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 高校生のとき熱中して読んでいた漫画の主人公は、ギャンブル運と恋愛運は両立しないのだと言い放ち、大きな賭けに出る前は、実際、女と交わりたいのをぐっとこらえていた。私はその漫画のあらすじをくりかえし話し、その意見がどれほど真実に近いかを力説し、
 「ねえ、だから、恋愛運と仕事運も両立しないのではないだろうか」
 と、ミヤビに言ってみると、しらけきった顔つきで私を見て、ミヤビは深くため息をつく。
 私たちは四谷のオープン・カフェにいる。店外に出された座席のある茶店をオープン・カフェと呼ぶらしいが、私はずっと、屋外席は冷遇されているんだと思っていた。店内よりコーヒーの値段が安いとか、恰好がみっともないから店内に入れてもらえないとか、そういうための席なんだと思っていたが、どうやらちがうらしいと今日知った。ミヤビとここで待ち合わせをして、先にきて屋外席に座っていたミヤビに「みっともないからなかに入ろうよ」と言うと、ミヤビは馬鹿にしたように笑って言った。「あんた、なんのためにオープン・カフェにきたのよ」と。
 私の足元にはふくらんだ紙袋が三つ置かれている。会社に私物なんか何も持ち込んでいないと思っていたのに、ロッカーやデスクに突っ込んでいたものを整理したら、思いのほか多かった。
 「運とかさあ、そういうこと言い出すのやめたら?」
 ミヤビは言う。給仕係がコーヒーを運んでくる。筋肉質の背の高い若い男で、不必要に色気がある。
 「今の人ちょっとよくなくない?」
 聞き間違えたのだろうか。とりあえず、いいのかわるいのか、さほど問題ではなかった。給仕係が去って、ミヤビは私に顔を近づけて言うが、今の私にとってあの男以外は男に見えない。筋肉質で色気のある、遠い異国に棲息する変わった動物にしか見えない。それがしあわせなことか不幸なことかわからないが。
 「そうかね」
 「あんた、ああいう人好みだったじゃん。筋肉で守ってくれそうだっつってたじゃん」
 「筋肉男をいいと思ったことなんか私一度もないよ。私はさ、抱きしめたら腕が組めそうなくらいもやしが好きだったんだよ、昔から」
 言うと、ミヤビはわざとらしいため息をつく。
 「あんたさあ、過去とか好みとかを都合よく捏造するのはべつにいいけどさあ、運とかなんだとか、人知の及ばないほうに話をもっていくのはやめなさいよ」数分前の私のはせりふについて言っているらしい。「男にうつつを抜かして遅刻はするわ、仕事はさぼるわ、外線電話は出ないくせに携帯で長電話するわで、このご時世にクビにしないでくださいっていうほうが都合よすぎるんじゃないの?」
 私は黙ってコーヒーをすする。もうぬるくなってしまっている。
 「風邪が吹けば桶屋がもうかるって、あれ、運とか占いとかの話じゃないんだよ? しかもあんたのは、風が吹けば桶屋がもうかるより、もっと単純な話じゃないの」
 「ミヤビちゃん、若いのに渋い引用するね」
 私は笑うがミヤビは笑わない。
 空は高く、晴れ渡っている。秋の日の晴天は清潔だ。歩道に沿って植えられた銀杏はまだ濃い緑のままだ。フロントガラスを白く光らせて、車が数台通り過ぎていく。
 「ねえ、なんで一番ホームランを打つ人が一番じゃなく四番って言われてるか知ってる? ねえ、猛打賞ってなんのことか知ってる? ねえ、今年はどこが優勝したかわかる? あ、日本一のほうだよ、セとかパとかのなんかじゃなくて」
 ミヤビをのぞきこんで訊く。私の足元に置いた紙袋を眺めたまま、
 「セとかパねえ」ミヤビはつぶやく。「徹夜して並んで自由席買って、自由席じゃいらないって言われて金券屋で馬鹿高いチケット買ったんだよねえ。徹夜した日は会社で倒れて早引きでしょ? 金券屋も値段くらべてはしごして午後出勤でしょ?」
 「でも言っておくけどさ、彼は私が徹夜したなんて知らないよ、知ってたら自由席をありがたく受け取ってくれたと思うな、私、余ってるチケットがあるって言っただけだから」
 私は言って大きく伸びをする。銀杏の葉のあいだから、青く澄んだ空が見える。

 ひょっとしたら私は余命がいくばくもなく、だから神様が特別に夢を見せてくれているのではないかと、本気で心配になるくらい、最近私と彼の関係はうまくいっていた。彼はほぼ毎日電話をくれ、二日に一度私はそのまま彼んちに泊まりにいった。
 こういう状態のときに、就業時間や仕事場のコンピュータやレポートや、そんなことを考えている人間がいるのだろうか。好きで好きでたまらない男と、六ヶ月目にしてようやくうまくいっているときに?
