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奇跡

 「ラッキー」先輩は指を鳴らした。
 「どうしたんです?」興味もないのに訊き返すのは、礼儀みたいなものだった。
 「これ見ろよ。中学生が生意気な同級生を呼び出して、殴る蹴るで再起不能にしちまったんだと」
 「それが何で、ラッキーなんですか?」
 「この事件、うちの県で起きたんだよ。でもな」それから先輩は、事件の起きた市を口にした。隣の市だ。「あそこなら管轄が違う。もう少しこっち側の子供だったら、アウト。うちで担当することになっていたんだぜ。こんな面倒な事件、俺は嫌だよ。ラッキーだろ」
 「それは、まあ、そうですね」
 「なんだか、今日お前、元気ねえな」先輩はさっきまで、四コママンガの吹き出しをぶつぶつと音読していたくせに、僕の暗い気分を敏感に察知していたようで、そんなことを言う。
 「いつもこんなものですよ」
 先輩は鼻息を荒くした。「あれだろ? この間の女の子だろ。小山内さんに聞いたよ」
 「聞いたんですか」僕は息を吐く。
 数ヶ月前に担当した、女子高生のことだ。見知らぬ中年男から五万円を受け取ってセックスをしたらしい。たぶん、日常的に。きっと、バイト感覚で。そういうやり取りを「援助交際」と呼ぶのが、僕には抵抗があった。何が、「援助」でどこが、「交際」であるのか分からないからだ。「パートタイム性行為」とか、「商業的セックス」と言うほうが、まだ的を射ている気がする。
 その子には薬物常用の可能性もあり、鑑別所に入れられた。そして、僕のとろこに来た。
 彼女は、会ってみるとなかなか素直な子だった。ように、見えた。「わたしが馬鹿だったんです。後悔してます」と唇を噛む姿は僕の心を打ったし、「あこがれている同級生がいるんだけど、告白なんて無理」と顔を赤らめた時には、救ってあげたいと本気で思った。
 だから僕は報告書に、「保護観察がいいのではないか」と書いた。つまり少年院に行くほどではない、と。彼女がもう一度人生をやり直して、同級生と恋愛をするには、それが一番で幸福で正しいスタート地点だと思ったわけだ。審判でも認められた。
 それなのに保護観察中のその子が、また同じ罪で捕まった。
 そういうこと自体はよくあることだった。小山内さんの女性らしい言葉を借りれば、「家裁の調査官がサラリーマンよりも多く経験できるのは、裏切られること」らしい。でも、その時の僕はいつも以上に悲しかった。悲しさのあまり、彼女に再び会った時に、「どうして」と問い詰めてしまったくらいだった。きっとホルモンの調子とか、自律神経とか、どこか体調が良くなかったのかもしれない。だからそんなことを口走ったんだ。そう思いたい。彼女は、「反省なんかするわけないじゃん。ネンショーとかに行ったら大変だしさ、調査官なんてちょっと反省したふりすれば優しくしてくれるって、友達から聞いてたから」と早口で言って、「ちょろいのよ」と舌を出した。
 そういうわけで、その頃の僕は落ち込んでいた。裏切られた悔しさに怒り震えるというよりも、ただ自信を失っていた。自信って何だっけ、という具合だった。
 「気にするな」男前の先輩は軽々しく言う。「俺たちは、子供の話を聞いて、親の話を聞いて、そいつを報告書にまとめて、それで一丁上がりなんだよ。ロッカーに積まれた事件の数を見ろよ。あんなのいちいち本気で向かい合っていたら、大変だぞ」
 「まあ、そうですねえ」
 「俺たちがありとあらゆる少年少女の父なんかになれるわけがないだろうが。それなら宗教やったほうがてっとり早いっつうの」
 実際、先輩はいつもそういう乱暴な言い方をする。「適当でいいんだよ、適当で。人の人生にそこまで責任が持てるかよ」
 けれど、僕が出会ってきた調査官の中で、彼ほど少年たちに慕われている人は見たことがなかった。審判が終わったあとでも、担当した少年たちが電話を寄越したり、修学旅行の土産を持ってきたりする。あれはまったくもって不思議なことだ。
 穏やかな小山内さんが、僕によく言う。「彼くらい調査官に向いている人はいないよ。けれど、彼のやり方をマネしては駄目だからね」
 マネはできないが、調査官に向いているということには同感だった。先輩は僕にはとうてい持ち得ない精神力の強さと、多少行き過ぎた彼自身だけが認める正義心を持っていた。

 落ち込んだまま忙しさに身を投じている僕を誘ってきた先輩は、意外にも予想通りの行動を取ってきた。まだ僕が少年係に属していた頃で、職場の仲間たちで飲みに行き、そこで隣の座席の中年男性たちに絡まれた時のことだ。管理職の会社員と見える男たちは、僕たちが家裁の調査官だと分かると、「少年法はなってない」と演説をはじめ、「おまえたちが甘やかしているんだ」と真剣な怒りを浮かべた。
 どうやら彼らは、前日の晩に放送されたテレビ番組に影響を受けていたらしい。「少年犯罪」の特集番組で、僕もちょうど部屋に来ていた友人と一緒に、それを観ていた。「少年法は甘い」という結論ありきのつくられ方ではあったけれど、確かに僕から見ても、「ひどい」と思わざるを得ない部分はあった。特につらかったのは、十年ほど前、新婚夫婦を殺害した犯人たちだ。
