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偏狭

 待ち合わせのレストランはやけにきどりすましていて、入るのがためらわれたが、このまま帰ってしまうわけにもいかない。入り口で私を値踏みするように眺め回すウェイターに、コンドーさんの名前を告げると、彼は店の風貌とおなじくきどりくさった仕種で私を座席まで案内した。数組の客が食事をしていて、通り過ぎる私にちらりと視線をなげる。先端のはだけたラバーソウルは、たしかにこの店の絨毯には不釣合いだ。
 陽子とコンドーさんは先にきていて、やけに細長いグラスで、小さくあわ立つ透明の酒を飲んでいた。
 お飲み物は何か、と言いかけたウェイターを遮って、
 「あ、ビール、ビールお願いしまーす」私は言った。
 乾杯をして、メニュウを広げる。私は完全に浮いている。だらんと長いパッチワークのスカートも、毛玉だらけのカーディガンも薔薇の刺繍のインナーも、すべて古着屋でそろえて気に入っていたけれど、ここで見るとひどく貧乏くさい。いかにも金のかかっていそうなスーツを着たコンドーさんと、どこのブランドか知らないががっちりしたツーピース姿の陽子に向き合っていると、自分がこれから彼らに引き取られていく、貧しくかなしいみなし児の気分になる。そんな歌があった、みなし児じゃない、子牛だ、ドナドナと追い立てられどこかへ連れて行かれる子牛。
 「ひさしぶり。アイルランド、どうだった?」
 注文を終えたあとで、コンドーさんは私に訊く。陽子の恋人の、この妻子もちの男にはじめて会ったのはアイルランドに行く直前だった。そのときは、銀座で寿司をおごってくれた。当分食べられないだろうから、と言って。
 「えーとあの、まあ、寒かったです」
 何にたいしてかはわからないが私は緊張している。店の雰囲気にか、ひさしぶりに会ったコンドーさんにか、彼といるとまるで見ず知らずの女みたいに見える陽子にか。私の答えを聞いてコンドーさんは笑う。
 「寒かったって、それ、ミッキーちゃんらしいな」
 彼は私をミッキーちゃんと呼ぶ。陽子がそう呼ぶからだ。しゃべりかたがやわらかく、本当にやさしそうな顔で笑うコンドーさん。
 「今はそんなことないけど、帰ってきたときのミッキーちゃん、そりゃたくましかったんだ。マドンナみたいだったんだから」陽子が言う。
 「へえ、なんか想像できないけど。見てみたかったなあ」
 「今日はしてないけど、マフラー、おみやげにもらったの。すごくあったかいの」
 オードブルが運ばれてくる。コンドーさんはワインを注文する。私はビールを飲み干し、もう一杯頼む。次を飲み干せば、もう一度頼むつもりだ。
 「脳死って、このあいだ認められただろ?」テリーヌを切り分けながらふいにコンドーさんが言う。「昨日雑誌読んでいたら、そのことで作家と医者が対談していて、興味深かったな」
 「へえ、どんなこと言っていたの?」陽子は手を止めて彼を見る。
 「医者っていうのは結局、人をどこかパーツでしか見ていないようなところがあってさ。臓器移植をしたいがために脳死を死と認めたんだろうといわれてもしかたないと思ったね。でも作家はもう少しウェットでさ、胃も心臓も、指先も足の一本も、みんなそれぞれ魂を持って共存しているというわけね、それを切り離してどうこうするのは、マルクス主義に通じるものがあるって」
 「ふうん。私はどっちかっていったら後者に賛成だな。でも、臓器移植で助かる人もいるんだって思うとなんとも言えないけど。生きることって最優先だと思うし」
 「でもそうしたら、脳死が死だというのと、矛盾することにならないかな?」
 私は交互に彼らを見る。こいつらはいつでも、こんな話をしているんだろうか?いったい何になりきっているつもりなんだろう? この端正な顔立ちの妻子もちが、一度だって自分の言葉でしゃべったことがあるか、陽子は疑問に思わないんだろうか?
