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月に水があった。確たる証拠がなく、いわば可能性が高いという表現でしか水の存在を提言することのできなかった宇宙論を、人はようやく打破することができたのである。
有人飛行船、アポロ計画の記憶はいつまでたっても新しい。訓練中に火災事故が起き、犠牲者をも出したスペースシャトル。月への旅立ちは決してあまいものではなかったし、人々に伝えられる伝説のような明るい話ばかりでもなかった。他国への猛威を示す技術でもあった。
有人で月面着陸を果たした宇宙飛行士は、現時点で最初で最後、たったふたりだけである。当時のNASAの予測では、彼らが乗っていた最終(結果的に最後となった)アポロ計画の成功率は50%だった。人命をかけている割にこの数字、人が月へ向ける情熱、といえば聞こえはいいが……あくまでも私は、情熱のほうを信じたい。
ところでいまだに月への着陸に疑問をもつ人びとがいるらしい。ゴールデンタイムで捏造を暴くかのような番組が流れている有様、この国の放送界のレベルの低さに目も当てられない状況である。
当時、冷戦状態だったアメリカにとって、月への有人着陸は政治におおきく絡んでいた。代理戦争や政権関係から、国の威信は失墜しきっていたし、ベトナム戦争の敗北色を筆頭に共産主義の力に押され気味だった。
国民の信用をもう一度勝ち取るには、もはやアポロに賭けるしかなかったのだ。そういう側面をも担っていたアポロ17号。純粋に人びとの夢だけを背負って空を飛んだわけではないのである。
国家予算を大きく超える莫大な資金、色んな意味で決して死ぬわけにはいかないフライト、そんな義理やら夢やらをいっしょくたに抱え込んで飛び立った元宇宙飛行士たち。月面から見た地球を「青い円盤」と仰いだ彼らの胸の内は、だれかに語られるものではない。
ふたたび月への有人着陸スペースシャトル計画を始めるには、あと10年かかるという。水があることで、酸素や飲み水といった生命には欠かせない物質があることがわかった今、「月」という星に人類の将来を見る科学者や政界の人間が多い。
月への羨望は、海を渡ってフロンティアを巡る、大航海時代を連想させるものがある。
新しい土地を見つけたものがその土地をどうこうしようとしたり、新しい花や虫の名前をつけたりするのと、宇宙の星の存在そのものを牛耳るのとは違う。
現代では宇宙憲章というものがあり、日本もそれに批准している。月に行って旗を立てたから「ここは俺のもの」と言ってもそれは認められない。いわば、だれかの所有物にすることは、互いに認め合うべきではない、とされている。
宇宙戦争、ということばは映画やアニメでよく使われる言葉ではあるが、事実上、宇宙での研究はすべての国にとって平和利用であるべしとされているので起こり得ない。水面下の話を持ち出せばそれはいくらでも埃は出てくるだろうが、そもそも人間が、生まれた地球を出て、ほかの星を汚すのは穿った了見のような気がする。憲章そのものが、互いを牽制するためだけに存在しているのではなく、本当の意味で新天地を平等に渡り歩くためのルールであることを忘れないでほしい。
以前、夢に見た月があった。そこではすべての国から選任された代表者がこぞって月を歩き、手をつないで輪をつくり写真を撮るのである。「青い円盤」を背に笑い、異国のことばで地球をなにものかに例えるのである。
幼いころ、公園は誰のものでもなかった。いいかえればみんなのものだった。ブランコも鉄棒も砂場もジャングルジムも、ときには順番待ちをして、ときには分け合って、知らない子どもと一緒になって楽しんでいた。
月の水も土も重力も、だれのものでもないということを、戦争を経験した人間は、子どもの心で月に立ち、大人の心で平和の重みを再認識するのである。
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