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認識

 運命、という言葉が、私の頭のなかをぐるぐるとまわる。二つの漢字が右回りで入れ替わり、命運、という言葉が浮かんだ。運命と命運。どちらがこの状況をおさめるのだろう。
 ここ半年で急激に悪化している彼の症状。スキルスの「原因」ははっきりしている。彼が賞をとってプロになったことが、彼の命を縮めてしまった。苦痛や体調不良を感じていても、彼はそれを抑えつけ、周囲の期待に応えようとした。おそらくは、これまでの人生で最大のプレッシャーに耐えながら。
 行方不明になった原稿がもし受賞していたら。
 死ぬはずだったのは、自分なのだ。
 何も知らない間に、彼と私とで激しく引っ張り合っていた寿命の綱。
 私には死神が見える。私は顔を両手の掌に埋めた。
 何かの気配を感じて顔を上げた。そこに萱野が立っているのを見ても、私は驚かなかった。
 「こういうことだったのね」
 私は、一度上げた視線をまた掌に落とした。
 「そうやって、高みの見物してるのって、さぞ面白いでしょうね、死神さん」
 「面白いとかつまらないとか、そういうふうに考えたことはありません。すべてはただの仕事ですから」
 「ただの……ただの仕事」
 指先から怒りとも悔しさともつかないもので震えがほとばしった。
 「人は……人間は死ねばすべて終り。何も残らない。全部奪ってしまう、その、死ぬってことを仕事だと……ただの、仕事だと」
 「俺の存在が腹立たしいでしょうね。俺の存在していることを知ってしまったことが、腹立たしくてたまらないでしょう。わかります、とは言いません。俺には死すべき運命の人の心など、もう永遠に分からないのかもしれない。その昔、今のような存在になる前は、俺にも人だったという幽かな記憶はあるんです。でも、もう思い出せない。死に対する恐怖や怒り、諦めや憧憬、そういったものは何一つ、思い出せない。また、思い出してはいけないのだと考えることにしています。生れ落ちたその時、いや、受精卵となったその瞬間から、生命は死に向かって歩みはじめる。それがこの星の掟です。俺はたぶん、選ばれてしまった管理者なのでしょう」
 私は顔を覆ったままで訊いた。
 「何も知らなければ……自分の運命なんて知らずにいれば、もっとずっと……どうして私に、こんな残酷なことを教えたの? あなたは誰にも姿を見せるわけにはいかないんでしょう? 世の中のほとんどの人は、死ぬ間際でしかあなたを見ない。あなたの存在なんて知らずに終わる」
 「俺に気付いてしまう人に対しては……俺にもコントロールできないんです。できるだけあなたの周囲とあなたの認識とにずれが生じないよう繕うのが精一杯で。あなたに佐伯の話をしましたね。彼と同じなのです。あなたの佐伯も、感受性がおそろしく強い。昔から、我々の姿を見てしまう人間というのはずっと存在してきました。その力を持つことが悲劇なのか幸運なのか、俺にはわからない」
 「命の綱引きの話なんてしなくても良かったじゃないか。私の代わりに死人が出るんだよ。よりによって彼が……こんなこと、私が知ってしまって、それでこの先いつもそのことでくよくよして、生き残ってしまったことに良心の呵責を感じながら生きていけ、あなたは、そう言いたいの? 私は……まっぴらだ」
 「あなたの苦しみを消してあげることは、できます」
 私は顔を上げた。
 「簡単にできますよ。というより、消してしまわなければならない、それが我々のルールだから。あなたの記憶の中から、俺に関する部分を綺麗に消してしまう。俺の存在の痕跡すら、残りません」
 「そんな馬鹿げたこと」
 「馬鹿なことでも、事実です。これまでもずっとそうして来ましたから」
 「でも私の記憶だけ消しても、あなたのことは他の人間が覚えている」
 「いいえ」
 萱野は首を横に振った。
 「覚えていることはできないんです。いえ、そもそも、同僚たちにとって、俺は今でも、存在していない。俺を知っているとあなたが思っているだけです。最初から、問題になっているのはあなたの認識だけなんです。俺は、あなたの認識に対してだけしか働きかけていない。あなたが同僚たちと会話するときに仮に俺の話が出たとしても、それはあなたが演出した会話なんです。あなたは確かに同僚の口から俺の話題が出た、と思うかもしれない。しかしそれはあなたの錯覚です。あなたの認識があなたの頭に、まやかしの会話を記憶として残した、それだけのことです。空耳、というものがありますが、あれに近いと思っていいでしょう。会話が、音として残る。同じことは視覚においても可能です。あなたの目に、同僚と俺が一緒にいる場面が見えているとしても、それはあなたの認識が見せた幻。この世の中の、事実はすべて、誰かの認識の範囲で確認された事柄に過ぎない。デジャヴも然り。一切が神の昼寝の夢、なのかも知れません……俺も含めて」
 「わけが」
 激しく首を横に振った。
 「わけがわからない! あなたの言葉なんて、信じられない……」
 「無理に信じる必要はありません。ただ、あなたが今、心に抱いている苦しみからは、必ず解放してあげます、と約束させてください。あなたは良心の呵責など感じないで、これからの人生を謳歌することができる。あなたにとって彼の存在はやがて、ただの記憶に変わる。ただし」
 萱野は、一呼吸おいて言った。
 「彼の作品は、この世に残ります」

