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ゆらぎ

 はじまりとおわりについて。
 私の感覚でいう俗語、この世界の森羅万象は、起点と終点でつながっている。
 読書であるなら、本の重みを手に感じるときこそが起点であり、本を閉じるとき物語の絵が脳裏によぎる瞬間が終点である。
 音楽であるなら、最初に鳴る音こそが起点であり、余韻さえもなくなる瞬間こそが終点である。
 食事であるなら、においを嗅いだときこそが起点であり、満腹をわすれるときこそが終点である。
 人間であるなら、産声をあげたときこそが起点であり、記憶や感情を放棄するときこそが終点である。
 しかしながら、宇宙はその点と点をむすぶ直線上に則っていない。

 映画で男と女が抱き合っている。はげしくお互いを求め合い、願わくは肉体が一つになることを望んでいる。男は女の腰をひきつけ、女は男の首に腕をまわしす。男の性器が女の膣にあてがわれ、せつないため息を掛け合っている。彼らは融合の疑似体験をすることで愛をたしかめあい、お互いの存在に感謝している。

 なぜ彼らは融合ができないのだろうと、私は昔から疑問におもっていた。人と人だけではない。靴と足、箸と手、水と頭。虫や動物の弱肉強食のほうがわかりやすかったが、それはただの誤解なのだった。捕食し、捕食されれば融合するものだと長らく認識していたが、捕食する側は捕食されたものを消化し、エネルギーに変え、排出する。一緒に存在することではない。

 ふさぎあっている男と女の唇を見る。なぜ融合しないかを考える。精神的なことではなく、物理的なことである。唇と唇がぶつかりあっている、物体と物体がぶつかりあっている。しかし、厳密にいうとそうではない。
 唇をこまかく砕いていく。血肉、神経、炭、原子レベルにまでこまかくしてみる。この原子の並びには空間がある。テニスコートのサービスラインを原子核、テニスボールを電子と例えても、ヘタな選手がサーブで客席にホームランするほどの距離を互いにとっている。その空間は本当の意味で真空である。

 そう考えてみれば彼らのキスは感覚こそあれど、不確かなものだとわかる。ぶつかりあっているようで、溶け合ってはいない。唇も、靴も、箸も、水も、この世界には絶対的な個の力があふれている。

 力の存在はわかった。ところが我々が認識しているところの、物、はどうなのだろう。
 この世に、生き物や、衣服や、食べ物といったものが原子で構成されていることが判明していて、さらに素粒子にわかれていることも判明した。しかし、科学的にはわかってはいるが、私たちのことばでいえば「そんなものはない」のである。力が影響しあっているのだ。つまり、物、なんてものは存在しない。

 じゃあ何があるんだといえば、力、があるのだ。よく「あなたは存在しているだけで価値がある」という言葉を聞くが、精神論のみならず、物理論からみても説得力は少なからずある。価値というよりも、影響力と置きかえたほうがわかりやすいかもしれない。

 はじまりとおわりについて。
 究極な意味合いでの「存在するか存在しないか」、「1か0か」について。私たち人間は、この二つしか知らない。
 宇宙には何もない。存在しているのはエネルギーだけである。

 無、とは何かを考える。無とは通常私たちにとって、存在していない、消失したものと認識している。
 しかし宇宙にとって、何もないという無の状態は、私たちが認識しているものと少々ちがう。私たちの認識からすれば宇宙にとっての無は真空そのものというイメージがあるが、それはちがうようだ。

 今日解明されている宇宙におけるエネルギー、暗黒物質とよばれるダークマターなども含め、それらをすべて引き算していく。しかし多くの研究者たちはかぎりなく無に近づけるようにしても、0、すなわち無にたどりつくことはないと言っている。なにものかがゆったりと動いている状態、ゆらいでいることを、無、と言う。当然私たちはそこに疑問にもつ、じゃあそのゆらぎを取ればどうなるのだろうと。それは未来永劫わかりえないだろうとされている。

 宇宙の誕生についても、私たちの常識をあてはめるようとするなら、始まりと終わりがあると当然認識する。
 有力なビッグバン説を基にするなら、今から約140億年前に「誕生」したといわれるが、それは0から生まれたものではない。「宇宙」が「誕生」する「以前」の世界こそ存在するのだ。向こう側の向こう、あちら側のさらに奥がこの世界にはあって、始まりにたどりつくことを許そうとしない。

