いわゆる左寄りの記事にさえ、彼の存命が書かれていない。訃報も吉報も、我関せずの態度を守っている。
メフディが某国に滞在する期間が五年延長されることになった。しかしその先はなにも保障されていない。恐れるべきは人びとの関心の風化であり、もしその風化を祖国が狙っているのであれば、確実な死刑が彼を待っている。
彼がしたことは、私もしていることである。つまり、私が彼の国でおなじ事を成しておれば、私の首に縄がかかる。
人びとは言う。国や生まれは関係ないと言う。私はそれを、もっともなことだと信じたい。そしてそれを信じるならば、私も死刑に値することになる。
善悪について考える。私が悪いことだと思っていないことを、他国でやるとする。しかしそれはその国では罪だった。
見知らぬ人が顔色を悪くしながら、重い荷物を代わりに持ってくれという。はじかれるように差し出した手に感じるそれは思いのほか軽く、なにごとだと顔をあげると相手はもういない。しばらくその場に立ち尽くしていると、いつのまにか民間警察に囲まれ、警棒で頭をたたかれる。血が流れ、朦朧とする思考のなか必死に弁解をしようとする。しかし言葉が通じない。拘置所に連れられ、大使館の人間や現地の警察がなにごとかを話し合っている。どうにか誤解は解けたかと思われたが、裁判に出ることになり、いつのまにか処刑を言い渡される。麻薬だったのだ。
スカートを穿いて町に出る。見渡す限りその国の女性は肌を見せる者がおらず、全身を黒ずくめにまとめ下を向いて歩いている。郊外に出ると人々は後ろ指を差し、なにごとかとふりむくと我が身は私服の警官に囲まれている。五信六行を侮辱する行為は万死に値する。それは大罪だった。
ルームメイトと称し、同じ部屋を借りる友人がいた。彼女たちは大親友であり、幼馴染でもあり、家族でもあり、恋人でもあった。彼女たちの部屋には大きなダブルベッドがひとつあった。それが公になり、家宅捜査によって二人が同性愛者の疑いがかけられた。事実彼女たちに性交のあとはなかったが、それを証明するには処女膜の確認が必要だった。その国では婚前の性交渉はタブーであり、もちろん同性同士の性交渉は発覚したとたんに石打ち刑に処されるので殺される。病院での診察の結果、彼女たちは白だった。しかし事は収まらなかった。彼女たちの親族が、彼女たちを銃殺するのである。清い血を守るための粛清という名のもとに。
マレーシアで日本人女性が麻薬を持ち込んで死刑になるおそれがあると報道された。
現在、日本では麻薬常用者を有名人を筆頭にして芋づる式であぶりだそうとする風潮があるが、麻薬=死刑という認識のある国では、お笑い以外のなにものでもない話なのである。
盗みをしたなら、盗みを働いた両腕を切り落とす。レイプをした男がいたなら、その男のペニスを切り落とす。単純明快なやり方に賛同するものもいれば、否定するものもいる。その違いは、いったいどこからくるのだろう。
私たちのなかには、いくらかの人が思う。何も、麻薬で死刑にすることなんてないのに。
しかし他国の人間はそうは思わない。麻薬は人を堕落させ、無関係な人間をも巻き込み、治安を悪くさせる。
私たちのなかには、ほとんどの人が思う。無差別に殺人を犯すような凶悪犯罪人は死刑以外にありえない。
しかし他国の人間はそうは思わない。もはや死刑の存在は抑止力にすらなっていない。
浮気。婚前性交渉。麻薬類使用。飲酒。銃刀所持。断食期飲食。たばこ。深夜外出。スラング。レイプ。
性再指定手術。未成年異性間交遊。同性愛。肉食。音楽。作文。勉強。免許。女性進出。脱教。
哲学。服飾。怠慢。育児放棄。堕胎。流産。出血。月経。夢精。思想表明。
なにがよくて、なにがいけないことかを、自分の頭で考えたことはあっただろうか、と私はたまにおもうことがある。
勧善懲悪についてはだれもが幼いころ、家の中で、学校で、社会で覚えたつもりでいる。しかしそれは自分の内側から選別した善悪(常識)ではなかったのである。教師のことばを丸呑みし、教科書を指でなぞり、テレビで犯罪の種類をおぼえ、ドラマで新しい感情論を学び、直面する身近な交友関係に適当な経験を照らし合わせ、いつのまにかその国の規範的な人間像ができあがっている。
人が自分のことばを持たなくなったのは、調和を守るためだったのかもしれない。多少の犠牲はつきものであるというのは、現実的であり、建設的だったのかもしれない。
自分のことばを持つというのは大変なことである。えてしてそれは人を掬うべく存在するものであり、その逆もしかりである。
子をまもるためなら、母は襲う相手を殺し、その殺人の妥当性は保障されるという。
親友とは、悪行をおかした友を匿えるほどの友愛を持つ相手のことをさすという。
保守的な楽譜を情緒豊かに演奏したものは、そっこく打ち首にされるという。
レイプされた娘の親は、その相手を殺し、娘も殺すという。
この国で許されていることや許されていないことのなかに、洗脳され気味の私の頭はなにかを嗅ぎとることができようか。国と人は違うというが、それは難しい事だとおもう。他国を非難する心は、帰属意識からくるものなのだから。
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