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花火師

 むらさめの降る仲見世を通り過ぎ、飲み屋界隈での呼び込みに吸い寄せられるように韓国酒「マッコリ」を飲む。度数は並みだが、いかんせんノドに引っかからないのでオーガニックワインのようにガンガン飲める。お酒は苦手という人にはおすすめだが、得意と自称する人にはかえって危ないかも。


 店先のシャッターを見ると、隅田川の花火大会を連想する。生まれてこの方、シーズンの隅田川に立ち寄ったことがない(人ごみを避けるために)。祭り行事は好きなのだが、ドミノ倒しで毎年死者の出る場所に、だれが好きこのんで行くものかと息巻いているのである。

 花火というのは日本古来の文化とおもわれがちだが、実は戦争時代にイギリスが徳川家に披露したという記録がある。いまから約500年前だ。
 両国の川開きで花火を打ち上げられてから一般の平民にも知られるようになるわけだが、「たまや~」というかけ声が生まれたのは、「玉屋」という名門花火師の苗字からきているらしい。

 「たまや~」を知らない人はあまりいないだろうが、「かぎや~」と口にする人はあまりいない。これもあまり知られていないが、「鍵屋」という初代花火師の一族がいて、「玉屋」とはその分家なのである。「たまや~」は「かぎや~」あってこその賜物なのだ。


 今年のミニトマトは肥料も土も日差しもバッチリうまくいったので、毎日5個くらいのペースで収穫できている。ミニトマトの育成のコツは、枯れ葉を切り落とすのではなく、むしろ不要な健全の茎を切り落とすことに意味がある。余計な栄養分がそっちにいってしまい、肝心なトマトに行きづらくなる。

 季節が変わってポトフや観葉植物の寿命がやってくると、とうぜん水やりも不要になってくるわけだが、私はこの境目がどうにも受け入れがたい。
 もう意味がないと頭のなかではわかっていても、水を与えないというそのこと自体が、罪の意識というよりも恐怖に近い。

 虐待報道がながれるたびに、親が子供に恒常的な暴力をふるう姿を想像してみるわけだが、その習慣ともとれる行動のなかには、理性だとか感情だとかとはまた別物のなにかが働いている気がしてならない。

 「あいさつもしっかりしている」「そんな人に見えなかった」「明るい子だった」という近隣住民の声を聞いたところでなんの感慨も抱けないのは、たんに裏表の顔や、二枚舌を予感しているからではない。
 かれらは、どんな人間にだって、人には説明できない不条理な暴力を心の中で飼い慣らしているということを本当は知っている。

 瑞々しい茎を切り落とすように、取り乱さずに死亡届を役所に出すこともできるし、水やりをやめるように、子供に食事をとらせないこともできる。
 それらを口にしないのは、おたがいが隠しあっているだけであって、報道に口をそろえて反応をするのは、否定することで「自分はちがう」と祈っているのだ。

 千葉大臣、残念です。まさか日本にほける死刑制度世論があんな数字をたたきだすとは。ブルーアワーはいったいいつになったらくるのやら。
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