 私は顔を上げた。
 萱野は不思議な表情をしている、と私は思った。

 「佐伯祐三はわずか三十で死にました。佐伯がこの世で生きた時間はとっても短かった。しかし、彼の絵は今でも美術館に飾られ、多くの人々がその絵を前にして何かを感じ、何かを語る。佐伯のいのちは、消えたと言えるのか。佐伯は、死後も生者に影響を与え続けている」
 「影響」
 「彼は、もう間もなく、亡くなるでしょう。俺は彼の魂を引き取りに来たのです。でも彼の作品は残る。そしてもしかしたら、あと数年、あるいは数十年は、生者に影響を与え続けるかもしれない。その影響が続く限り、彼の存在は消えたことにはならないのだ、と感じないでしょうか。はたしてあなたと彼と、綱引きに勝ったのはどちらなのだと思いますか?」

 私は、何度も瞬きした。萱野の姿がゆらゆらとゆれ、こころなしか輪郭がぼやけたように見えた。萱野の存在を認識しているのは自分の脳だけ、自分以外の物にとって萱野は存在していないものなのか。萱野と絵を見たりレストランで食事をしたあの記憶は、いったいどうなるのか。テーブルに案内してくれたギャルソンや、レジの精算係のあの人たちは、萱野の姿を見ているのではないか。見ていない、などということがあるのか。あの時の一切合切も幻で、本当は、私独りで食事していただけだ、というのだろうか。

 綱引きに勝ったのは、どちら?

 「勝ったのは……勝ったのは……」
 私は傷ついたCDのように繰り返した。口の中でぶつぶつと、何度も繰り返す。
 「に、西村……さんでいらっしゃいますか?」
 震える声が聞こえて私は我にかえった。萱野の姿はどこにもない。目の前にいたのは、二十台半ばくらいに見える痩せた女性。その人が彼の近親者であることはすぐにわかった。顔だちが……顔立ちがよく似ている。よく、似ている。
 「あの子は、あの子はどうなったのでしょうか? 容態は?いったい……」
 女性はしどろもどろになってしまった言葉をもどかしそうに繰り返した。私は立ち上がり、女性の肩をそっと抱いた。家族が見えたら、病院の者に知らせるように言われていたことを思い出した。

 彼女を彼の病室の前まで送り届け、私は彼の顔を見ないで病院を出た。顔を見れば、きっと、彼が何を思っているのか、彼は勝利したのかそれとも敗北したのか、それがわかるだろう。それを知ることが怖いのだ、と、私は自分の気持ちを知った。
 病院を出た足は、無意識に東京駅へと向かっていた。ブリヂストン美術館へと。
 佐伯祐三の絵の前で、私は立ち尽くした。
 佐伯の声を聴いていた。佐伯の遺した絵が、美術館の空間いっぱいに響かせている。私にもそれが聞こえた。
 佐伯は求めていた。その指先がもう少しで届きそうになっていた、栄光の輝き。だがその輝きは実態のない何かだったのだ。名声や金銭などではない、もっと厳然として高貴で、そして冷たい、永遠の何かだった。人間が求めてはならない、求めることを神によって禁じられた、何かだった。

 横に、萱野が立っていることを私は感じた。だが顔を絵に据えたまま、私は言った。
 「わかったような、気がします」
 萱野は黙っている。だがその気配が、優しく同意したもののように感じられる。
 「彼は、勝ったのでも負けたのでもない。最初から、綱引きなどしていなかった」
 萱野の低い、ええ、という声が聞こえた気がした。
 「彼は死の痛みを我慢して、無理をして続けていたのではなかった。この世界で形になる何かと引き換えに、辛くてたまらないのに続けていたのではない。彼は本家の人間で、思うように生きられない自分を助けてくれた唯一の味方……お姉さんにいい思いをさせ、自分たちを馬鹿にした者に対してざまあみろと言いたいために、無理をして頑張った、そんな物語には何の意味ももたない。そんな物語など、あなたの手にかかればすべてご破算にされてしまいます。運命は人を翻弄することができる。簡単に、できる。でも……彼ははじめから、そんなものを求めていたのではなかった。あなたはたとえ死神であっても、彼から幸福を奪うことはできなかった」
 私はもう一度、深く、長く息を吐いた。
 「あまりにも強く、激しく、狂おしい快楽だったんです。彼も、この絵を描いた孤高の青年画家と同じに、その快楽の虜となり、決して掴むことのできない栄光に向かって手を伸ばし続け、そして死ぬ。佐伯が最後にあなたを出迎えたのは、とても幸せだったから、なんだ。絵を描く、そのことに耽溺し、すべてを投げ出し、何もかも失い……衰弱していく肉体と精神との両方で、この人は、神にも近づく快楽を味わっていた。何もないところから何かを創り出す、それは、神様の行為です。彼も同じだった。肉体的な苦痛を本当に忘れてしまえるほど、彼は……」
 萱野が頷いたのが見えた気がした。萱野は確かに今、満足して微笑みながら頷いている。それが私には分かった。

