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入境隨俗

 ある無国籍料理店からナシードが耳に入り、そちらのほうへ目をやると案の定中東圏の浅黒い肌をした店主がいた。彼らは親日的ではあるのだが、如何せん、マスコミで報道される暗いニュース(ジハードやテロ)や、数年前まで上野あたりで偽造テレホンカード売りというイメージが日本にはあり、言ってしまえばおそらく日本人の多くが―あまりお近づきになりたくない―という心情がどこかにある。
 しかし彼らの土地を一歩あるけば私たちのイメージはことごとくぶちこわされる。行く先々でなんのてらいもなく挨拶をし、無償でチャイを提供し、食べものの屋台では金は要らないと言い、タクシーから降りる際にも金は要らないという。世界遺産に指定されている宮殿に赴けば、広場でたむろしている家族らに手招きされ食べ物を与えられる。
 親日的な彼らは日本のことが大好きで、もちろん日本人のことも大好きである。敬虔深く、思慮深くもある。老人を敬い、他者を思い、また悪を憎む。かれらはひどく純粋で且つ質実剛健なのである。私は過去に二度、この土地に足を踏み入れたことがあった。


 それなりに物を書き続けている人間なら誰もが経験すること。物を書くときに、とてつもなく悩む、というか躊躇うということがままある。躊躇う、と言ってしまえばそれに近いのかもしれないが、心情的にもっと砕けた言い方をすると、許されるだろうか、という恐怖に近いもの。

 以前、物書きのコミュニティーに参加した際触れたことでもあったが、どんな物書きでもあまり書きたくない部分というのは存在する。
 それは読み手のことを考えてのことであるのだが、しかし読み手のなかに家族がいた場合、書けることの内容にブレが生じてしまう。このブレというのは書ける範囲に制限がかかってしまうことの弊害であるのだが、たとえば内輪に身体の不自由な者がいるとして、その人のことを書こうとしたとする。書き手は善意と好意のかたまりでもって、その人の葛藤なり矛盾なりを、事細かに誠実に文章にする。一見、なんの問題もなさそうに見えてしまうが、よく考えてみるとこれは一方的なことであって、やり取りではない。

 物書きの集いにいらしていた初老の男性の、彼の母親のF身世話に関する話を読ませてもらったことがある。仲間内でも好評であったし、コンクールでもいいところを受賞したので、寝たきりの母を驚かせようと病室に原稿を持って行ったのだという。しかしかえってきた言葉は「これっきりで堪忍してくんな」というもので、それを最後にこの世を去ったという。彼の心打たれる話はたくさんの人に支持されていたはずなのに(人によっては感銘を受けて涙すら流した)、彼の母親にとっては、話の中身にある等身大の現実に心を痛めてしまうものだったのだ。

 私にはそこまでの重荷を背負う身内がいないので(というか各々吹っ切れている人間しかいない)、神経を遣うということは滅多にない。そもそも私が物書きをしていること自体知っている人間が周りには少ないし、自ら物書きをしてまーすと暢気に嘯く神経を私は持ち合わせていないので、内輪を持ち出して悩むことはあまりない。

 そういう意味で、戸惑うということをあまり知らなかった私が生まれて初めて書くことに戸惑うという場面に出くわしたのは、無国籍料理の店主の祖国に滞在していたときだった。その国に訪れたのは二度目であり、一度目は悲惨な思い出しかなかったので、正直言うと自分はM体質なのではないかと本気で疑ったりもした。
 酒も飲めず、トイレも使いづらい、ひたすら暑く、ほとんど英語も通じない。ホテルのベッドにうずくまりながら、いやなことを一つ思い出してしまうと、芋づる式でその国のいやな所が次々と頭にちらついていく。

 その悲惨な思い出というのは、首都からすこしはなれた郊外で行われていた公開処刑である。日本に帰国したばかりのころは、どうしてそのことが日本で報道されていないのだろうと疑っていたものの、最近になって問題視されるようになって、そういう時代なのかと理解に努めた。
 その国の刑法は、血は血であがなう、と決められている。盗みを働けば、右手を切る。二度目は左脚を、三度目は左手、四度目……と続く。