 いるのかもしれない。もちろんいるのだろう。だからこそこの国は経済成長を遂げたのだし日本円は強くなったのだ。けれど私はあいにくそんな人間じゃない。失業率も経済危機も犯罪の若年化も、好きな男の前にはまったくなんの意味もなさない。私みたいな人間にはきっといつか罰があたるんだろう。というより、実際あたりつつある罰に、私はそのときまだ気付いていなかった。
 明け方まで起きて話したりいちゃついたりしているから、朝は当然起きられず、出勤の遅い彼と一緒にアパートを出、誘われれば断れるはずもなく昼飯を食べたりもするので、二日に一度は無断遅刻をし、終業より早い時間に「めし食わない?」と誘う彼からの電話が入れば、トイレにたてこもり念入りに化粧をし、終業前にこっそり会社を抜け出した。
 入社以来三度くらいしか口をきいたことのない企画部長に呼ばれ、やる気がないならどうか辞めて欲しい、と、やさしく懇願されるような口調で言われたのは、ほんの数日前だ。
 「会社、ひょっとして辞めることになるかも」
 下北沢の居酒屋から彼んちに向かって歩きながら、私はなんとなく口にしていた。やる気がないのなら……という、その日に聞いた言葉はもちろん言わなかった。
 「まじ? いいなあ。失業保険で一年くらい遊べるじゃん」
 酔うと彼の声はかすれる。笑い声は息だけになる。昔のアニメ漫画に出てきた犬みたいな笑いかただ。
 翌朝、九時過ぎに目覚めるやいなや、
 「今日さ、動物園いこう」隣で眠る私を起こし、彼は言った。
 「仕事は?」訊くと、
 「校了明けだし今日はひまだからいいんだよ。な、いこうぜいこうぜいこうぜ」
 子どものように連呼して、ベッドから飛び起き、パジャマを脱ぎ散らかしながら洗面所へ走っていった。
 新宿高島屋の地下で、一口カツやおにぎりや点心や、チーズやパイや春雨サラダや、惣菜をたくさん買いこんで上野動物園にいった。晴れていて、空気は乾燥していて、片手で食べ物のぎっしり詰まった紙袋を持ち、片手で好きな男と手を繋ぎ、キリンや象やフクロウを見て回った。ニホンザルの前でカツとおにぎりを食べ、ペンギンの前でビールを飲んで点心をつまんだ。日だまりに座るとあたたかくて、うっとりするような眠気が全身をおおった。猿や象の檻付近は、糞と体臭の混じった獣臭が深くたちこめていた。黄も赤も白も茶も、動物たちの色はすべて青い空に映えてうつくしく見えた。彼は子どものころの思い出話を語り、私は遠足の失敗談を話し、酔っているみたいに笑い続けた。三十三歳で仕事やめて、おれ、象の飼育係になる、いや、アシカでもいいな、ワニでもいいな。いつもみたいに彼は言い、その「三十三歳以降」の未来には、私も含まれているのだと、なぜかその日は強く思った。
 何もかもが完璧すぎて、泣き出しそうなのをこらえなければならなかった。
 こんなとき、赤坂の裏通りにある殺風景な仕事場に、フロアの女の子が全員自分を嫌っているような場面に、欠勤の電話をかけてみようかと思いつく人間なんて、この世のどこにいるのだろうか。いるのかもしれない。もちろんいるのだろう。だから、もう会社にこないでほしいと私は言い渡されたのだろう。
 動物園の明くる日に、そのように言い渡され、わかりましたと私は答えた。反省してます、これからがんばりますなんて、明白に嘘だと自分でわかることをとても口にはできなかった。失業保険を一年遊べるくらいもらえるって本当ですか、と訊きたかった。それが非常識な態度であるということは理解でき、「手続きはどうしたらいいのでしょうか」としょんぼりと肩を落として言ってみた。こちらの都合で辞めさせられたことにしていっこうにかまわないから人事で話し合ってくれと、部長は迷惑そうに言った。一刻も早く消えてほしかったのだろう。
 仕事と机まわりのあとかたづけは三日ほどかかった。その三日、私の周囲は驚くほど静かだった。だれも話しかけてこなかった。みんな遠くで声を落として何か話していた。雪の日みたいだと、私物を紙袋につっこみながら思った。雪がすべての音を吸い込んでしまう、あのしずけさに似ていた。