 宇宙の歴史や仕組みを研究する上で、ビッグバン宇宙論は常識マニュアルのごとく基本中の基本とされており、それをもとに様々な研究成果をあげてきた。だが2009年、今年である。ある日本人の研究者がはるか、はるか遠くのくじら座の方向にある巨大な天体を発見した。この天体は約130億光年という距離があることを叩き出してしまい、小さな天体がぶつかりあって広がってきたものこそが宇宙だ、というビッグバン宇宙論を大きく揺るがした。宇宙が誕生してすぐにその巨大な天体が生まれることは決してあり得ないからだ。

 はじまりとおわりについて。
 夜中にベランダでいつものようにペットボトルで植物に水やりをしていると、見上げた空にシリウスが煌めいていたので、その星の消滅について考える。あの輝いている恒星、地球とまったく同じ大きさで、太陽の30倍もの輝きを放つその星も、あとは冷えて朽ちていくのを待つだけである。
 私たちが物事のすべてに対し、これからもずっと、はじまりとおわりをもとめるのならば。
 ゆらぎ、ビッグバン、いまだかつて解明されていない何事かを起点とする。
 ビッグリップ、重力が宇宙膨張に打ち勝ちある一点に収縮して終焉、低温死、星を形成する動きそのものが停止、あらゆる終焉の可能性のうちのどれかを終点とする。

 宇宙は私たちに語りかける。なにをはじまりとし、なにをおわりにするかは、本質的に決まっていないということを。人の体は何十超もの組織でなりたっているという。そして人の思考、記憶、感情をも含め、人こそが宇宙そのものだという。そういわれてみると、限りのない、果てのない継続的に存在しているだろうなにものかは、ふしぎなことに私に解放感をあたえる。私たちがこここそが始まりだと思っている場所、あそここそが終わりだと思っている場所が、ただの通過点でしかないとしたら。もしくは、それですらないとしたら。

 もしも、読書の起点が本の重みを手に感じるときではなく、終点が脳裏を過ぎる絵ではないとしたら。
 その本に出会うまでの過程のうちのどれかが起点なのかもしれないし、自身の生活からそれらの絵が追い出された瞬間なのかもしれない。もしかしたら記憶の隅に置き去りにされているだけで自身の行動ひとつひとつに影響されているのかもしれない。

 もしも、音楽の起点が音の開始時点ではなく、終点が余韻の消える瞬間ではないとしたら。
 最初の音が鳴る前のなにものかの息遣いを嗅ぎ取るときかもしれないし、かつて心を打った音色に何も動じなくなった瞬間なのかもしれない。もしかしたらメロディーそのものを忘れていても血肉が覚えておりそれに似た音をしらずしらず求め続けているのかもしれない。

 もしも、食事の起点が匂いを嗅いだときではなく、終点が満腹を忘れたときではないとしたら。
 食材ひとつひとつの味を思い出しながら買い物をするときを起点とするかもしれないし、変換したエネルギーを使い果たし排泄物として体から離れたときかもしれない。もしかしたら生えかわる爪や髪、血や肉のなかにも長い付き合いをしているものがあり、火葬されたあとも空中のどこかを舞っているのかもしれない。

 もしも、人間の起点が母体から離れて一つの個として生を受けるときではなく、終点が自分で呼吸をしなくなる瞬間ではないとしたら。
 男女の出会い、もしくはそれぞれがそれまでに関係を持った人たちとの出会いを起点とするかもしれないし、大切なひとたちの心のなかで息づくその連鎖が断ち切られるときを終点とするかもしれない。もしかしたらまだ見ぬ深い眠りの先の世界で大切な人たちとの再会を待ち続けるのかもしれないし、新しい生を受けるために順番待ちをしているのかもしれない。

 シリウスは恒星であるので、ずっと輝いている。しかし夜が明けたら肉眼では見えなくなる。しかし存在はしている。存在はしているが、肉眼で見えなくなるその瞬間、その線引きはどこで引いたらいいのだろう。
 それは肉眼によるものだろうか。それとも心で決めるのだろうか。はたまた記憶で左右されるのだろうか。
 私は知らない。
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