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栃木は宇都宮、墓参り。兄と待ち合わせをし、一時間半ほど電車に揺られた。
迎えにきたのは腹違いの姉と、姉をママと呼ぶ子ども3人と、姉の母親だった。結婚をし、私と同じ苗字だった姉は姓を変え、子を授かり、家庭を築いていた。私たちと初めて会う子どもたちは興味深げにアプローチをしかけてくる。長男はDSを夢中にいじりながら、何ごとかをしきりに同意を求めてくる。私の兄は不意に子どもが欲しくなったとつぶやいた。将来美人になるだろう長女と次女は、どうやら言葉を覚えたばかりのようだ。ダイキ、レナ、カリン。まるで絵本に出てくるような子どもたち。
デパートで線香と生花を買い、姉の車の窓から流れゆく景色を眺めていた。車両が二つしかない電車、電柱が目立つ背の低い集落、緑の田んぼ、古い看板。江戸時代から継がれている私の苗字と同じ先祖たちが眠る墓地へと赴く。四年前に訪れたときより、心なしか墓石が増えた気がした。代々この苗字の人間は裏方で主に仕えていた者が多かった。また女系が多く、サザエ家と同じ婿入りをしてまで一族を繋がせていた節もあった。しかしその依怙地ともいえる一族繁栄への手段に罰が当たったと考えるか、仇と考えるかは別としても、事実、訳あって自害したものもおれば、志半ばにして病に伏せるなどして、天寿をまっとうした先祖はなかなかいないという。
私と同じ苗字を持った人たちの数を、兄と私は墓石に彫られた名前をなぞり数えたが、水かけのほうに気を取られるふりをして途中で故人の名を追うのをやめた。不気味になったからだ。自分たちと似通った血を流す人間がここに眠っているという生温かい現実は、不謹慎なことだが私たちを不快にした。
今こうしてジーンズとパーカーを身に纏い線香を焚いている私がいるのなら、数百年前、着物を着た女が、刀を下げた武士が、宣教師然とした男が、同じように頭をもたげていたのだと思うと軽くめまいがする。そしてその着物女も武士も宣教師も、どこかで死にここに眠っているのだとすれば、私もどこかで死にここで眠るのだろうかとそんなことを思う。まったくもって同じことを、ここで手を合わせていた数百年前の先祖たちは考えていたのかもしれないし、こんなところで眠るものかと海や山で朽ちそのまま風に消えたのかもしれない。本当にこの地の底に彼らは葬られたのか、そんなことまで考えは広がっていく。
昔は葬式なんてものは行わず、死体は墓場とされる場所の前で焼かれ、そのまま骨を土に埋葬した。その焼き台とおぼしきスペースで、新聞紙に擦ったマッチを寄せ、その種火で線香を焚いた。よく晴れていた。
前回来たときは、私の母と祖母も一緒だった。祖母と私の先祖はまったくもって血のつながりはないが、私は祖母と墓の下にねむる「誰か」がひどくちかしい者同士と感じてやまなかった。それがどうしてなのか、なにが両者を引き合わせているのかわからないままだったが、祖母は私の先祖たちの墓前からすこし離れた場所で、長いこと突っ立ったまま前を向いていた。祖母はなにを見ていたのだろう。