親である女性がいた。自閉症児をどのように育てているかについて、書き、出版している。同席者の中にそのことを知っている者は多かったが、誰もその事実を指摘しなかった。当事者が発言しないかぎり、他人が口出しをするべきではないことを、みなわかっていた。良識ある者の集まりとはいえるが、他人のプライバシーを知っているがゆえに求められるジレンマであるともいえる。
 書いてよいか、書かずにおくべきか迷うプライバシーには、具体的にどのようなものがあるだろう。
 まず自分自身のこと。学歴コンプレックス、生育環境、挫折、罪。これらはいつか書ける。いや、これらを書くためにペンを握ろうと思い立つ者もいる。時代のせい、めぐりあわせのせい、自分自身が精神的に克服すればよいこと。書くことによってそれは乗り越えられる。
 家族をめぐる事柄は、もっとも書きにくいプライバシーであろう。この稿の発端になったような、子や孫の障害の話。これらは当人にとっては人生の大部分を占める問題であるのに、書くことにためらいが生じる。その心理をここで分析すること自体、当事者のプライバシーを侵害するようで遠慮したい気持だ。
 ひとつだけ確かなのは、家族内の秘密事項は書こうとするひとだけのものでなく、書かれる立場の相手があるという事実だ。祖母にあたる妻はどう思うか。近所や親戚にかくしておきたいのに、わかってしまうではないか、と怒るかもしれない。娘は書かれたことを平然と受け止めるかもしれない。母親である以上、開き直るしかないのだから。しかし、問題はまったくないとはいえない。この障害にたいする祖父の理解の仕方、心配の仕方などに違和感を持つかもしれない。家族のプライバシーは書く当人のものだけではない。一方、障害をもつ息子のことしか書かないエッセイストもいる。
 「オレのことは絶対に書くな」
 とご主人にいわれている奥さんがいる。かと思うと、私の亡き夫は、書いてもらうのがうれしくて、書かれると、宣伝して歩く人だった。
 自分自身の自己開示についても、二つのタイプがある。頭で分かっていても、実際に目にし、体感したと思わせられたのは、ある乳癌の再発を恐れながら物書きをしている二人の女性の存在だった。
 片方はけっして公表しなかった。彼女の活字はなぜか隔靴掻痒の感があり、読んでも読んでも、本音が見えないもどかしさがあり、あまり親しめないでいた。あるとき、久しぶりにふっと顔を出され、それっきりで、あっというまに亡くなった。彼女は死に至るほどの病気をだれにも告げないで去った。
 同じ病で亡くなったもう一人の女性は、まだ三十代であったが、私たちに写真を送り、私を忘れないで、力づけて、とSOSのメッセージを最後まで病床から送り続けた。
 自分自身のプライバシーについて、同じ内容、同じ相手であっても、書く人と書かない人がいる。
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