 「私たちが初めて出逢ったのって、あの日の喫茶店、ということですよね? それまではあなたがあの事務所にいる、という錯覚を、私は持っていなかった。……あの喫茶店の名前、覚えてます?」
 返事はない。
 「たしか、鳥小屋、っていう、なんだか甘味処みたいな名前。それで連想したんだけど、昔、舌切り雀の話を絵本で読んだ時、なんだか割り切れないものを感じたんですよね」
 萱野がこちらを向いた気がした。
 「糊を舐めたってだけで雀のベロを切ってしまう老婆。ひどいじゃないですか。なのに、そのおばあさんが鳥たちの宿を探し当ててやってきたとき、鳥たちは老婆にまで、どっちのつづらが欲しいか選ばせている。大きなつづらと小さなつづらで、小さい方を取れば欲張りじゃないってことになって、中には小判がざくざく、でしょ? 老婆は欲張りだった。だから大きいほうを取った。そしたら中から、お化けがいっぱい出てきた。確か、そんな話だった。萱野さんは、死神だから絵本なんて読んだ記憶、もう持ってないですよね」
 また、ええ、という低い声が聞こえた気がした。
 「仲間の舌を切り取った老婆に、つづらを選ばせる必要なんてない。子供心に、私はそう思った。もしあの老婆がもうちょっと利口で、小判ってのはとっても重いものだから、大きいほうじゃ持てないし、きっと大きいほうは小判じゃなくて別の物が入っているだろう、なんて気を回して小さい方を選んでいたら、そんなひどい人が小判をたくさん貰ってしまうことになっていたかもしれない。何もやらないと帰らないだろうから何か押し付けてやれ、というなら、大きなつづらだけ渡してさっさと追い出せばよかったんだ。そのまどろっこしさに、すごく不満を感じたんです」
 萱野が笑った。
 「それにもしかしたら、どっちのつづらにもお化けが入っていたのかもしれない。それだと鳥は老婆をだまして、それを楽しんでいたってことになる。それじゃ被害者としては陰険かなって。私、理屈っぽい子だったから、そんなことを深読みして不愉快になっていたの」
 萱野が静かに頷いた。
 「萱野さん、あなたに命の綱引きのことを言われたとき、私、あの民話を思い出した。どっちがいいか私に選ばせるようなことを言っておいて、結局は定められた運命から逃げられない、私は意地悪な老婆みたいなものじゃないか、って。でもやっと、わかった。私は……あの老婆ほどにも生きることに真剣じゃなかった。だって、どっちのつづらにも希望が入っていない、そう疑い続けてた。老婆は少なくとも、つづらの中に金がたくさん入っていることを信じてた」
 今度は身じろぎした萱野を感じた。
 「さよなら、なんですね、死神さん」
 私は笑った。久しぶりに笑った気がする。
 「あなたは消えて、私の記憶からもあなたは消える。でもそれは、あなたの仕業なんかじゃないんだ。私の、私自身の選択なんだね。私は私の意志であなたを認識した。そして私の意志で、あなたを忘れる。次にあなたを見る時は、私の人生が終わる時だ。そのとき、もう迷っていないと思う」

 私はそう言い終えて、横を向いた。萱野の姿はどこにもなかった。だが記憶はまだ残っている。いったいいつまでそれは残っているのだろう。たぶん、もう間もなく、死神と”デート”をした思い出は、完全に自分の中から消えてしまう。
 私は急いで美術館を出て、入り口のところで、さもはぐれたという顔で係の女性に訪ねてみた。連れがもう外に出てしまったかどうかわからなくて。見かけませんでしたか?
 女性は言った。
 「お連れ様でしたら、さきほど、出口に向かわれました。ご気分がすぐれない御様子でしたが……」
 私は満足した。これがすべて私の見ている幻なのだとしても、ここで今、自分は死神と絵を鑑賞し、創造の神の掌の上で生きているということについて、語り合ったのだ。私はゆっくりと美術館を出た。都会の夕暮れは灰色の中に茜を混ぜ、それなりに美しく見えるが、私はそれを美しいという言葉に乗せて表に出すことはできないでいる。
 自分は今、大きなつづらを選んだ。その中にお化けが入っていると知っていて、より大きな方、より魅惑的な方を選択した。やがて自分も知ることになるに違いない。いや、知りたいのだ。知りたくてたまらない。命を縮めていることすら気にならなくなるほどの、痛切な快感。創造の神に手を伸ばし、その輝きに触れようとする、その悦楽を。
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