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 「今日はどこにくの」
 駅で秀介が私に訊いた。プラーザに帰るのか、つきみ野にいくのか、それとも友人の家に泊まるのかと訊いているのだとわかるまでにしばらくかかった。
 「しゅうちゃん、私いくとこないんだよ」
 私は言った。自分たちのやっていることの馬鹿馬鹿しさを、そう言って私ははじめて実感した。家はある。三十五年ローンの家がある。居間にも食卓にも無駄なものがいっさいない、清潔で静かな家はある。なのに自分はほっつき歩き、秀介は四畳半を借りている。
 「阿呆か」
 秀介は、自分の馬鹿馬鹿しさには気付かないふうで言い、券売機の上にある路線図を見上げている。コートのポケットに手をつっこんで立つ秀介を見ていた私は、自分たちが、三十五年ローン3LDKの家を持つ自分たちが、あの上海旅行からずっと、ふたりきりでさまようように旅をしているような錯覚を抱いた。腹ただしいのは、離婚したとしても、その感覚はかわらないだろうということだった。秀介は秀介で、自分は自分で、何も負うことない傲慢さで各自さまよい続けるだけなのだろう、ということだった。
 秀介が買ったのと同じ金額の切符を私は買った。
 「どこいくの」秀介はふたたび訊いた。
 「しゅうちゃんは高円寺にいくんでしょ」改札をくぐりながら私は言う。
 「おれが高円寺いくからきみは部屋にいけばいいじゃん、いくとこないのなら」
 「私も高円寺にいく」
 私は言った。ホームに向かう階段を上がりながら秀介はふりかえり、奇妙な動物を見るような顔で私を見たが、何も言わなかった。
 混んだ電車のなかで、私と秀介は吊革につかまり、秀介母の相手の男や、その彼の家について笑いながら話した。
 「子どもたちはどうおもってんだろうね、あの人の」
 「こないんだから反対なんじゃないの」
 「そっかなあ。会ってみたいんだよね」
 「会ってみたいか? おにいちゃんとか言い合うわけ? っていうか、だれがおにいちゃんなんだ?」
 「しゅうちゃんが一番上だよ。次が車の営業やってるミチローでしゅうちゃんの二つ下。着付け習ってるノリコがミチローの一個下」
 「よく覚えてるな」
 「ミチローは山羊座でM大卒で小岩に住んでて、子どものころに階段から落ちてできた傷が今にも額に残ってて、近眼であまり女にもてない」
 「すげえな、何そのデータ量」
 「あの人の話総合したらすぐわかるじゃん。聞いてなかったの?」
 「じゃあノリコは」
 「ノリコはおとめ座でK女子短大、フォーシーズンズで結婚式あげたかったんだけどかなわなくて日本閣で式あげて、勝ち気で運動が得意で高校時代水泳で都大会まで出た。夫のリョウタさんはぬぼっとした風貌で車とスキーが好きで酒を飲まないからあの人とあんまり話が進まない」
 「すげえな」秀介はふたたび目を見開いて言い、
 「すげえよ」私は秀介を見て言った。
 高円寺の四畳半はあいかわらず百円均一の雑貨で埋められ、秀介母が選んだ化繊の花柄カーテンが部屋全体をよけい寒々しくしている。秀介と私はコートを着たまま膝をたてて並んで座り、先月秀介母が買ってきた扇風機形のハロゲンヒーターに手をかざす。
 「いつ帰るの」秀介がぽつりと訊いた。隣室から中国語が聞こえてくる。住人の会話ではなく、ドラマのビデオのようだった。「いや、今じゃなくて、先の話をしてるんだけど」
 それには答えなかった。並んで座り、ハロゲンヒーターに同じように頬を染めてる今、今なら本当のことを話せそうな気がした。けれどそう思った瞬間私は疑問を抱く。話したい本当のことっていったいなんだ?
