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情報

 困ったことに、イスラム教圏(中東)の資料が集まらない。どの資料を取り寄せても、取得困難とされているVISA手続きのコツだの、ごくごく一般的な文化の紹介だの、すでに知っていることばかりが紙面に並んでいる。これではまずいのだ。私が知りたいはずの現代情報があまり載っていない。私が10代のころに行ったときと変わったことはあるのだろうか。もう一度この足で現地を歩くしか方法はないのか。

 一番知りたい情報というものは通訳されにくいという点があるのである。映画や音楽や絵画といった芸術は寛容的に世界流通するものではあるのだが、活字という媒体はきわめて繊細であり過激な分野なのだ。

 中東某国の日本人学校に通う子のインターネットに、今なお他国の情報に制限がかかっている現状に舌を巻いた。
 古代旧キリスト教から新興宗教として生まれたイスラム教が広められている国々では、政治の決まりごとのほとんどをコーランという聖典で立脚しているので、あらゆる面での規制はとことん厳しい。

 私たち日本人、無神論族が持っているイスラム教圏(ヒンドゥー)への知識は、断食、祈り、女性のスカーフ、禁酒、豚肉はタブー、といった程度の表面的な情報である。

 しかし建前と実情は違う。私が過去に知り合った中東圏の若者たちは(それも日本在住の大使館の息子でもあった)、渋谷に繰り出して酒は飲むわ、断食期に好きなものを食べるわ、女遊びはするわ、葉っぱについては詳しいわで、敬虔で真摯な信者のイメージを軽々とくつがえしてくれた。誤解のないように付け加えるが、彼らは人としてすばらしい人情と聡明さを兼ね備えていたということを明記しておく。

 まず、中東圏に生まれ、両親がイスラム教に属しているのであれば必然的にイスラム教に入信しなければならない。必然とは言ったが、言いかえれば強制的である。ここまで知っている人はまだいるかもしれないが、この先の具体的な『仮定』については、遠い島国にいる私たち日本人のほとんどは知らないのではなかろうか。

 入信を断ったり、唯一の神アッラーを信じることをやめたり(脱教)、ほかの宗教へ移ったり(改宗)、神そのものを信じることをやめたりするとどうなるか。
 死刑である。
 豚を食べようが、女と仲良くなろうが、断食を怠ろうが、それは規律でいうところの「あってはならない」ことになり法に抵触するが、罰せられるほど表沙汰になることはない。
 死刑に値するものは、もっと身近なところにあるのである。

 ところで中東での死刑が存続されている国では公開処刑が基本であり、それは本当の意味での抑止力として揮っている。悪いことをすればこういうことになると小さな子どもに見せるのである。日本人がしばしば死刑存続の是非を語る上で、このことについては触れずに表面だけをなぞるのはなぜなのだろうか。
 抑止力を支持して死刑賛成に手を挙げる人らが、自分の子どもらに公開処刑を見せるのは(もちろん一般成人も含め)教育上、精神的な面での問題を危惧する点については誰も触れていない。矛盾が生じていることに気づいていないのだ。いかに感情論で死刑問題に軽々しい発言をしているかという認識がきわめて低いのだ。
 情状の酌量はなく死刑でもって罪を償うほかない、といった法廷の言葉を私たちは耳にたこができるほど聞かされている。聞かされすぎた一般人は、死刑=消去であり、人を殺すという式で捉えきれていない。

 世界的な流れとして死刑廃止はすすんでいるが、具体的な数字はあまり知られていないので記述をば。
 現在190カ国あるうち、あらゆる犯罪に対する廃止が92カ国、通常の犯罪にのみ廃止が11カ国、事実上廃止が36カ国である。
 そして存続させているのが60カ国である。
 通常の犯罪にのみ廃止というのは、国家問題やとりわけ軍事に関わる大きな犯罪以外という意味である。
 事実上廃止というのは、死刑執行のサイン欄はあるが、ここ数十年死刑を執行した記録がないという意味である。
 さらに絞っていくと、死刑判決を下したものの死刑を運用した国はさらに少なくなり、わずか20カ国という数字である。中東圏、中国、米国、日本くらいである。そのなかでも日本は絞首刑であるわけだが、この絞首刑。世界的に見ても野蛮で卑劣な処刑方法として見られている。
 

 (死刑について調べている)某日本人学校に通う中学生生徒のインターネットについての話に戻るが、ある日まで閲覧可能だったサイトあちらこちらに制限がかかりはじめているらしい。つまり、情報がシャットダウンされはじめているのだ。アムネスティへのサイト接続が遮断されたと聞いたときは絶句した。(いまでは開通しているらしいがそれでも不安定らしい)。
 情報が途絶えてしまうということは、いったいどういうことなのか。
 私たちが情報を手に入れるための媒体は、あらゆる場所であらゆる手法で溢れかえっている。情報の数が多すぎて、正確な情報をもまきこんで氾濫するほどではあるが、私たちは情報を『選ぶ』ことができる。差し出された情報の是非を選択し、納得したいほうを飲み込むことができる。
 しかしシャットダウンとなるとどうなるのだろうか。これは宗教風習うんぬんの問題ではないような気もする。
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