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 気が向いたら電車をおりてその町に滞在した。北へ向かえば向かうほど食べ物の味は辛さが増し、南へおりるだけ花の色は鮮やかになり、大きな町は猥雑な雰囲気で小さな町へいけば通りを歩く私たちに視線が向けられていた。途中下車した街の雰囲気はそれぞれ少しずつ違ったが、それでもどこか似ていた。すべての輪郭を溶かしだしてしまいそうな熱気のこもった空気、くっきりした雲影、強烈なにおいのたちこめる薄暗い市場と昼夜かまわず湯気をあげ続けている屋台の群れ。
 最初は数軒の宿を回り歩いて値段を確かめ、部屋を見せてもらって値段とつりあうか確かめていた私たちだったが、次第にそんなこともしなくなった。宿のマークが見え、安ければすぐさまチェック・インした。部屋のコンクリがひびわれていようがシャワーの水がちょろちょろとしかでまいが、巨大なゴキブリが部屋の隅で交尾していようが舌打ち一つですませてしまうようになった。ベッドのマットレスが汚れていればバスタオルを敷き、部屋が耐え難いほど暗ければ外をうろつき、何かしら対処して平気な顔をするようになった。それは慣れたのではなかった。安宿の汚さや這う虫や不便なシャワーに慣れたのではなく、疲れていたのだ。何か不都合を口にすることもできないほど疲れていた。
 夜になると私たちは連れたって町を歩いた。どんなに小さな町でも夜は活気に満ちていた。屋台に吊るされた電球の、そのはじけるような明かりが、無造作にならべられたありとあらゆる食材、黒く飛び出たカニの目玉やくくられた鶏の足や、何か言いたげに開く雷魚の口と几帳面に並んだ小さな歯なんかをグロテスクに照らし出していた。その夜、何を食べようか見定めるためにではなく、その活気の中に沈みこむために光の合間を縫って歩いていた。店の片隅の、かろうじて屋台の明かりが届く位置で向き合って、見慣れない料理を頬張り、私たちは次第に言葉を交わさなくなっていた。かといって険悪に黙り込んでいるわけでもなかった。言葉を交わさないというのはつまり、驚くことにも、また目にしたものを言葉にすることにも飽きていたのだ。異国人に興味のある陽気なだれかが私たちのテーブルに近づき、茶色い酒をすすめながら片言の英語であれこれと訊いてくれば私たちはいつまでも会話をしつづけ、宿に戻るのは十二時をすぎた時間になった。遠巻きにちらりと見るだけでだれも話しかけてこなければ私たちはずっと二人で、目前に展開される異国の夜の日常を眺めていた。どこの屋台でもテーブルの下を犬がうろついていた。うろつく犬の毛並みがよく太っていれば、その店は繁盛しているようだった。
 排気ガスを吸い舞い上がる埃を浴びながら町を歩き、宿のマークを捜し、目覚めてふたたびデイパックに荷物を押し込んでいると、身体の中に蓄えられた疲れが前触れなく押し寄せて閉口した。ぱんぱんにふくらんだデイパックから、不要なものを取り出しては宿に置いていった。それはヘアブラシであり、日焼け止めクリームであり袖口のほつれたパジャマだったりした。それでも荷物は重かった。疲れが癒えることはなかった。不要なものを捨てた分だけ、同じ大きさの、倍の重さの何かが入り込んでいるように感じた。帰りたいとは思わなかった。ただ何かが噛みあわないのだった。
 彼は同じことを感じているのだろうか、それとも疲れとも汚れとも無縁なのか。なんだか疲れたと口にしてみると、それはまったく違った響きとなり、今日はおいしいものを食って早く眠ろうと、彼からもまったく見当違いの答えが返ってきた。移動の連続に疲れきっているのに、もっと遠くへいきたかった。背負い込んだものがすっからかんに感じられるまで先へ先へ進みたかった。

 海に向けて丸く突き出たかたちに広がる砂浜は、昼間のあいだ閑散としているが日の暮れる六時前後には人でにぎわう。私たちの泊まっているバンガローの経営者家族も、周囲のバンガローの家族たちも、町へ続く一本道の途中で飲食物を売る店の双子の母親もその腕に抱かれた赤ん坊も、垣根の向こうで甘い茶をすする痩せた男たちも、この海岸のはずれに居着いているらしいカナダ人も、みな太陽が沈みこむ前にでてきて、潮の引いた白い砂浜に点々と座り込む。足を投げ出し、かわいた砂をいじりながら言葉を交わし、ずっと前方を見つめている。