 今年の冬は彼と一緒なのだと、雪から連想し、自分をなぐさめるためにそんなことを思ってみたが、思ったとたん、窓の外に雪を見ながらみぞれ鍋を食す私たちや、酌をしあって熱燗を飲む私たちの姿がなかば妄想的に次々と思い浮かんで、いつのまにかゆるみきった口元を懸命にもとに戻さなければならなかった。こんな罰ならばまったくおそれるに足りず、だった。
 そして三日目の今日、昼過ぎにあとかたづけはすんでしまったのだが、四谷でのミヤビとの待ち合わせが三時だったので、会社を出、時間つぶしに近辺をぶらついた。ビル街をうろついて、本屋や文房具屋をのぞき、店の外に出されたランチメニュウを眺めて歩く。モスグリーンの制服を着た若い女の子たちが、強風に髪を押さえスカートを押さえ、きゃあきゃあ言いながら横断歩道を渡ってくる。ネクタイの先端を肩にかけたサラリーマンが、携帯電話に向かって何ごとか熱心に話しながら、私に軽くぶつかって通り過ぎていく。見上げると、ビルとビルの合間に台形の空が見える。台形に切り取られた薄いブルー。
 私といっさいかかわりのないこれらの光景を、いつかなつかしく思い出したりするんだろうか。いや、その予感はあるし、そういった類の予感は、いままで必ず的中してきた。すべてひとしく私から遠く、よそよそしさしか感じさせないこの光景を思い出すのだ。そんなことを思うと、ひとつひとつ、女の子のパンプスやまぎれこんだ鳩や、日替わりランチ八百八十円の文字や陽を反射して鏡みたいに光るビルの窓なんかが、すでになつかしい、いとしいものに感じられた。そう感じさせているのは光景ではなく、彼なのだと知っている。
 缶コーヒーを買って、ずっとひとりで弁当を食べていた公園にいく。昼休みをとうにすぎた公園に、常連のサラリーマンと中年女はいない。鳩と浮浪者を眺めて缶コーヒーを飲み、三時が近づくのを待った。

 足元に置いた紙袋をまたちらりと見やり、
 「でもさあ、失業保険がおりるっていったってそれだけじゃ食べていけないでしょう、どうすんの、仕事捜すの?」
 ミヤビが言い、私は目の前のコーヒーカップに焦点を合わせる。
 「それなんだけどさあ、もし結婚とかの方向に話がいくんだったらへたに仕事とかしないほうがいいかなって気もすんのね」私は言う。そうしているつもりはないのに、耳に届く自分の声はでれでれしている。
 「結婚? そんな話してんの? おれさま男と?」
 「いやしてないよ、してないけど、でも、仕事やめたらいいんじゃないかって言ってくれたのは彼だしさあ、それって、いいほうに考えればそういうことじゃない?」
 「やめなよあんた、いいほうに考えるの。あんたの言ういいほうって、現実に基点をおいてポジティブな思考とネガティブな思考ってんじゃなくて、単純に現実離れしたことなんだもん」ミヤビはコーヒーを飲み干して、煙草に火をつける。「いいほうに考えれば、私は来年ブラッド・ピットと結婚できる」
 「げ、ブラピなんかがすきなの?」
 「いいほうに考えれば、今年の年末宝くじであたる三億で、青山にできるタワーマンションを買える」
 「いくらなんでも、そこまでかけ離れてないでしょ、私の言ってること」
 ミヤビは店員を呼び、コーヒーのおかわりをする。私はミヤビの手元からあがる、細い煙草の煙を眺める。色気店員が去ってから、私は口を開く。
 「あたらしい仕事は、でも当分捜さない。いい仕事が見つかって男運が反比例で減ったら困るもん」
 ミヤビは正面からまじまじと私を見据える。
 「言いたかないけど、あんたって、ときどきぞっとするほど頭悪いことを言う」
 何か言い返そうと口を開けた瞬間、おまたせしました、と映画俳優みたいなしゃべりかたで言い、給仕係が妙に色っぽい仕草でミヤビの前にコーヒーを置く。
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