ある日、私のクラスメイトが自宅に電話をかけてくるとき、祖母がそれに出た。ぶっきらぼうな出方に友人がびびっていると、相手が私の知り合いの日本人だと知ると、急に声色をかえて「ちょっと待ってくださいね」といかにも物腰のやわらかいお婆さまに成り代わる。あの変貌に意味があるのかわからないが、ろくな身内が祖母にはいないのだと理解した。
またある晩夏の日、不思議なことがあった。祖父が死んでから数ヶ月たったころ、祖母がある夢を見たという。
祖母には数ある趣味のなかで、生活の一部として溶け込んでいるといっても過言ではないものがあった。日本でいうロト6によく似た宝くじである。宝くじの発表は週末のテレビ放送で発表される。無機質でナレーションもなく、耳ざわりのいいBGMのなか青い背景にひっそりと当たりの数字が並んでいる。
祖父が半身不随におちいった深刻な病床時から、祖母は宝くじから離れていった。宝くじだけでなく、外出も自然と控えるようにもなり、もとからあまり摂らない食も細くなった。祖父が死んだ二ヵ月後、祖母の夢に祖父が出てきたという。「僕の誕生日といっしょだ」と言うのだそうだ。祖父はいつものように居間のソファーに坐り、動かない左腕を右手で膝に移動させ、テレビの前でそういい言いながら笑うのだそうだ。そして祖母は母に宝くじを買わせた。最初に宝くじが当たったことを知ったのは母だった。母は当たりクジの倍率に驚き、それを祖母に知らせた。祖母は無機質な青い宝くじの結果発表を眺めながら、ただ「そう」とだけ言った。賞金は当時祖母が住んでいた家賃の三ヶ月分だった。
しかしいざ賞金を手にしたところで、欲しいものはないようだった。あんたにやるわよと祖母は母に言ったが、お父さんからの贈り物なんだから自分で使えよと母は受け取らなかった。
適当にケンタッキーやらピザやらが届いたが、うん、まあ、おいしいね、といった具合で感慨深くもなく、ご馳走にぜいたくを求めることはすぐにやめた。母の姪が長年お付き合いをしている男性と結婚する運びとなり、式での祝儀にあててもまだ残ってしまう。飼っていた喘息持ちの飼い犬の治療費にあててもまだ残る。
祖母はひたすらに賞金を使い込もうとしていた。あのやっつけとも思えた浪費行為の動機が、いまなんとなくわかる気がした。祖父の波紋をどこかで引き起こしたかったのではないだろうか。
祖母は日本の土地が大好きではあったが、寒いのが苦手だった。雪を見ることに幸せを感じてはいたが、触ることは苦痛だった。その表裏一体を、よく知る女だった。
信号のない場所で急に飛び出してきた若者ら数人を轢くまいと、とっさに避けた際にバイクから転び落ちた祖母は、背中を強くうち怪我を負い、警察を呼ぶからそこで待ってなさいと叱りつけ、彼らに嘘をついて放置して帰ってきた。「ざまあみろ」と言って背中をさする祖母は、眉をハの字にして寝室に戻った。
祖母に多かれ少なかれ悪意を持って接した者がこの世にいたとしても、彼女は乾いた風に言うだろう。「あんたがイジワルをしたから私の寿命が縮んだんだよ。良心が痛むだろう、どうだ、ざまあみろ」
軍人の祖父が祖母を選んだ理由、それはまっすぐ過ぎる祖父の性格から見た祖母という女性は、とても格好よく見えたのだという。祖母が祖父と道を共にした理由は、そんなもんは忘れた、という、祖父が言うところの祖母の格好いい性格からもたらすなにものからしい。
そんなもんは忘れてしまったらしいので、どうかまたもう一度、再会の折に思い出させてあげて欲しいと祈るばかりである。
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