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「やりすく」の薬局も、ポチの小屋も、ポチの存在も、開拓工事で真っ白になった。
思い出が削れていくのは本当にさびしい。どんどん消えていく。
記憶は胸のなかにというけれど、人間の脳は薄情なところがあるのも事実だ。
ご近所に住んでいる町内会会長の、道路沿いにある古い家にも、県から立ち退き願いが届いた。
今後2年以内に家を出ないといけないらしい。経費はもちろん出るが、あらかじめ出された掲示額内で、会長自らが出納しなければいけないらしい。
しかも金額内に収まった場合、差額は返金しなくてはならず、さらにオーバーした場合、全部自腹らしい。こんなおかしいことが罷り通っていいのだろうか。
会長は奥さんに先立たれてはや10年、ずっと1人であの家を守ってきた。年金にさほど頼らず、慎ましい生活のなかで、奥さんが残した柿の木の成長を見守ることだけが唯一の楽しみだった。
会長が奪われるのは家や柿だけじゃない。
縁側から見える空、寺への近道。近所付き合い、散歩コース、吸いなれた空気全部だ。書類にある物理的なものだけじゃない。
会長はもう今年で73歳。老後の生活を考えるとはもう言わない、すでにご年配であって、ご自分の限界を感じておられる。
元旦、縁あって食事に招かれ、その席にて現在の心境を語ってもらう機会があった。
水を差す発言を控えながら、どういう態度でお話を聞いていたらいいのかわからなかったが、おもいのほか、そこまで悲観視しているわけではなかったのだ。
「もう奪われるものは、なにもないとおもって生きてきましたからね。そんなにショックではないんですよ」
私のお猪口に酒を注ぐしわだらけの手は、正気を装っている風でもなかった。
自分の置かれた逆境に目をそむけず、まっすぐ見つめていれば、誰かに嫌がらせを受けても、つらい仕打ちを受けても、そうやすやすと傷ついたりはしない。
会長の疲れた目の表面に、1人で生きていくための知恵の図が張り巡らされているように見えた。
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