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贖罪

 旅への心意気に関し、度胸があるといわれて仰天した。そのことに関しての返信だ。
 どうしても旅慣れることが私にはできない。ひとりで旅をしてきて、何度も経験を重ねているのだからいい加減慣れたらどうかと我ながら思うけれども、しかし旅には毎回緊張する。それも、極度の緊張である。もちろん、ガイドなんてついていない旅であって、旅行ではない。
 緊張をほぐすため、写真でも見てわくわくしようとガイドブックを購入しページを開くのだが、気づくと「治安と犯罪」の項目を熱心にかじりついている。この町にはスリが多いとあれば、私はきっと被害に遭うだろうとくよくよし、この峠には山賊が出現するとあれば、私はきっと山賊に身包みはがされるだろうと絶望する。旅に出るのなんかやめてしまおうか、とまで思う。しかしここで旅を中止するのはあまりにもなさけない。みずからを鼓舞して荷物をまとめる。
 旅の直前になると、友人たちの一言にもナーバスになる。いままで「気をつけてね」などの一度も言ったことのない人がそんな言葉を口にすると、何かの予兆ではないかと不安になり、「どうして今回にかぎって気をつけてなどと言ったのか、何か感じたのか」と詰め寄る始末である。
 かような緊張、不安、恐怖をいつものようにねじ伏せて、ある年にモンゴルに行った。首都ウランバートルでさえ、個人旅行者に開かれた町ではない。それは欧米文化が浸透していないということと同義である。そういう意味で町はたいへん静かで個性的なのだけど、ガイドもいない、モンゴル語もしゃべれないひとりのヒッピー風情が、長距離を移動したり、野外マーケットで買い物をしたり、あるいはふつうにごはんを食べるにしても、かなり難儀する。看板はみなモンゴル(らしき)語、窓のない建物で、どこが食べ物屋なのかわからない。道に迷っても、人に尋ねることができない。またこの町、道が入り組んでいて、大通りを外れると地図はまず役にたたない。っていうか地図の読めない私がモンゴルの象形文字じみた記号でひしめいている紙を判別できるわけがない。
 そんな町をひとり、目的もなく歩いていると、旅慣れなさがここでも顔を出す。旅先での旅慣れなさ、それは、荷物を席に置いてトイレにいくことでも、日本食しか食べないことでもなく、「いったいなんだって私はこんなところにいんの」と思ってしまうことだと私は思う。そしてそのとき、ウランバートルの町で、私はまさに「いったいなんだって……」と路地裏で売られているぱさついたパンを齧りながらつぶやいていた。
 運悪く、私のネガティブ思考にあわせるように大粒の雨が降りだし、あっというまに道路のそこここにおおきな水たまりができる。通行人に水を跳ねかけながら車は行き交う。びしょ濡れになってビルの軒先に避難し、私は大きく息をつく。なんだってのよ? と。
 そのときである。濡れた道路に黒い痩せた野良犬が飛び出し、走っていた車は急ブレーキを踏んだが、スリップして犬にぶつかった。車はそのまま走り去り、大きな外傷はないものの、黒い野良犬はその場に座り込んだまま動かない。ほかの車はそこに坐った犬をよけ、飛まつをあげて走っていく。このままでは犬は本当に轢かれてしまう、どうしよう、と思ったその瞬間、どこからか五人のちいさな子どもが走り出てきた。行き交う車にクラクションを浴びながらも犬に近づき、五人で犬を抱き上げて、路地へと連れていく。ビルの陰に犬をそっとおろすと、子どもたちはまたどこかへと走り去っていった。
 一瞬のできごとだった。子どもたちはみな浮浪児なのだろう、黒ずみすりきれた服を着て、裸足の子もいた。無言のまま、たがいの意思を確認しあうこともなく、まるで落ちたハンカチを拾うような圧倒的なさりげなさで、彼らは野良犬を救出したのである。もちろん彼らにとったら、救出などという意識はなく、本当に落ちたハンカチを拾ったに違いないのだろう。
 いったい私は何を見たのか。私が今目にしたものは、人のできうる所作のなかで、もっともうつくしい何事かではなかったか。周囲を見回したが、五人の小さな浮浪児たちの姿はもうない。神さまのつかいではないだろうかと本気で考えた。雨よけの軒先の下、神さまの手にたすけられた黒い犬はよろよろとたちあがり、体をふって水滴を落としている。そしてのろのろと私の足元に近づき、私ははじかれるようにパンを落とすのだ。犬はよわよわしくそれを口に含み、たよりない背中を見せながらその場を去っていく。どうか生きながらえてと、私に祈ることを許した犬の行為に、はりさけそうな気持ちにさせるのだ。
 たぶんこういうものなのだ。こういうなんでもない、しかし奇妙にも似た瞬間をこの目で見たいがために、私は慣れない難儀な旅を、もうやめたいとは思わないのだろう。
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