 十八の少年をリーダーにした、十代の五人で、買い物帰りの新婚夫婦を車に引き込んで、連れまわした。聞くに耐えないような、暴力を振るい、命乞いをする二人をじわじわと殺害し、山中に埋めた。リーダー格の男は無期懲役となったが、他の少年たちについては十数年前の懲役を終え、すでに社会復帰をしている。そのうちの一人が、素顔は隠したままだったが、インタビューに答えていた。
 「被害者の二人への謝罪の気持ちは、今もありますか」と訊ねられ、当時の少年、今は二児の父親となった犯人は、「それどころじゃありませんから」と暗い声で答えた。「俺も自分の生活でいっぱいいっぱいなんで、放ってほいてくださいよ。どういうつもりですか」と憤慨した。
 「どういうつもりだとはどういうつもりなわけ」
 隣に座っていた古い友達は、テレビ画面に向かって、罵りの声を上げた。たぶん、番組を観ていた日本中の人々が、同じ台詞を同時に発したのではないだろうか。具体的な状況や原因がわからないうちは、少年の台詞を真に受けてはいけない、メディアコントロールの可能性がある、と僕は経験上知っていたけれど、そこで、彼に何か言うことはできなかった。
 中年男たちは、さらに絡んできた。「少年院に何度も通うガキとかもいるんだろ、駄目なガキは駄目なんだよ」「非行少年が更生するなんて、ドラマじゃねんだから」「あんたら、ずるいガキに騙されやすいんだ。そういう顔をしてるよ」と酒のせいなのか、彼らの不満や不安がそうさせるのか、次々と大声で訴えた。
 正直なところ僕は腹が立ったけれど、彼らのいいたいことが分からないでもなかったので、反論はできなかった。少年事件は学問じゃないから、議論しても答えはでない。目頭が熱くなって、胸が苦しかった。自信を完璧に喪失していたところに、追い討ちをするような言葉に涙が出そうだった。出掛かっていたと思う。
 そこで、ただ一人口を開いたのが、それまで興味がなさそうに食事をしていた、先輩だった。「昨日のテレビで何をやっていたか、知らねえけどさ」と面倒臭そうに前置きをしてから、「少年ってのは一種類じゃねえっつうの」と言った。
 「何だよてめえ」中年男が喚いた。なかなか、迫力のある声だった。「しょせん、非行に走った奴はどうにもなんねんだよ」と声を荒げた。
 「うるせえなあ」先輩はさらに億劫そうに、耳を掻く。「あのさ、映画評論家が、年間、どれくらい映画を観るか知ってるか」
 何を唐突に言うのだ、と男たちは鼻白んでいたが、首をひねると、「そりゃ、何百本も観てるんじゃないか」と言った。
 「そうだ。その評論家にだ、テレビの洋画劇場しか見たことのないような素人親父が、『映画とはしょせん』と語ったら、どうだよ。ひどく間が抜けていると思わないか。あんたたちが今、喋ってるのはそれと同じだよ。俺たちは何百人っていう少年に会う。わかるか? あんたたちは今、専門家に講釈を垂れてるんだ。こいつは、かなり、はずかしい。だろ?」 男たちは一瞬、怯みはしたものの、おとなしくはならなかった。「駄目な奴はどうしたって駄目なんだよ。更正させるなんて、奇跡みたいなもんだな」と繰り返した。
 「それだ」先輩がそこで、男に向けて人差し指を突き出した。「そう、それだ」
 「それって何だ?」
 「俺たちの仕事はそれだよ」
 「だから、何なんだ」
 「俺たちは奇跡を起こすんだ」
 座敷の周辺がしんと鎮まり返った。
 「少年の健全な育成、平和な家庭生活、少年法とか家事審判法の目的、全部嘘だ。どうでもいい。俺たちの目的は、奇跡を起こすこと、それだ」
 困惑する僕たちを尻目に、先輩は僕を一瞥すると、さらに男たちに向かって声を大きくした。
 「駄目な少年は駄目なんだろ。あんたたちはそう言った。絶対に更正しないってな。地球の自転が止まることがあっても、温暖化が奇跡的に止まっても、癌の特効薬ができることがあっても、スティーブン・セガールが悪役に負けることがあっても、非行少年が更生することはない。そう断言した」
 「そこまでは言ってないだろ」中年男が怒った。実際、そこまでは言ってなかったな、と僕も思ったが、先輩は聞いていない。
 「それを俺たちはやってみせるんだよ」満足感を浮かべて、笑う。「俺たちは奇跡をやってみせるってわけだ。ところで、あんたたちの仕事では、奇跡は起こせるのか?」
 そして、眉根を寄せ、彼らに顔を近づけた。
 意味不明で、でたらめな主張だったが、彼の話には迫ってくる力があった。最後にはこうも言った。「そもそも、大人が恰好良ければ、子供はぐれねえんだよ」
 その後も会社員の男たちは、ああだこうだ、と偉そうな発言を繰り返してきたが、僕はそれに優しく接することができた。時折、僕はあの時の先輩の台詞を思い返し、心強い、と感じることがある。少年に裏切られたり、思うような結果が得られないと、「奇跡というのは、滅多に起きないから」と自分を慰めることもできた。
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