 「うちの庭に桜の木があるの覚えてる?」
 話したいのはそんなことではなかったが、私は話し出していた。
 「え、あったっけ、そんなの」
 秀介は覚えていないようだった。それもそうだろうと思う。
 「引っ越したとき、父親が買ってきて、植えたんだよね、なんか儀式みたいにしてさ。お酒かなんか根元にぶっかけて。それがさあ、ひょろひょろとしか成長しないの、秋冬に見たらとても桜とは思えないなまっちょろい木でさ」
 何か伝わるとも思えなかったが私は話し続けた。
 「そんななのに、申し訳程度の花が散るとすごいたくさん毛虫が出るの、ぽとぽと庭先に落ちて、毛のびっしり生えたきぼ悪い虫が、庭先にうようよしてんだ。それ見るたび、私、桜の木を引っこ抜きたくなるんだよ、だって意味ないじゃん。お花見もできないような桜の木なんてさ。実際、私の力でも引っこ抜けるような頼りなさなんだもん」
 秀介は黙ってハロゲンヒーターに両手をかざしている。
 「でも引っこ抜いたら意味もなく傷つけるじゃん、父とか母とかさ、あのひょろっとした木が、いつかそれは見事な大木になって、通りがかりの人が立ち止まって見上げるような花をつけるって、なんだか信じてるみたいなところがあるからさ」
 「引っこ抜いちゃ、まずいでしょ、暴れん坊将軍じゃないんだから」
 秀介が言い、
 「何、暴れ将軍て」
 私は笑った。暴れ将軍じゃなくて暴れん坊将軍、と訂正したあとで、
 「つまりビジョンだよな。桜の木はビジョン」
 秀介は言った。私には意味のわからない言葉だったが、自分の話も同様になんのことだか秀介にはわからないだろうと思った。
 「うちのダメ親父はそういうことができなかったんだなあ、今頃になっておふくろがあんなになってんのは、結局、桜の木欠乏症っていうかさ、そういう何か形あるものを作るようなことが、したかったんだよなあって思うなあ。ひとりで、じゃなくてだれかとね。だれか、ってのはつまり男とね、男ってのはまあ、結婚みたいなことしてくれる人ね。しかし、参るよなあ。結婚してくれるのはいいんだけど、こっちを巻き込むのはやめてほしいんだよな」
 ハロゲンヒーターに手をかざしたまま秀介は言った。秀介もまた、本当に話したいこととは別のことを言っているのではないかと私は思った。
 「しゅうちゃん、私たち、離婚しても何もかわらないね」
 橙に染まる自分の手を見て私は言った。
 「はあ? 結婚や離婚で何かかわるとか期待するのがおかしいんじゃないの。女性雑誌のコピーじゃあるまいし」
 「かわると期待してるんじゃなくて、ゼロのものにゼロを足してもゼロじゃん? 何か、私たちが何をやってもゼロになる気がするんだよね」
 秀介は何も言わない。
 「子ども作っても子沢山になっても、ゼロのまんまって気がしない? もちろん離婚してもさ」
 言いながら私は思う、もしゼロに何か積み上げるように言葉を交わせば、とたんに何もかも嘘くさくなる。それが自分たちなのだ。
 「寝っかな」
 私の思いに賛同するように秀介は話をやめ、立ち上がって伸びをした。銭湯いく? 寒いからいっか、ラーメンかなんか食いにいく? それも寒いしな、と口のなかでぼやきながら、秀介は押入れを開けた。押入れの上の段には着替えとタオルが積んであり、下段には布団が高く積まれている。それを見て、ちっ、と秀介は舌打ちをして、布団を敷き始める。
 「三分歩くと環七沿いにけっこううまいラーメン屋があんだぜ」
 「へえ、何味?」
 「醤油なんだけどすげえにんにくのってんの、つーんて鼻にくるくらいのってんだ」
 「へえ、いいね、食べたいね」
 「いく? 今。でも、並ぶんだよな、あそこ」
 「並ぶのは面倒だね、さっといってさっと食べれるならいいけどさ」
 そんなことを言い合いながら、小さな台所でかわりばんこに顔を洗い、歯を磨いた。
 秀介母の置いていったジャージ上下に着替えた私は、Tシャツとトランクス姿の秀介と並んで布団に入った。シーツは痛いほど冷たかった。私たちは布団のなかで足をばたつかせ、冷たい足を互いにこすり合わせてはげらげらと笑った。隣室から漏れ聞こえていた中国語がふいにとだえた。おもての明かりで白々とした部屋の薄闇は、急に重さを増したように思えた。あのローンの家が本当の部屋なのに、どうしてこのきな臭い部屋のほうが息がしやすいのか。あくまでも比較の話であって、ここでさえ本当の居場所ではなかった。私たちはどこに行けばいいのだろう。
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