世話になった聖母教会に従事すること数十年、神に懺悔をしにきた人に、男に嫁ぐ女に、救いを求めにきた子どもに、彼女は歌を唄うのである。それは救いを差し伸べるべき使命感からくる仕事ではなく、彼女にとってはただの人との挨拶とも変わらぬ所作だった。歌を唄うことは共同作業だと思っていた彼女にとって、聴き手がいることは光栄の至りと神に感謝した。
二十代のころ、父が死んだ。両親と一緒に静かに暮らしていた古い家の日常に、ある日暗い雨が降った。
父と母が結ばれ、自分を産み落とし、自分の歌を好んでくれた喜びを歌にのせ、彼女は死にゆく父を見送るのである。
少女は歳を取り、それでも歌を唄うことをやめなかった。
彼女の髪は白くなり、からだは太り、物覚えはいちだんと悪くなる自覚があった。しかし歌を唄うことはやめなかった。
今度は母が死んだ。両親のいない家に、飼い猫のペブルスが一匹残っただけだった。思い出こそあれど、現物はなにもなくなってしまった。
彼女は誰もいなくなってしまった家の、暖炉の焚き火がパキパキと鳴るリビングの部屋で、母がとくに好きだと言った歌をひとり唄っていた。『夢破れて』である。
”だれもが私を求め、その声はやさしく、私を包みこもうとするそんな時代があった
愛は盲目で、すべての言葉は歌のようであり、その歌にならいつでも掬われるそんな時代があった
そしてすべてが終わってしまった
そんな時代があった
過ぎ去ってしまった日々に、夢を見たことがあった
希望はふくらむばかりで、人生が生きるに値したころ
愛は決して死なないと、神は許したまうと夢を見た
若く、なにひとつ怖くなかったころ
夢は作られて、試されて、そして綻びていった
買い戻すべきあてもなければ、歌うべき歌も唄いつくし、酒も飲みつくした
しかし夜には、虎たちがやってくる
やわらかく且ついかずちのような声で
希望を破り捨て、夢を辱しめへと取りかえてしまう
いまでも「その者」が私のところへやってくると
いつまでも一緒に暮らすだろうと夢を見る
しかしそれは幻想で報われることはなく
耐え凌ぐことのできない嵐がやってくる
私の人生が、この地獄のような生活とはまるで違うそんな夢を見ていた
思っていた人生とはすっかり違ってしまった
人生は私が夢を見た夢をこわしていってしまった”
歌を唄う彼女の意識は舞台に戻り、目の前には観衆と審査員がいた。
歳を訊かれ答えると、審査員は目を丸くした。
住まいを訊かれると、聞き慣れない町の名前に審査員は首をかしげ、どんな町かと訊かれると彼女は言葉に詰まった。
どんな歌手になりたいですかと訊かれ、エイリン・ペイジのような歌い手になりたいと答えると、観客はそろって眉をしかめ、口々にあり得ないと罵った。
夢が今でも叶っていないのはなぜかと訊かれると、いままでそのような機会がなかったからだと答えた。
いいでしょう、準備ができたらいつでも始めてください、ご武運を、と審査員の一人は早々に質問を切り上げた。
彼女以外の会場にいるすべての人間たちは、これから先に起こるパフォーマンスに笑う準備をしていた。
彼女は裏方にいるスタッフに親指を立て、サウンドを流させた。何度も何度も母に唄ってみせた曲の前奏が流れてくる。
彼女の母はいまわの際、何度も言った。「あなたは確かにハンディーキャップを背負っているかもしれないけれど、私はあなたにめぐり合えて本当によかった。あなたが私の子になってくれてよかった。歌が大好きな子で、いつまでもいて欲しい」
しかし彼女には消ええぬ不満がひとつだけあった。どうしてちゃんと産んでくれなかったの。頭の悪い女と罵られながら足を無理やり開けさせられることもなかったし、こんな田舎町にいつまでも居続ける必要なんてなかった。私はお母さん、あなたに縛られていたのよ。
しかしそれは母が死ぬまで口にはしなかった。母が死に直面するにあたり、そんなことはひどくどうでもいいことになった。歌を唄うことを、40年以上も信じ続けられたのは、彼女が彼女であるべくしてありえたことだからだった。
彼女のひとつ前のパフォーマンスは、若手のダンスグループだった。拍手喝采で会場が震え、審査員は何度も頷いた。ほかにもいいパフォーマンスはいくらでもあった。年端もゆかぬ少女が愛らしいバレエダンスを披露し、ハンサムな男が情緒ゆたかなアルトサックスを奏で、美しい女性グループがハーモニーを聴かせた。
そんななか、彼女はあらわれたのである。
生活に倦みはじめた頭には薄く白い髪が揺らぎ、落ち着いた生活から体はひょうたんのようになり、いつのまにか両親を失う過程を経て歳を取った。
パフォーマンスの限られた審査時間は二分以内。だれもが二分も経たぬうちに退場ブザーが鳴るものと思っていた。
一瞬で魅了したのである。彼女がいったい会場の人間たちを、何の力でもって黙らせたのか、それはわからないが、その媒体が唄だったのは確かだった。
鋭敏プロデューサーの一人、サイモン・コーウェルがこう評価した。あなたは歌詞のなかに出てくる虎のようですね。彼女はこう返した。どうかしらね。
そして前代未聞の最大の評価でもって、第一次審査を突破してしまうのである。