 メインディッシュが運ばれてくるより先に、私は席を立ち、トイレの個室に閉じこもった。便座に腰掛け、ポケットからたばこケースを出して、たばこではなく、ハシシのパイプに火をつけて、深く吸い込む。頭の奥が鈍くしびれる。パイプに口をつけて、ゆっくり数を数えて、それから呼吸を止める。唇ととがらせて、深く深く煙を吐く。たすけて。心のなかでそうぶつやくが、その言葉の響きとは裏腹に、妙に心地よくなってくる。陽子のその恋人が脳死を話題にフランス料理を食べているときに、古着姿の私が便所できめていることが、ものすごくシュールな、滑稽なことに思えてくる。売られていくさびしい子牛の歌が、狂ったように頭のなかでくりかえされていて、よけい私をおかしくさせる。
 「何にやにやして歩いてきて」
 席に着いた私に陽子が言う。
 「なんでもない。思い出し笑い」
 「やーね、へんなの。何思い出してんだか」
 「あのさあコンドーさん」メインは運ばれてきていた。牛肉のまわりに散らばっているとりどりのソースや野菜が、幼稚園児の描いた絵を連想させる。注いであったワインを一気に飲み干して続ける。「コンドーさんてできちゃった結婚だったんですよね? お子さん、今いくつですか?」
 コンドーさんはゆっくりと私を見て、動揺なんかしていないといった表情で、やわらかく答える。
 「ああ、六歳になったよ。こんど小学校だね」
 「それってえ、陽子と付き合ってる年数ですよねえ? ってことはさあ、二人のあいだのあの時間が、かたちとしてわかるってことだよねえ? だってほら、ふつー五年だの六年だのってあっという間っていうでしょ? でも、赤ん坊が小学生になるくらいは、長い時間だと思うのね、それが実感できるってわけじゃん? 成長というかたちで、よ」
 陽子の顔が視界に入る。陽子は舌平目のなんとかソースを食べている。うつむいていても陽子がどんな表情でいるかがわかる。笑い出すのとよく似た泣きそうな顔。陽子の耳が赤いのは酔っているからではない。突然、私はあざやかに思い出す。すっぴんで、そばかすが鼻のまわりに散って、歯並びが悪くて、ヤンキー顔をくしゃくしゃにして笑っていた、紺のセーラー服姿の陽子。自分の姿は思い出せないのに、中学生のときの陽子がまるですぐさっき会ってきたみたいに思い浮かぶ。
 「ミッキーちゃん」ワインを一口飲んで陽子は静かに言う。「私も訊くけど、あんたは週に何回、見ず知らずの男とやってるの? かたちにならないセックスをさ」
 「五回」私は陽子を遮る。「ファイブ・タイムズ・ア・ウイークっすよ、まさに」
 私は言う。牛フィレ肉のワインソースは驚くほどおいしかった。
 「げっ、げきうま! やっぱ『びっくりドンキー』とは違うよねー」
 私は言って笑うが、だれも笑わない。
 エスプレッソを飲んでいるときコンドーさんが席を立った。彼の席に置かれた、淡いピンクのナプキンを見ているうち、急激にハシシの酔いがさめていく。ケーキの皿にこびりついたチョコレートを、人差し指ですくってなめる。
 「私はあんたのことを大切な友達だと思ってるし、ずっとそうでいたいと思ってるんだ」うつむいてデミタスのコーヒーカップをいじりながら、陽子が小さな、でもきっぱりな声で言う。「だから、私たち、おたがいの恋愛のことについて話すのはもう二度とやめよう」
 「陽子、本当にあの男が好きなのか。私たちもう二十四だぞ、いいのかそれで?」私は言う。あの男がトイレから戻ってくるのが視界の隅に映る。
 「話すのはやめようって、たった今言ったよね」陽子は言い、ナプキンで口を拭い、コンドーさんに笑いかける。
 店を出て、彼らはタクシーをとめ、乗り込んで去っていった。コンドーさんが会計をしているあいだも、タクシーを待っているあいだも、陽子は一度も私を見なかった。彼に乗ったタクシーのテイル・ランプが遠ざかるのを見守ってから、ガードレールに寄りかかり、たばこを一本取り出した。ビルのデジタル時計が、十一時二十九分を告げている。ここからならたぶん五分も歩かずにいきつけのバーに寄れる。それともタクシーに乗って恵比寿まででるか。金曜だし、きっと誰か知っている顔が見つけられるに違いない。もしくは六本木方面。運がよければエクスタシーを誰かがわけてくれるかもしれない。
 どこへいくか決められず、次のたばこに火をつけて歩道橋をわたる。真ん中あたりで立ち止まり、橋の下をすべるようにして流れていく車の列をぼんやり眺めた。赤、銀、黄金の光が闇のなかを流れ、自分が川の真ん中に突っ立っているように感じられた。冷たい水につっこんだ両脚をふんばって、川底をじっと見つめている、そんな風に。どこにもいきたくなかった。最寄りのバーにも、恵比寿にも六本木にもだ。ゆっくり眠りたかった。
