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ぽち

 やりすく、と右側から文字を読ませる店が駅に向かう道中にある。となりにはいろんな野鳥を売る店の存在もあいまって、どこか戦前の田舎町をおもわせる構えは、しかし今日に至って存続が危ぶまれている。表の車道は駅に近づくにつれ二車線から四車線へと工事がすすみ、やがてその開拓は「やりすく」にまで及んでいった。手厚い謝礼もある、新しい転居先への手続きもすべて保障される、しかし「やりすく」はなかなか姿を消さなかった。古本屋が消え、焼き鳥屋が消え、コンビニエンスストアが消え、野菜売り場が消えて数年経っているにもかかわらず、「やりすく」と野鳥売りはずっと開いたままだった。

 10年間である。10年間、毎日その店の前を通るとき、若葉のような苦い匂いを放つ野鳥の羽風を右頬に感じながら店内を盗み見ていた。店主は髪がしろく、現役を退いてからずいぶんたっているようにも見え、椅子に腰かけながら手に白い文鳥を乗せてくちばしを撫でていた。
 「やりすく」の店内にひとけはなく、さびれたカウンターにはたばこが数ダース置かれ、ライターが置かれ、冷えていなそうな缶ジュースが置かれ、いまどきの子が食べないようなスナック菓子が置かれていた。品薄にもかかわらず商品を整えるつもりもないようで、いつなんどき万引きが起きてもおかしくない無用心さだが、誰の目にも留まらないような商品ばかりだった。何十年も雨にさらされて霞んでしまった看板の下には故障していそうな自動販売機があった。色馳せた見本の缶は品切れのランプが光っており、一応は動いているのか夜には電源の音が聞こえた。

 店のとなりには趣味でやっているのか小さな畑があり、茄子が吊らされ白菜が土から顔を出していた。それらを見守るでもなく、ひたすらつまらなそうにやせ細った秋田犬がおざなりな小屋の下で丸くなっているのだ。手作りであろう不恰好な小屋の屋根下には、手書きで「ぽち」とひらがなの太字で書かれていた。ぽちは痩せている犬と表現できるうちの痩せ方ではなく、どこか病を患わせているのかと感じさせるほどの輪郭をしており骨が浮きだって見え、寒い冬がくるたびに、私はいつも必ず、今年こそあの犬は死ぬ、と思っていた。

 しかしぽちはきっと私がこの町にやってきた年よりずいぶん前から健在であり、だれかと飲み明かす翌日の朝も、こてんぱんに疲れ果ててしまった雨が降る夜も、さくら並木の通りから飛んできたピンクの葉が舞う昼下がりも、ぽちは通行人に意識を寄せることなくうずくまっていた。あれは死体なのではないのか、と疑うこともあったが、何年経っても白い骨になることはないので生きているのだとわかった。冬がくるたび、必ず今年こそあの犬は死ぬと思う反面、心のどこかではあの犬は死とは無関係な物体、という認識を併せ持つようになった。

 あの犬は私のこころの鏡になるようにもなった。調子がいいときには長生きして欲しいと願ったし、わるいときにはあんなに生きながらえて可哀想にと同情した。たのしいときにはいつかあの禿げてしまった頭を撫でてみたいと思ったし、頭にきているときにはろくな餌も与えないで野蛮な店主に違いないと疑いさえした。
 だからぽちを一目見れば、どんなに自分が意味不明な立場に置かれていたとしても、瞬時に現状を把握することができたし、客観的になれたし、冷静になれた。感謝をすることはなかったが、いつのまにかぽちは私にとって日常であり、恒常的に同じ場所で私を待つでもなく存在していた。

 歯を磨くことと同じとおもっていた。トイレへ行くことと同じとおもっていた。図書館で本を借りることと同じとおもっていた。それがたとえば、歯を磨き忘れて眠ってしまったときの落ち着かなさや、トイレへ行けずじまいの尿意や、予約した本が行方不明のまま音沙汰がなくなった戸惑いと比べるとき、私はあることに気づいたのである。私はぽちの不在を経験したことがない。ぽちの不在はいったいどんなものであり、私にどのようなものをもたらすのだろうか。

 そして去年の夏ごろ、突然ぽちの小屋が消えたのである。当然ぽちの姿はどこにもなかった。どきどきした。10年のあいだ、ただの一度たりとも不在を許さなかった物体が、こつぜんと消えてしまっていたのだ。どこか記憶障害を起こしてしまったのではないかという焦燥感に似たものがせりあがったが、歩く足を止める謂れもなく、そのまま前を向いて駅に向かった。その日は一日じゅう、ぽちのことが頭から離れなかった。

 帰り道すがら、弱い光に照らされた廃墟のような「やりすく」を左手に盗み見た。心なしか埃が充満しているようなカウンターに、商品はただの一品も置かれていなかった。ダンボールがたたきに無造作に置かれ、それらはテーピングされているものや作業途中なのか口が開いたままのものもあった。となりの野鳥売りは普段どおりシャッターがおりていた。

 翌日、駅へと向かう昼過ぎに見てみると、昨日の夜に見た光景とまるで変わっておらず何だといぶかしんだ。同日夜の帰り道、「やりすく」の前に赤いランプをくるくる周辺に光を投げながら停車する救急車が見えた。サイレンは鳴っておらず、落ち着いた様子の作業着の人間が、「やりすく」の店内に入っていく。

 自宅の玄関の鍵をあけながら、私は「やりすく」の店主を想像した。野鳥売りの店主は記憶にあったが、「やりすく」の店主の顔が思い出せず、記憶をたどるより想像することのほうがわりかし簡単だった。おぼろげな輪郭がぽちの頭を撫でる。ぽちは「やりすく」の店主にしか頭をあげず、ことばを交わさず、意思の疎通をこころみないのだ。ぽちと「やりすく」の店主が時期をおなじくして、おざなりなぽちの小屋や、売る気もない煙草や、埃まみれの店や、茄子や白菜や、となりの古き友をかなぐり捨てるに至ったのは、なにか原因があったのだろうか。誰かのせいなのだろうか。そもそもなにかの所以あっての結果だったのだろうか。もし彼らがなにごかに頷きあっての合意であるなら、と私は心のどこかで思ってはいなかったか。

 翌日、「やりすく」の店はシャッターすら下りておらず、畑もぽちの小屋の跡もそのままに時間が止まったまま佇んでいた。いつかぽちに思い描いていた、私の”永遠に変わらないもの”という幻想よろしく、いつまでもこの姿のままで止まるわけがないと理解した。

 野鳥売りの店主はあいも変わらず手乗り文鳥を手にのせ肩にのせ、遠い目をその瞳に宿しながら鳥たちに餌をやっている。
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