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正確に

 間違い探し。

 ①汚名を挽回したい。②風下にも置けぬやつだ。③怒り心頭に発した。④李下に冠を正すの心構えが必要だ。⑤犯罪を犯す。⑥喧々諤々。⑦二の舞を演じる。⑧この映画は期待倒れだった。⑨将棋を打つ。⑩公園で大の字になって居眠りした。

 不正確な文章を生む要因のなかで、とくに怖いのは、先入観、固定観念、思い込み、偏見などによる間違い。たとえば「あのテレビドラマは、視聴率三十%を越えた。すばらしい作品を作れば、視聴率を稼げる」という文章があったとすれば、これは正確ではないのだ。
 高視聴率=内容のすばらしい作品、という先入観が根強いから、わたしたちは無造作に「あの作品は高視聴率だった。いい作品だったよ」といってしまう。
 この場合の「いい」は内容がすぐれているということよりも、おおいに大衆受けしましたという評価。多くの人気俳優が出ていたとか、同じ時間帯に強力な番組が少なかったとか、もろもろの要因があって視聴率が高くなる場合がある(むろん、視聴率が高くて、しかも内容もすばらしいという作品もある)。
 テレビドラマという「文化」と、視聴率をかせぐ「商品」とのはざまで、テレビにかかわる人たちは苦闘する。ドラマの評価を数値化するのはきわめてむずかしい。
 これに似た先入観は、わたしたちの暮らしのなかにいくつも巣食っている。文章を書くということは自分のなかの思い込み、偏見をあばくことでもある。思い込みや偏見をあばき、ひたすら正確な文章を書くのには大変なことだ。

 「見ばえ」の問題がある。「あの林檎は大きくて、真っ赤でピカピカに光っているからおいしい」という文章を書いたとする。これは正解だろうか。小さくて、表面に虫食いのあとがあっても、お尻に青いところがあっても、ほどよい酸味があり、果汁が多く、味に気品があるものがある。
 わたしたちは本質のよさ、悪さよりも見ばえにこだわる傾向がある。構造がしっかりしているかどうかよりも、見ばえのいい家にひかれたりする。どれがおいしい野菜か、どれが丈夫な家かを見極める眼力、それは、ものの本質を正確にとらえる目。

 地元大手本屋に立ち寄った際、中学入試の問題集をパラリとめくっていたら、高田敏子の詩が対象になっていた。
 昔は息子が家にいて、たくさんの動物がいて、買い物も大変だった。しかしいまは、買い物の荷物がすっかり軽くなった、という詩だ。主婦であり、母である女性の思いが歌われている。
 「小鳥がいて/黒猫の親子がいて/庭には犬がいて/夕方の買い物は/小鳥のための青菜と/猫のための小鯵と/犬のための肉と/それに/カレーライスを三杯もおかわりする息子もいた/あのころの買い物袋の重かったこと」
 「いまは 籠も持たずに表通りに出て/パン一斤を求めて帰って来たりする」
 「みんな時の向こうに流れ去ったのだ/パン一斤の軽さをかかえて/夕日の赤さに見とれている」
 このなかの初文最後「重かったこと」に傍線がある。そこのところは次のどれを表しているかというのが設問。

 ア=充実感  イ=疲労感  ウ=使命感  エ=責任感

 たぶん「充実感」に○をつける人が多いはず。このことに異存はない。では「責任感」はどうか。飼っている生き物に、飼い主は責任をもつ、という社会通念がある。飼い主に見放されて殺される犬や猫は日本国内で、年間約四十万匹弱いるそうだ。「飼い主の責任」が話題になることもある。「充実感」のほかに「責任感」に○をつける子がいたとしても、それを間違いだときめつけられるのか。
 「疲労感」はどうだろう。日々、たくさんの買い物をする。ほかにも、掃除、洗濯、料理、雑用がある。「疲労感」に襲われるお母さんもいるだろう。「疲れた」といっている母親の言葉を聞いている子もいるだろう。小さな〇をつけさせてあげたい。でも、試験の答案に小さな○というものはない。○か×かどちらかにしなさいといわれれば、心の複雑な動きを思いやるのが国語学習のたのしさではないかと反問したい。わたしは小さい頃、国語ドリルの解答説明にうんざりしていた。
 人の心は○か×かで簡単にきめつけられるものではなくて、むしろきめつけられないところに人の複雑さ、おもしろさがあると信じている。この出題の場合は、「充実感」だけを正解にするならば、結果的に「責任感」や「疲労感」は×になる。むろん、「使命感」だってありえただろう。大切な者たちへ食を提供するという使命感は、人間にとって役割であり、生き甲斐にもなる。それは己への戒めというよりも、自他共に意識しあえる存在意義につながるのだ。
 「疲れたよ」といいながら自分の手で肩を叩いている母親の姿を思いながら「疲労感」にも○をつけた子がいた場合、それは×なのか。「飼っている犬や猫に責任を持とう」という話を聞いた子が「責任感」にも○をつけた場合、それもやはり×なのか。
 恐ろしいのは、こういう形の問題と解答に慣れてくると、○でないものは×、というきめつけ方が当たり前になってくるのではないだろうか。四つの選択肢のうち正解はただ一つという学習に慣れてくると、人間の心はさまざまな思いがまじりあっているという大切なことが見えなくなってしまうのではないだろうか。お母さんの心にあるのは「充実感」だけあって、お母さんには「疲労感」や「責任感」や「使命感」はない、と思うことが「正解」になってしまうとすれば、これははたして正しい認識だろうか。

 冒頭の解答
 ①、× 汚名は挽回じゃなくて、返上するもの。
 ②、× 風上に置けぬやつ
 ③、○
 ④、× 「李下に冠を正さずの心構えが必要だ」 -スモモの実がたくさんなっている木の下で冠を正そうと思って手をあげると、実をとろうとする動作だと疑われる恐れがあるから、そういう行動は慎めという教え。
 ⑤、× 犯罪を犯すは、「犯す」のダブリ。
 ⑥、× 官々諤々、喧々囂々とはいうが、喧々諤々とはいわない。
 ⑦、○
 ⑧、× 期待外れ。
 ⑨、× 碁を打つとはいうが、将棋を打つとはいわない。将棋はさす。
 ⑩、× 居眠りとは、横にならず、座ったまま眠ることをいう。したがって、大の字になって居眠り、はおかしい。
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