インターネットや新聞では早くも彼女にスポットライトがあてがわれ、スター誕生の予感と銘打ちもてはやした。しかし持ち上げるところがあるならば、その真逆のゴシップも疾走した。
彼女は世間の騒ぎように辟易し、次の審査の唄い出しでは不調だった。しかしブリッジでは本調子を取り戻し、視聴者を魅了した。
第二次審査の4つにわかれた彼女の属するブロックでは人気投票第一位を勝ち取り、第一ブロックのTOP1として決勝へと勝ち進んだ。
しかしゴシップやパパラッチはエスカレートし、You tubeでも有名になりすぎた彼女はすぐさま体調を崩してしまう。ありもしないデマを流され、体力的にも精神的にも参ってしまった彼女は道中倒れてしまい、入院してしまう。そして決勝を辞退すると零し、翌週に控える決勝戦を前に棄権をほのめかした。
そんなところへもう一人の鋭敏プロデューサーのピアーズ・モーガンが彼女の元へ訪れるのだ。彼女の病室には、彼女の両親の遺影と、彼女が両親の遺影の前で小さく丸まっている姿があった。
ピアーズは言った。あなたはここで引き下がるべきではない。ここで棄権してお父様やお母様にかなしい報告をしてしまうより、あなたを天国から応援してくれているご両親のために前に進むべきです。あなたご自身のために。私はあなたの唄からは、歌唱力とともに、人生を感じたのです。
ピアーズの言葉に振り返った彼女の頬はいくぶん痩せ、医療関係者に聞くところによると体重が10kgも落ちているそうだった。ピアーズは彼女の振り返ったときの表情を見て、とうとう涙をこぼしてしまう。あまりにも落ち着き払った笑顔とともに、ありがとうございますと頭を下げたのだ。みんな友だちよ、歌を唄うことは光栄なことだわ。彼女は達観した瞳で頷いた。
決勝の舞台では、もう一度「夢破れて」を披露した。第一次審査のときよりも表情は謎めいており、視線はスタンドマイクを焦点に斜め下に傾けられていた。
バックライトの青が彼女を照らし、唄はさわりを迎え会場は教会のそれのような雰囲気にいっぺんした。
決勝ではTOP3圏内に入っているユニットが順位不同まず発表され、彼女はその圏内に残った。
11人組みのダンスグループ、アルトサックス奏者、そして彼女である。
3位の発表ではアルトサックス奏者が発表され、残すところダンスグループと彼女だけとなった。
司会が1位の発表に入る間合いの沈黙のなかで、彼女は下を向きながらなにかを口にするのである。
相手チームの名前だった。司会が優勝を口にするまえに、彼女は相手チームの名前を口にしたのである。それは彼女の予感なのか、それとも希望なのか、それとも確信なのか、それはわからない。ただ真実なのは、優勝はダンスグループであり、彼女は2位であることだった。
2位の発表を受けた彼女は心底ほっとした表情を見せ、少女のようにダンスグループを褒め称えたのである。彼女が願っていたなにごとかは、叶っていたとでも言いたげな瞳に、私たちは言葉を噤むのである。
世間は彼女が優勝すべきだと褒め称える一方、ババアざまあみろと罵る声もあった。
素敵な演奏への捉え方には、おおきくわけると二つの側面があると思っている。
絶対価値と、作者の奥にある価値だ。
表現者の人間性は問わず、作品の質だけを見て評価するものが絶対価値という認識である。
表現者の人間性、または人生、容姿、振る舞い、すべてを含んだ総合価値めいたなにものかを作者の奥にある価値と考える。
視聴者はしばしば、いい映画や、いい本や、いい音楽に出会うと、その題名のみならず、その演奏者や俳優のプロフィールを知りたがる。より近づきたくなるのだ。
またそれ以外の視聴者は、たとえば悪い噂ばかりが流れている俳優がこの上ない演技を見せたりすると、彼らは俳優にフィルターをかけることなく映画そのものを愛したりする。
服役している犯罪者や死刑囚が、たびたび秀逸な詩や論文を残したりするのと同じように、生まれ出るものの価値は絶対的なものであるという捉え方もあるのだ。
彼女がはじめてイギリスの有名オーディションにあらわれたとき、私はどんな目で彼女を追っていただろうか。
彼女の名はスーザン・ボイル。スーザンが初めて6月にBritain's Got Talentに出てきたときから応援していたが、ここまで有名になってくれるとは思いもせず心底感嘆し、また夢を分け与えていただいた。
デビューCDの予約販売数がアマゾンで歴代TOPを飾るのを筆頭に、(日本でも歴代第一位に輝いた。二位はMr.Children、三位は平井堅)各国のビルボードでもTOPを総なめしている。
色んな国々の人びとがいったい彼女の唄になにを見たのかはいまさら口にすることでもないが、私は彼女の笑顔を見ていると、人生の重みを垣間見るような気がしてしまうのだ。
彼女が口にする悲しみの歌や、祈りの歌や、真摯な語り部のような歌には、彼女の語られぬ軌跡を感じるのである。どんな才能をもつ凄腕の若手表現者にはとうてい叶わぬ、幸や不幸、生や死を引き受ける人生を感じるのだ。
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