 ウォークマンを取り出して、イヤホンを耳にねじこむ。ショパンのエチュード4番が流れた。
 車の流れの向こうに電話ボックスがあり、それはそれ自体が闇のなかで白く発光しているように見える。歩道橋の手すりを人差し指でなぞりながら、電話ボックスを目指して歩く。腕を組んだ恋人同士とすれ違い、声高に何かを語り合う女の子連れに追い越される。覚えている電話番号を口のなかでくりかえす。やっぱり幼馴染の番号が一番覚えやすい。
 イヤホンを引っこ抜いて、耳に受話器をあてつける。一回目の呼び出し音でキョーチがでた。いつもと同じように、大音量で音楽がかかっていて、私をむやみにほっとさせる。
 「これからいってもいーい?」私の声は、今さっきまでコンドーさんたちと食事をしていたことが嘘みたいに、ばかっぽく明るく、意味もなくハイだった。
 「あーほんだらねー、今ちーぽがきててこれからごはんだからー、あれ? 何作るんだっけちーぽ?」背後の音に負けないようにキョーチは電話口でどなり、だれかに受話器を渡す。もめている気配がする。私はそれに気付かないよう、彼の部屋で響いている音楽に耳をすませる。きっとピクシーズだ、と思った直後に受話器から女の声がする。キョーチのガールフレンドだ。
 「あっ、ミッキー? あんねーカレー作るからさあ、カレーの材料買ってきてくれる」
 「ちーぽって何? チトセちゃんのこと? なんだよかった、ハロハロー。カレーって何柄? ハウス? ゴールデン?」
 「違う違う、ルーじゃなくて、カレー粉でいいの、あと具ね、ぐっ。あとねー、ミッキーに誕生日プレゼントあるよ! もちろんサトシのもね!」
 「うっそ、まっじー? うれぴー」
 電話を切って駅へ向かう。しだいにわくわくしはじめる。
 サトシは二年前の私の誕生日に、事故で死んだ。サトシの乗っていたバイクを跳ねたのは、無免許でトラックを乗り遊んでいた高校生グループだった。トラックは信号無視だった。身内のいないサトシの知らせを警察から受けた私は病院に駆けつけたが、すでに死んでいた。というより、死んだことにされた。身内も金もない輩に貸すベッドはないと、やわらかい言葉でいいくるめられた私は夜の病院を出た。病院を出たところで、キョーチとチトセは立っていた。
 やけに明るい私の声より、キョーチの声のほうが、さらにチトセの声のほうが高かったのはそのせいだろう。
 キョーチとチトセがもめていたことについては、なんとなく察しがつく。キョーチは芝居がへたくそで、それに呆れたチトセが受話器を奪ったのだろう。もしかしたらもっと簡単に、どちらが買い物にいくかとかそんなことかもしれない。それでも関係ない。そんなことに気付かなかったふりをしていれば、私たちはうまくやれる。みんなでぎゃあぎゃあ騒ぎながらカレーを作り、床に並べて一緒に食べることができる。楽しむのなんて実に簡単なことだ。
 陽子。金のかかったスーツを着てこじゃれた店で向き合い、何かの核心に触れまいとこっそり努力しつつ、永遠に脳死だの臓器移植だのについて、どこかで見聞きした他人の言葉で語り合っていればいい。いつかどこかの街ですれ違うのであれば、目を逸らし、真っ直ぐ前を向いて歩いて生きていけばいい。
 隅田川にでて土手を歩く。墨汁を垂れ流した色ちがいの雲がたがいをさしかけて、更待月の微光を下界に逃がしている。かくけき光は川に反射して光の砂となって踊り、よわよわしい存在を瞬間的にしめしているそれは、私のそれよりは頼もしかった。川を右手にして高台の砂利を歩いていると、しめったつめたい風がびゅっと吹いた。弱い風だったがおもいのほか冷たかったので、夢でも見ているのかと思った。自分の心のなかをのぞく夢など聞いたことも見たこともなかったが、あてはめてみるとなんてことはない、何一つずれているものなんてありはしなかった。現に私は一人であるし、恋人も親友も離れていき、また彼らは一人ではなかった。それが自分の手でくだしたものであるのか、そうでないのか、それらは判然としないわけではないが、ずっと疑問に感じていた、下されるものとそうでないものの違いを理解するに関し、結果、すこぶるどうでもいいことであり、失くしてみなくてはわからないといわれているはずのそれは、さほど感慨ぶかいものでもなく、ただ一人で寒い風にあたりながら実感するだけのものでしかなかった。背後からライトを点けずに鈴を鳴らす自転車が私を追い越し、またたく間に遠い景色に溶け込んだ。どうか私もうしろに乗せていってほしい、心のなかで叫ぼうとしたが、ここが心のなかであることに気付き、心の中で心から叫ぶというのは滑稽だな、そう思い至り私は叫ぶかわりに笑い転げた。

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