 しかしそのとき私が見た光景は、未成年らしき少年が目隠しをされたまま人垣に囲まれてたたされている姿だった。黒いマスクをつけた男が彼らの背後に立ち腕をつかみ、そのさらに後ろにはエンジンのかかった大きなショベルカーが構えていた。どんな大罪を犯したのだろう、もしかして国家機密を流した政治犯なのだろうか、それとも無差別大量殺人犯なのだろうかと考えながら、私はその場に同行していたフリージャーナリスト(Iさん)の服をつまみ、早まる動悸をおさえつつ踵を返そうとした。あんなに若いのに、おそらく私より若いだろうに、と考えながら私は早くその場から退散したかった。人が死ぬところをみたことがあっても、人が殺されるところをみたことがない私は、ただひたすら怖かった。

 ペルシア語のわかるIさんは、野次馬の人たちの会話から、先週日本から強制送還されたらしい旨通訳してくれた。犯罪者の引渡し条約をこの国と交わしていたのだろうか、などとどうでもいいことを考えながら、私はIさんの言葉を続けて聞いた。同性愛者で性交のあとが判明したらしい。
 私は足を止めてIさんの言葉に意味もなく相槌を打った。それで、でしたか。私はコーランに並べられた一字一句が、ただの飾り物ではないことを痛切に知った。私は振り返り、しばらくのあいだ風に揺れる黒い点を見上げていた。

 どういう経由なのかは知らないが、少年のパートナーが当局に同性愛者だとバレてしまい、拘置所で拷問を受け、その際にパートナーが少年の名前を漏らしてしまったのだ。息絶え絶えになりながらパートナーは少年に荷物をまとめ故郷から逃げるように知人に言い残し、後の情報でパートナーは処刑されたと彼は弁護士を通じて知った。
 アメリカ圏へは国交の問題で簡単にVISAが取れるはずもなく、とりあえずいきなり海を越えるのを諦め、大陸から海岸沿いに逃げることにした。比較的当局の動きが大人しい隣国の国立図書館で、難民申請を受け入れてくれる国を彼は徹底的に調べ上げた。ヨーロッパ、南米、アジア。そのなかに日本があった。

 いくつかの国を渡り歩き、拒否され、何度か強制送還されそうになったが、西欧中心のゲイ支援団体が彼らを応援してくれ、なんとか難を乗り切り、安心して夜を明かせる国を捜しつづけた。次に頼るのは日本だった。日本がだめならイギリスかノルウェーあたりに飛ぶ予定だった。

 「棄却」
 しかし日本は彼を「拒否」することに可決。理由は彼が同性愛者であることを証明できないということと、同性愛者であることを理由に祖国で死刑が行われる可能性は皆無に等しい、ということ。彼のパートナーが同性愛者だということを理由に処刑されている事実を掲示したにも関わらず、最高裁が出した結論は極めて理解に苦しむものだった。少年は最後の手段として、国交としてはあまり親交のない国に飛び立った。その国で失敗すれば、強制送還は免れないことを承知の上、やむをえなく日本を離れた。
 そして彼は、祖国でショベルカーに吊るされたのである。


 ジャジールを被った女性、一日五回の礼拝に赴く人びと、宮殿の光、水たばこの煙、チャイと角砂糖の匂い。
 首都から有名なモスクへと向かう際に乗ったタクシーの運転手の好意で、彼の家で夕飯をご馳走になり、子供たちに囲まれながら掛け値なしに美しいナシードを聴いた。二度目の来訪ではIさんはおらず、言葉が通じないが、万一と用意した手土産の勾玉を子供たちにプレゼントした。彼らはおおいに喜び、飛びはね、奥さんは空になった私の取り皿に果物を載せる。私はやんわりと断り、しかし奥さんはそれでも食べなさいと言い、私は満腹になった腹をさすりながらマンゴーを口に含み、注がれた淹れたてのジュースを飲んだ。
 台湾のそれより若干生臭い味を舌で感じながら、奥さんに「おいしいか?」と現地の言葉で訊かれ、私は笑いながら急いで首を上下に振った。それと同時に涙がこぼれ落ちた。どうしたのか、と家族が訊いているだろうことは理解できたので、言葉を通じないことを理由に、みんながあまりにも優しいからと、両手を使って表現する。家族は私に指を差して茶化したり笑ったりせず、穏やかな表情で見守った。

