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裾野

 自室の窓から夜明けに気づく時間帯が遅くなった。いつのまにか蝉は鈴虫にバトンタッチしており、ハトの出勤時間もゆっくりめとなった。ベランダから遠くまでのぞく朝闇が私は好きだ。オレンジ色の光を帯びはじめる前の、町も虫も眠っている時間が好きである。

 昔から夕闇派より朝闇派だった。夕闇は一日の終わりや始まり、成功や失敗といった、継続的で生命力があふれているイメージがある。きっとその時間帯は人間たちが活動的で、その時間をどこかで誰かが共有しているからだ。それらを直接この目で見ることはなくても、耳を澄ませば人の声や町の息遣いは聞こえてくる。
 それに対し私にとって朝闇とは、時間や、勧善懲悪とはかけ離れた断片的で無機質なイメージがある。かといって手放しに無感情になることでもなく、リラックスすることでもなく、解放的な気分になるわけでもない。

 私は昔から、大きな行事やなにかしらの節目の前日になると、夕焼けを見て鬱々とした気分にさせられていた。受験、帰国、葬儀、面接、やりたくないこと、行きたくない場所。そればかりではない、本来よろこぶべき日を前にして見る夕日でさえ、ふと気づけば私は憂鬱になっていた。恋人と出向く旅行、里帰り、結婚式、表彰、出産、久しい友人との食事。私は夕日を眺めてかならず思う。「次にこの夕日を見るときは、~~が終わってからだ」私は目に見えないなにものかに脅えながら物憂げに考える。私は明日、正気でいられるだろうか、普通でいられるだろうか、今日と同じでいられるだろうか。

 そういう日は決まって夜遅くまで起きていた。朝闇は自分だけのものと知っていた。
 異国にいたころ、中学の卒業式を終えあとは帰国するだけとなった私の朝闇は、その日も健在だった。翌日に帰国するために準備を済ませてあるはずのショルダーケースの中は、いまだ空のままだった。机の右側の窓から見える深夜の空は、その日も星が見えなかった。机のライトを消すと、8畳ほどの部屋には青白い光が背中からともされていた。観賞用の海水魚は三ヶ月前に死んでしまい、間接照明としてしか機能していない水槽は、チューブの先から意味もなく酸素がそそぎこまれていた。耳をすまさずともぷくぷくと静かな水泡の音が聞こえてくるのは、朝闇のときだけだった。


 その日の深夜、私はふいに思い立って部屋を出た。治安上、日本人学校の校則として登下校以外の保護者なしでの外出は禁止されていたが、私はその決まりごとを一度も気にかけたことがなかった。クラスメイトに誘われればスーパーでも文化センターでも走り、一人で自転車にまたがり夜市を見てまわり、夜に寝る前にはアパートのそばにある公園に犬を連れて散歩し、中国語が飛び交うマクドナルドでノートを開いたりしていた。
 しかし、飛行機に乗る日の早朝、静かな町を前にしている私は恐怖にかられていた。私をいままでしきりに「私」でいることを許してくれた朝闇の存在自体に恐怖は感じなかったが、何かを思い立って玄関を出るとき、私は怯えていたのだ。出かけるのをやめようか、何かの予兆かもしれないし、そう思っているのに、靴を履いてエレベーターのボタンを押していた。私はそのなにものかが気になって、用もないのに外に出た。玄関の扉をあけるとき、飼っていたシーズーが私を見上げていた。暗い目だった。

 目前に広がる4車線の道路の静けさ、まだ原付オートバイが吐き出すガスが充満する前の比較的きれいな空気、道路を挟んだ向こう側に位置する誰もこないだろう公園。アパートの階下にある雑貨屋や菓子屋はもちろん眠っているし、公園のさらに向こう側にそびえる新しいビルの何も照らさない黒いガラスは相変わらず不気味だったし、それに隠れるようにしてひょっこり顔を覗かせる学校の校庭の柵も灰色のままだった。なにもかわらない、いつもとおなじ早朝の、静まり返った日常の世界であるのに、私は違和感を抱いていた。

