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日本人学校に通っていたころのクラスメイトには、約半数くらい華人の子孫がいた。かれらは第二国語として現地語を話せる者もいれば、まったく話せない者もいた。それだけ、在日~と呼ばれるように、世界に散ったということだ。
台湾が日本統治下にあったころ、日清戦争が起こり、母方の祖父母は国語運動に巻き込まれていた。
皇民家政策(天皇バンザイ洗脳)はいつでも過激で、現地語を話せば処され、信じていた神を信じれば処され、名前を変えられた。
祖父母の両親はともに、過激な政策を前にデモを起こし、その戦いのなかで命を落としたらしい。
長引くだろう戦争に危惧した日本は、資源供給地として機能していたはずの植民地、台湾から、足りない兵力を抽出することに奔走していた。
祖母が身を寄せていた寺廟は取り壊され、神社に改築された。時差も直された。君が代の意味を知った。
中国との戦争だったので、漢民族の徴兵はいささか問題視する声もあったが、背に腹は変えられず結局は徴兵をとった。
祖母は去年、八十ニ才という天寿に幕を引いた。この年齢の人たちはもはや、そう多くはない。
いまでこそ、現地の日本人学校に通う子供たちは、なぜ一部の老人が日本語を話せるのか、その理由を知らない。
いつか、あの島が日本の統治下にあったことさえ知らなくなるのだろう。教科書に載る程度の、遠い国のお話なのである。
戦争とかデモとか聞いてもいまいちピンとこない我々日本人は、たぶん平和な森の生き物だからなんだとおもう。一長一短である。よくいえばのんびり、わるくいえば鈍感なのだ。三島由紀夫の自決したときの台詞、「この国は骨抜きだ!」がなんとも印象深い。
秋葉原の歩行者天国事件をおもいだす。事件現場を携帯カメラで写す若者の、なんと無邪気な表情か。
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