 ホテルに戻り、ノートパソコンを開く。書きかけの原稿がモニターに映し出される間、私は初めて、書くということに戸惑いはじめていた。そのときに書いていたものはドナーの話であり、登場人物のなかに同性愛者が含まれていた。乾燥した暑い夏の夜、蝉の鳴き声が部屋に届くホテルの一室で、私はある仮定を思い浮かべた。あの家族の家でこの話の続きを書いている最中に、実は日本語のわかる人が家族のなかにいて、私の小説を読んでしまう。そして私がコーランに叛く行為を働いているとみなし、家族は当局に連絡し私は捕まってしまうのである。

 そして私はもう一つ違う仮定を思い浮かべた。日本語のわかる家族がいたという仮定までは同じで、しかし家族は当局に連絡せず、私を匿うのである。何かの弾みでやはり私は当局にバレてしまい、私を匿った家族は、「コーランに叛く私を匿った罪」で同じく連行されてしまう。私はこちらの仮定のほうが悲しかったし、怖かった。事実、彼らはコーランの教えに忠実であるが、一度受け入れた者への愛はとても深く、身を削る行為を厭わない者がいる。それは私にとって至高の幸いであり、最悪の不幸でもあった。人はみな、誰もが違う生き物なのだ。

 物事の良し悪しは、国を超えて話し始めてしまうときりがないし、私は人間に対してはニュートラルな立場でありたいと願っているので、特定の国籍を持つ人びとを貶めるようなことを言うつもりは露ほどにもない。国を憎むことがあっても、人は憎まない。はっきり言えるのは、あの家族は私を無償の愛で受け入れてくれ存分にもてなし、私はそれにひどく感動したということ。私があの書き物をおおっぴらげに口にした時点であの家族に迷惑をかけてしまい、且つ私は捕まってしまうであろうこと。この二つのせめぎ合いは思いのほか、すんなり私の中に溶け込んでいった。溶け込むかわりに、涙腺が緩んでしまった。

 そういうことを経験してからか、あの国で感じたものが物を書くときの基準になっている。物を書く際に、これは書いていいものなのだろうか、と必ず自分に問うようにしている。誰かを不幸にしないか、誰かを悲しませたりしないか。
 すべての人に支持される小説がこの世にないように、ただのひとりも不幸にしない小説もない。愛される小説はこの世にごまんと存在するが、不幸にする小説は前者の数を超えるほどに存在するともいう。
 
 そのことを教えてくれた彼らの店に、私は足を踏み入れ、串焼きのケバブとノンアルコールビールを注文した。料理が運ばれたときに見せる店主の笑顔に向かって、「メルシー」と言った。店主は今度こそはちきれんばかりの笑顔で、言葉には表現できない微妙な頷き、相手を受け入れるという意を含む懐かしいジェスチャーをしてくれた。初めて彼らの土地を踏んだときに身に染みた恐怖や、感動や、憎悪や、愛情が、ゆっくりとふくれあがるのを感じながら、ナシーブを聴き、驚くことにナシーブの次に西欧の聖歌が流れたのでそれを聴き、ケバブを食べた。
 店内を見渡すと、祖国では偶像崇拝を禁止されているはずのあるものが飾られていた。日本の六法全書にもあたるコーランには、国教であるイスラムからの改宗は死刑に該当すると書かれている。店主はもともとクリスチャンだったのか、「隠れ」であったのかはわからないが、すくなくとも今はムスリムではなかったし、彼は今日本で生活をしている。こんな言い方はへんであるのだが、彼は生きており、私も生きているということをそのとき強く感じた。

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