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失意

 丸の内周辺の地下鉄の駅は、ホームに安全策が設置されるところが増えている。事故の防止という名目の裏に、通勤する人々はそれが自殺防止のためであることを知っている。
 未曾有の長期不況からリストラという言葉それ自体に対して人々の耳はすでに不感症になっている。明日、失業するかも、という不安は、丸の内周辺で働く誰の背中にも背負わされた透明な重荷。失業以外にも人生に絶望する理由は数限りなくあり、毎日、どこかの駅で誰かが飛び込み自殺する。そうした最期に同情する気持ちはあっても、自分の通勤時間に自分が利用する路線でソレが起こると、人々が考えることはただひとつ、迷惑だ、ということだけ。電車が遅れ、空気の悪いホームや狭苦しい車内で待たされる人々は、死ぬなら誰にも迷惑をかけずに死ねよ、と心の中で思う。自分も例外ではないことに、少しだけ怖いと感じる。
 とりつかれてしまった妄想、憎んだ者が死ぬという妄想はそうした心の延長線上にある。そう考えると、自分が妖怪か何かのように思えた。
 目を閉じ、闇を捉えた瞬間、その者が目の前のホームから身を躍らせて、走りこんで電車の前へと飛び出していく場面を心に思い描いていた。思いのほかリアルに浮かび上がりきつく目を瞑る。おそるおそる目を開けた時、そこはまるで平穏なホームがあった。一様に疲れた顔で電車を待つ人々の姿。
 安堵した。妄想は現実にはならない。そうわかっていても、さっきの光景はリアル過ぎたのだ。
 ふと、彼の顔があたまに浮かぶ。からだに栄養が足りなくなると、存在不足になる。そういった彼の顔。
 「やあ」
 彼は、私の顔を見つけてうれしそうに笑った。
 「あなたもこの線でしたか。おかしいな、どうして今まで一緒になったことがないんだろ」
 「高校の頃からずっと利用してますが」
 喧嘩でも売るような口調に自分が驚く。もちろん彼と喧嘩したかったわけではなく、彼のことを考えた瞬間に目の前に現れたように錯覚して、驚きのあまり攻撃的になっていたのである。
 「自殺か」
 彼は唐突に言う。
 「電車ですよ。人身事故で遅れている、とさっき、アナウンスあったでしょう」
 「ええ」
 気持ちを落ち着かせようと努力しながら頷く。
 「そうみたい……ですね」
 「どのくらい遅れるでしょうか」
 「どうでしょう」
 「ここ数年、飛び込みは多いから、処理するのも慣れてはいるだろうが」
 不謹慎だ。今さっき自分がした想像のことは棚上げにし、彼の無神経さに憤りを覚えた。仮にも人ひとりが死んだという時に、処理するだのしないだの、どうしてそんなものの言い方ができるのだろう。だが彼は相変わらず、こちらがどう感じているかなどは頓着していなかった。
 「一度、飛び込みのあった直後の場所を電車で通過したことがあるんです。とある私鉄でね。その時も人身事故で遅れるアナウンスがあり、混雑した車内で二十分か三十分くらい閉じ込められました。いい加減、腹がたってましてね、死にたいなら山奥にでも行って誰にも迷惑をかけずに首でも吊ればいいじゃないかと思った。でも電車が動き出してすぐ、線路の際をバケツを提げて歩いている私鉄の職員に気付きました。暑い夏の日で、その職員は首に白いタオルを巻いていて、それで盛んに汗をぬぐっていた。電車は徐行していました。それでゆっくりとその職員の姿を眺めることができたんです。その男は、なんとも表現しがたい顔つきをしていました。泣いているような笑っているような、怒っているようにも見えたし無表情にすら思えた。不思議でしょう? なんと言えばいいのか……ありえない顔、と言えばいいのか。普通の人間が示す感情とは違うものをその顔に浮かべていたんです」
 瞼がけいれんし、不快な呼吸をただ繰り返していた。からだのだるさは頂点に達し、ひたすらに目が重かった。
 「その時、俺気付いたんです。職員の提げてるバケツん中に、赤いものがいっぱい詰まっていたんですよ。でも真っ赤ではない。白いものやピンク色のものが混じっているんです。なんだろう、あれはなんだろう。考えました。でも分からなかった。そのうちに電車はスピードをあげた。職員の姿が見えなくなってしばらくして、ようやくわかったんです。私鉄の職員は、それをひとつずつ手で拾ってバケツに詰めて、集めていたんです」
 冷静な口調が、かえってその場の光景をまざまざと脳裏に描き出させ、吐き気を覚えた。
 「そう思い至ったとき、俺は気付いた。誰かに自分のかけらを拾ってもらいたいんだって。山奥でひとりでそっと首を吊ったんでは、永遠に誰にも知られない。発見されたとしても、死体はすでに白骨化しているかもしれないし、腐ってどろどろに溶けているかもしれない。野犬に食い荒らされているかもしれない。電車に飛び込めば、誰かが片付けなくてはならないんです。誰かが拾ってくれる。まだ体温のある、赤い血が出ている肉体の破片を誰かが拾って、そこについさっきまで生きていた人間がいたことを実感してくれる。そしてその人間が今はもう死んでいることも、同時に実感してくれるでしょう。最期の最後に、自殺者はそれをして貰いたいんだ。ソレが分かってから、彼らの気持ちが、少し身近に感じられるようになりました」
 「私には……理解できません」
 呟いた。吐き気がおさまらず、どうして彼はこんなひどい話をしているのだろうと、その意図がわからず、ひたすら気味が悪かった。彼はようやく、相手の顔色が悪くなったのに気付いたのか、あたまをかく仕種をした。
 「ああ、ごめんなさい。こんな話、いきなりするもんじゃなかったですね。申し訳ない。つい思い出してしまって」
 「いいえ……あの、すみません。今日はJRで帰ることにします」
 「そうですか。そうした方がいいかもしれませんね。いつ電車がくるかわからないし」
 「失礼します」
 頭を下げ、改札に向かって歩く。つい逃げるような足早になってしまうのをおさえることが出来なかった。今日の今日まで人畜無害な男としか認識していなかった存在が、やけに大きく威圧的で、どこか恐ろしいものに感じられていた。
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