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瑞応

 マレー半島の先にはインドネシアの島々がある。地図を眺めて行き先を決め私は荷物をまとめた。私の選んだ次の場所はビンタン島という名の島で、空港近くのフェリーターミナルからはリゾートへいくフェリーと、港町へいくフェリーの二種類あった。フェリーターミナルにおいてあったパンフレットで確かめると、リゾート地には高級ホテルが立ち並び、私が何泊もできるような安宿はありそうもない。港町へ向かう船のチケットを買った。
 島の中心部であるタンジュンビナンへは一時間と少々でつく。乗客はあまりいなかった。いつかの島へ向かう船に比べれば格段に豪華な座席に寝転がり、窓の外に流れる青い空を眺め、背中に振動を感じた。
 今朝早く、いつもと同じ、額に汗を浮かべて眠る彼を見下ろしてライチを食べていたが、ふと思いついて荷物をまとめた。共用していたもの、歯磨き粉やシャンプー、筆記具や薬、それらはすべて彼のデイパックに押し込んだ。こまごましたものを移しかえただけなのに私の荷物はいやに軽くなった気がした。滞在費を折半して、用件だけ書き記したメモ用紙に包み、それも彼のデイパックに押し込んだ。深く考えていたわけではなかった。私はただ、清潔な町をほっつき歩くことに飽きただけだった。数日たてば彼も同じ毎日に飽きてここをでるに違いないのだ、私だけ一足先に出て落ち合うつもりだった。
 毎日どこへいっているのか、高校時代にバレー部の後輩にうつされたインキンはどうなっているのか、ゆうべ十二時近くに帰ってきた彼に何気なく訊くと、彼は中途半端な笑みを浮かべ、じつはブギスの娼婦宿に通っているのだとあっさりと言った。先日の屋台で夜食の席をたまたま一緒にした韓国人の話を聞いていってみたくなった、毎日捜し歩いて、中華街で知り合ったじいさんが場所を教えてくれた、毎日いくわけでもないし同じところに通いつめているわけでもない、と彼は言った。
 「なんでインキンなんて言ったの」訊くと彼は自分の指先をいじり、
 「だってそういうのって、なんかへんだろ?」口の中でつぶやいた。
 薬屋を捜すふりをして女を買っていた彼はもっと何かを言ってほしそうに私の首筋あたりを見た。私も何か言いたいような気がし、何を言うべきか足元を見て考えた。汚れのつまったつま先を一本一本見ていって、薬指まで見てから顔をあげ、どんなところで、どんな相手と具体的にどんなことをするのかと訊いた。私の知りたいことはそれだけだった。私の決して入ることはない扉の向こうのことを知りたかった。彼はシャワー後の濡れた髪を執拗に拭いながら、ちらちらと私を見、告白めいた口調で話し始めた。
 裏通りの一角に、そこだけタイムスリップしたような、色の抜け落ちたぼろぼろの三階建ての建物が並んでる場所があって、数回いけばだいたいどこがそういう店なのかはわかってくる。交渉を済ませるとまず部屋に通される、四畳半ほどの、ベッドとエロ雑誌がおいてあるそっけない部屋。そこで雑誌をめくってると女が入ってくるんだよ、最初の女は、色が黒くて痩せた女で、英語が全然しゃべれなかった。女はおれのわからない言葉で何か言って、すごく事務的に服を脱ぐわけ。私は彼の話を聞きながら目を閉じ、その光景をできるだけリアルに再生しようと試みた。それについて何か思ってみようとした。嫉妬、軽蔑、憎悪、嫌悪、否定、あるいは肯定、けれどどれも感情のともなわないただの言葉として滑り落ちていくだけだった。私はこの男について、夕方に部屋をでて見知らぬ女を抱きにいく男について、自分が何を思えばいいのか、まるでわからないでいた。そこで言葉を切った彼に、先を促すしかできなかった。彼は日にやけた指をいじり、私と目を合わせず言いにくそうに続けた。
 女は服を脱いで、それで、おれにも脱ぐように身振りで示して、おれさそういうときどうしたらいいのか全然わかんないんだよね、真っ裸でぽかんと立ってると女が口を吸ってくるわけ、それでベッドに押し倒して、っていうか押し倒されて、この女がね、ひんやりしてるんだよ、肌が薄くてその肌が冷蔵庫に入れておいた野菜みたいに冷たいの。彼の口ぶりは次第に変わってきて私は彼を見た。指をしきりにいじりながら壁のしみを見つめ、彼は話すことに夢中になっているふうに思えた。そむけた目は見開いて、頬は次第に紅潮し、こすり合わせる指には力がこもりはじめていた。そして彼は切れ目なく、相槌を打とうが打つまいが話し続ける。女のべたべたと甘い味のする舌について、顔をそむけたくなるほど強烈なにおいの腋の下について、顔を近づけるとねっとりと温かい陰毛について、こげ茶色の乳首について女の無表情について、一定のリズムで彼の腰を刺激する二つの平たい足の裏について。自分が何に萎え何に欲情するかについて。いっときでも口を閉ざしたら銃で心臓を撃ちぬくとおどかされているように、言葉をつなぎ話を終える気配がなかった。
 彼があまりにもなめらかに言葉をつなぐので、いつものように思いついたでたらめを言っているのかもしれないと、ちらりと思った。そう思っても不快を感じなかった。すべてがうそでもかまわなかった。なぜなら彼の言葉の一つ一つは私に届いた。なんの感情も呼び起こさないがそれでも彼の口から流れ出る言葉は確実に私に届き、私はその言葉の合間に、まぎれもない一人の男を見た。彼は、彼の語るでまかせの過去のどれとも一致せず、私の友人でもなく恋人でもなく、見知らぬ他人でもなかった。私は向き合う男の細部に目を凝らした。乾いた唇、淡い桃色の頬、耳たぶ、小刻みに動く鼻の穴、日にやけた指とあざやかに白い指のまた。私と同様、目的地もないのに先を急ぎ、荷物を軽くしてはその重さに首をかしげている一人の男。彼もまた、軽い思いつきでなじんだ場所をでてきて、その軽さが今どこにも見当たらないことに戸惑っているのだ。
 帰りたくないと切望して山にのぼり、犬になっておりてくる旅行者の話を彼としたのはいつのことだっただろう。宙を見つめとめどなく言葉をあふれさせる彼は、まるで一匹の犬のようだった。一緒に暮らしていたとき以上の時間をともにすごし、言葉を交わし、大きいものを大きいと言い、美しいものを美しいと言い合い、見慣れぬものを見知った言葉に置き換えて、そうしていた私たちの姿を思い出す。思いついたでたらめを軽い口調でさらさらと話す彼の姿を思い出す。彼が今語る言葉はそれらのどれとも違ったものに聞こえた。犬に姿をかえたことに気付かずに弱弱しく泣き続けているようにも聞こえるのだった。ドアの向こうにも、布切れのかかった窓の外も静まりかえっていた。時計は午前二時を指していた。
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