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不文律

 村上龍氏の処女作を再読。
 これを前回読んだのは中学三年の夏休みだった。当時は麻薬やセックスだのが乱雑に散らばっている、底辺にある暴力の渦巻きのような小説としてしか捉えられなかったが、今つぶさに確かめてみると、記憶のなんとあいまいなことか。
 読了感のそこはかとなくただよう、きもち悪さ。
 「リリー、どこにいる、あの鳥をいっしょに殺してくれ」
 最後のシーンで、主人公リュウは、冒頭から最後のほうにかけて貫きとおしていたはずの、天上から俯瞰していた居場所をいつからか失っており、見るもの聞こえるもの全てが、なにがなんだかわからなくなっている。薬でおかしくなってしまった。

 殺し、殺されの曖昧な線引きのなかを共生する仲間たちは、次の日にはかならず「ハウス」にもどっていた。いつどの瞬間、だれがだれを殺してもおかしくない密室空間にもどり、性交渉をし、薬を打ち、酒を飲み、寝た。
 だが、ある日、リリーは悲鳴をあげながら部屋を出て廊下を走る。リュウは部屋のなかでもだえ苦しみ、まぼろしを見ながらエンドロールをむかえる。
 草むらをころがり、開いた口のなかに虫が入り、舌を噛まれる。指を口につっこんで、唾液のついた、背中に縞模様をした虫が、草の露のなかをぬって逃げていく。

 リュウが口にした「鳥」が、いったいなにをさしていたのかについて考える。
 たぶん、明確なものではなかったのだろう。だから「鳥」と暗喩したにちがいない。
 自分なのか、他人なのか、社会なのか。

 歩行者天国事件の彼がつかまる瞬間の表情が、まぶたの裏に焼きついてはなれない。あの、魚の目でも虫の目でもないガラス玉。
 トラックを通行人たちに突っ込ませるまで、彼はなんども同じ道を繰り返し走り、同じ信号を何度も通り過ぎた。その意味はなんだったか。

 迷っていたのだとメディアや裁判所は言う。やっていいのか、やってはならないのか迷っていたのではないかと。
 だけど、そのときにはもう彼は「鳥」に呑みこまれていて、実行に移すまでのボルテージが高まるのを防ごうと、ひたすら耐えていたのではないか。もう、自分が「鳥」を殺してしまうのを知っていて、だけどぎりぎりまでハンドルをまっすぐ握っていたのではないか。

 彼と私との違いをかんがえる。
 もし彼が殺人を犯さなければ、彼は多くの人間となんらかわりはない。多くの人間は人身事故で舌打ちを打つし、遠い親族が死ねば香典にため息をつくし、虐待や親殺しのニュースを見ては「理解できない」と言う。
 改札で立ち尽くす老人に殺意を抱き、自由な時間を奪う夫や子供に殺意を抱き、認め合えない友人に殺意を抱く。
 彼はだれとも同じ、人間である。
 人間は、なんでもできる。どんなに美しい所作を施すこともできるし、目も当てられぬ所業を繰り返すこともできる。

 「鳥」はにくいと同時に、「鳥」がないと、人間は生きていけない。
 人間にとっていちばん恐ろしいのは、自然災害だなとおもった。「鳥」がいないからだ。
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