 修学旅行にたいして期待を抱かない、大人になったのだというすこしばかりの優越感と寂しさを味わった菓子屋。友達と気晴らしにはじめようと言い出してピアノの楽譜を割高で買った雑貨屋。夏休み中、学校のプール帰りに寄った牛乳専門の喫茶店。一日に一度犬と一緒に散歩した、木陰が多くひとけのない足踏み園路のある公園。無愛想な店主だがおいしいパンを売っているさびれたガソリンスタンドのようなパン屋。林立する高木にさしかけられるようにしてひっそりと佇む日本人学校。一箇所ずつのぞき込みながら歩いていくと、それらの景色が前日までのそれらとはまるで違っていた。廃墟となっているわけでもなく、火事にみまわれているわけでもなく、忽然と姿を消したわけでもない、そのままの形でその場所に居合わせているというのに、私はまるで初めて見る景色のように、そして私を拒絶するかのようにそびえていた。現実感と夢見心地の狭間にあるようなその違和感はたとえるならば、世界の時間停止だった。私が知っているはずの朝闇の世界は、おそろしいほどの静けさのなかにも、かすかな息遣いが私の五感に訴えているはずだった。しかしそのときの私は、何も感じなかった。何も感じとれなかった。クセのある牛乳紅茶の後味が、必要以上のパンの甘さが、校門でバスを見送る教師たちが、風に揺れる木が、店内に充満する中国語が、私になにかを急きたてておきながら、なにかを拒否している。

 明日のいまごろ、私はここにいないし、二度とこの場所には居られないだろう。二度と十五歳としてこの場所で犬と散歩することもパンを買うこともないし、たとえ何十年後に再びこの地をおとずれようとも同じ立場のままでいられるわけがない。それらはひどく何ごとかに似ていた。だれかに似ていたのだ。だれかの立場に似ているのだと知った。死んだ祖父だった。ああ、そうか。私にとって二度とおとずれない出来事やものごとは、死ぬことと同じ。とても恐ろしいことなのだと知った。だから事あるごとに最後と称して見る夕闇は、それまでどんなに気分がいい日であっても私を陥れようとしたし、私はすぐさま不条理な不明瞭さでもって胸をしめつけられた。私はうまれて初めて、その日、朝闇に裏切られたのである。朝闇に覆われた日常世界は、私にさよならを告げていた。パンの味、素足で歩いた石の痛み、安いガソリンの排気ガス、雑貨屋店員の息遣い、ビルのコンクリの陽炎、道端の草いきれ、揺れる椰子の木。それらが一斉に一枚の平面な絵画のようにまとまって、その紙に写った色彩は私からことごとく逃げていった。私はいったいどこにいるのだろうか、まるで霧でかすんだ山の麓にいるようで、見上げた頂上に美しいなにかがあるとは期待できなかった。

 朝闇はいまでも私をそのときの情感に引き込む節がある。だが今でこそそれは絶望のかたまりでもって私を覆うものではない。最後かもしれない、でも最後じゃないかもしれないという曖昧さは私にとって、ときに安定剤にもなり、希望にもなり、私は生きているという実感をもたらす。決して私をすくいあげてくれる柔らかなものではない、しかし現実的ななにごとかをありのままに引き受けられる時間、それが朝闇なのだ。
 朝闇が日の出とともにその姿を消していく様は、私はきらいだ。町が機能していくことや、始まりを象徴する前衛的な白々しさを毛嫌いしているわけでもなく、相性がわるいらしい。私は朝闇が朝陽に飲み込まれる前に、寝てしまう。そういうとき、私は夜型の人間、正確には朝闇のある世界の住人なんだなと思う。祖母が眠れぬ夜に淹れるコーヒーのかおりと、朝闇が私を包むときのすずしさは、いつまでたっても色馳せないのだ。
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