 ぽつぽつと砂浜に座る人々の中に彼の姿を見つける。隣に腰をおろす。
 「今日、ジャングルの中歩いた」周囲の砂をかき集め、握りしめ、掌の隙間からそれを落として彼が口を開く。
 「歩けるの、山の中」
 「途中までは人ひとりが通れるくらいの道があるんだけど、五分くらい歩くと、突然道はなくなってあとは草を分けていって進まなきゃならないんだよね、ものすごい急な上り坂。げんなりしてきたんだけど戻るのもしゃくにさわるから、必死で歩いてさ」
 「なんかあった?」
 「ずうっといくじゃん、つまりのぼりきって下りになるとふいに海が見えるの、あれちょっと感動的だったな、いきなりばあって海が広がってるんだよ。それでさ、海に向かって下っていくと山の途中でな、ぽっと小屋があってさ、そのまわりにぼろぼろの、崩れ落ちそうな四、五軒のバンガローがあるわけ、山ん中にだよ。草に埋もれるようにしてさ。あたりにはなんにもないし人の気配もない。下のほうに海がどーんと広がってるだけ。多分だれかがここに小屋建てて、バンガローはじめたんだけど、人がこなくて閉めちゃったんだろうなって思ってさ、小屋のわき通りすぎたら、いるんだよ、じじいとばばあが。小屋に二人ちょこんと座ってたの。その小屋、カフェ&レストランなんて看板までだしてて、おれ見て手招きすんだよ、おれ幻覚見たかと思った」
 「二人は何してんの、そこで」
 「何って、カフェ&レストランだよ、コーラくださいっていったらちゃんと出てきた、ぬるいコーラ。甘いけど。お客さんきますかって訊いたら、こないねえって、英語で答えた」
 「明日いったらその店なくなってるんじゃない」
 「そんな感じ。あんた今日どこいった」
 「どこもいかない。洗濯して、掃除して、海を見てた」
 太陽は水平線のほぼ中央に、吸い込まれるように沈んでいく。私たちは口を閉ざして顔を海面に向ける。強烈な橙色は海面を染め人々の腕や頬や足の先を染める。押しつぶされる直前の水風船のように太陽は輪郭をかえながら海に浸かる。それを見ていると口中に甘い味覚が広がる。私は彼が見た光景を浮かべて眺めてみた。草に埋もれた食堂、ぽつんと座って日がな一日海を見下ろす老夫婦。
 島の人々はだらしない恰好で座りだらしなく言葉を交わしながら、ふくらみきった橙色の水風船がゆっくりと海に飲み込まれ、最後の光が水平線上に一本の色鮮やかな線を描くのを見守っている。この世の終わりを見届けるように。べちゃくちゃと言葉を交わししどけない恰好で砂の上に座り込む彼らの姿は、まるで対極にあるはずなのに礼拝堂を連想させ、私はいつもどこか居心地悪く感じる。彼とともに場違いな場所にまぎれこんだように思えるのだ。
 この島には犬が多い。バンガローの経営者たちが飼っている犬もいるしどこに住んでいるのかわからない犬もいるが、みな一様に首輪をつけず、人に慣れきっているので飼犬と野良の区別がつかない。この狭い島でどんな具合に繁殖したのか、じつにさまざまな色、さまざまな毛並み、さまざまな大きさの犬がいる。犬たちも人と同じように夕暮れ時には海岸にあらわれて、波打ち際をじゃれあいながら走り回る。砂浜に点々と座っていた人々も腰を上げ、のらくらした足取りでその場を離れ、自分たちの生活に戻っていく。背後で蝋燭の火が灯る。バンガローが経営する食堂の、宿泊客がいる小屋の。
 「あれさ、きっともともと人だったんじゃないか」
 海岸から少し奥まったところにある野外食堂に向かいながら、彼が言う。
 「あれって」
 「犬さ。旅行者が旅の途中にここによってさ、おれたちみたいに長居して、そのうち、帰りたくない、帰りたくないって言いながら山にのぼっていってさ、そんでおりてきたときはワンコになってんだ」
 私は笑う。何食べようか、懐中電灯のスイッチをいれて足元を照らし、今日はおれカレーにするわ、彼が答える。いつここをでるか、どの方角を目指すか、そういったことを私たちはいっさい話し合わなくなった。数日後、帰りたくない、帰りたくないと言いながら二人して山にのぼっていくような気もした。おりてきて、犬にかわったおたがいの姿を見て、弱弱しく吠えあうのだ。そうなることを半ば本気で望んでいる自分もいた。
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