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一体感。週末という名の免罪符は、しょうがないなという風潮の元、おつかれの働きマンが蔓延るこの東京にとって、一種の文化なのか。
混雑した週末の揺れる終電、4分遅れで駅に到着。
スーツを着こなす営業と思われる若い男女二人組み。奔放な会話に耳が寄る。会社での付き合いで、上司に対する女の酌が抜群だったと、男が女を評価している。「飲みたくない場所でもキヅカイができる子はいいよ。」「いやあ、全然大したことないですよ。」
彼らを背に、ロングヘアーの女子高生が、学生バッグからアイ・パッドを取り出し、髪をかきあげイヤホンを付ける。日付けの変わる時間帯、制服を着た学生が電車に乗っていることに誰も違和感を示さない。皆、疲れている。彼女のイヤホンから音漏れはない。
「学生の頃はよかったですよね、いやな人とは付き合いとか考えなくてよかったんだもん。やりたいことだけやって、好きな人と好きなことだけしてりゃよかったんだから。」「あの頃に戻りたいよねえ。」
聞こえよがしの会話は、女子高生の耳に届くか否か。対しては、瞳を閉じ、聞こえない振り。
車掌の案内と共にドアが開く。人の波はない。誰も降りないことを皆が同意する。
不意に声が響く。「降ります」。女子高生の声。ドア付近の営業が脇にそれる。
彼女の声に振り向く乗客と、彼女のあとに続く千鳥足の年配の男。
白いものの混じった年配の酔っ払いを軽く見送り、下を向いたまま乗りなおす女子高生。少しバツが悪そうにして営業の女は道をあけた。
急に発車する乱暴な運転、揺れる人並み。女子高生の足は掬われた。
倒れかけた彼女を支える営業の女。はにかみ合う二人に、営業の男の笑顔がだらしない。
ささやかな補い合い。気付かぬ気遣い。人という字。愛という字。
垣間見えるドラマ。作り笑顔ではない彼らの笑窪の向こう側に、つらいことを耐えた自分たちへの小さなご褒美なのだと、素直に受け止める。人々が皆、素直になり、一体感を生んだと信じる。錯覚でもいいから、思い込む。
素晴らしい世界。それでいい。
歳の数を重ね、知識を蓄え、難しい言葉を覚え、苦難を経験し、自立し、物を語ることが、大人になるということじゃない。そもそも、大人というものが絶対じゃない。
若くても、理解しようとする心を持ち、簡単なことばで愛を唱え、人の苦しみを分かち合い、景色や相手を目を閉じても感じることができ、自分らしい生き方を全うすることが、人として魅力ある生き物なのだと。
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