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ALTEREGO

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ゆらぎ

 はじまりとおわりについて。
 私の感覚でいう俗語、この世界の森羅万象は、起点と終点でつながっている。
 読書であるなら、本の重みを手に感じるときこそが起点であり、本を閉じるとき物語の絵が脳裏によぎる瞬間が終点である。
 音楽であるなら、最初に鳴る音こそが起点であり、余韻さえもなくなる瞬間こそが終点である。
 食事であるなら、においを嗅いだときこそが起点であり、満腹をわすれるときこそが終点である。
 人間であるなら、産声をあげたときこそが起点であり、記憶や感情を放棄するときこそが終点である。
 しかしながら、宇宙はその点と点をむすぶ直線上に則っていない。
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采配

 青いボールに、緑色の苔だかカビだかがところどころに生えている。近づいてみると灰色やら黒やらの微生物がいるかと思えば、それは建築物であり、道路だった。もう一度距離をとって眺めてみる。やはり青いボールである。海は人の手によって汚されているというが、距離をたもてばここまで青い。宇宙から見た地球なんて、碍もなければ貢献もない。強いてあげるならば、宇宙にゴミを出し消化できていない現実くらいだ。

 目的地をしぼってみる。子どものころ、遊んでいた田舎の畦道。子どものころ、というものをさらにしぼってみる。たとえば見栄を覚える8才くらい。地図から消えた村の名前は、どうやら何度も町や市と合併していたようで、おかげで検索しても見つからないわけである。川沿いの砂利でころんで足を怪我した場所をさがしてみる。ない。地形が変わったか、記憶がずれてしまったようである。

 たとえば羞恥を覚える9歳くらい。電燈のひかりだけでは心もとないような、夜の田んぼと誰が所有しているのかわからない更地。ドブに囲まれた田んぼの脇には、少年少女たちのひみつ基地があった。立ち入り禁止の看板が柵にかけられた簡易ダムの階段をのぼると、そのてっぺんから内部が覗け、話し声がこだまするその空洞は彼らの特別な空間だった。ところどころに寝転げられる足場があり、そこであるときはおたがいの秘密を披露し、あるときはお菓子を持ち込み、あるときは一人で時間をすごす。ひみつ基地を知るものはアジトをばらさない掟をまもり、まもることはとても特別なことだった。また、特別なことは少年少女をすこし成長させ、成長するということはひみつ基地をいつか放棄することだった。

 たとえば現実を知る10歳くらい。空港で奇妙な言葉をはっする男に声をかけられ、とっさにリュックから差し出したポケットティッシュを奪い取るようにして去る男。去り際になにごとかを呟いたが意味がわからなかったこと。その男はトイレへ駆け込んだこと。のちに耳に残った綴りが謝意をふくんだものであると知ったこと。そのころまでは、知らない人に関わってはいけない、という教訓は学校でも家でも教わったが、自分から学ぶものもあったということ。知らない人および危険そうな人の気配がするのであれば、極力安全な策が取れる立場でいること、子どもの地位を使ってすべてを投げ出して助けを呼ぶことができるということ。

 そこからはだんだんと記憶はたしかなものとなっていく。現在に近づくにつれ、それは濃厚なものとなっていく。グーグルアースはすばらしい。というよりもおそろしい。
 記憶は順にたどることはできない。断片的なものである。もっと古い記憶を捜してみる。

荼毘

 兄から写真が添付された携帯メールが届く。金色の大理石の壷に祖母の顔がのっている。いまわの際とは違い、ふくよかで血色のいい顔だ。

 この顔を見ると、原付バイクを連想してしまう。通っていた学校は治安を至上視するためにスクールバスが出ていたが、私には私用が多かったことと、近所に家があったことと相まって祖母が迎えにくることがあった。祖母が迎えにくる様子は、学校の教師たちの目をいたずらに集め、私はそのつど辟易した。信号無視を決める100ccの原付の足元にはシーズーが顔を出し、ウェイ! とかけ声とともに颯爽とあらわれる祖母に私はがっくりと肩を落とす。歳なんだからさあ、ねえ、と私が暗に忠告しても、大丈夫大丈夫と言ってるそばから隣を走る車にクラクションを鳴らされている。
 身内の博打トランプで荒稼ぎし、プロレス中継を不敵な笑みで眺め、お笑いタレントにこいつは精神病だと冷やかしを入れ、市場に繰り出せば価格交渉に精を出し、包装紙のプチプチにおもむきを見出し、業務用卸売りスーパーで迷子になり放送案内を利用し、似合わないサングラスを買いあさる。


裾野

 自室の窓から夜明けに気づく時間帯が遅くなった。いつのまにか蝉は鈴虫にバトンタッチしており、ハトの出勤時間もゆっくりめとなった。ベランダから遠くまでのぞく朝闇が私は好きだ。オレンジ色の光を帯びはじめる前の、町も虫も眠っている時間が好きである。

 昔から夕闇派より朝闇派だった。夕闇は一日の終わりや始まり、成功や失敗といった、継続的で生命力があふれているイメージがある。きっとその時間帯は人間たちが活動的で、その時間をどこかで誰かが共有しているからだ。それらを直接この目で見ることはなくても、耳を澄ませば人の声や町の息遣いは聞こえてくる。
 それに対し私にとって朝闇とは、時間や、勧善懲悪とはかけ離れた断片的で無機質なイメージがある。かといって手放しに無感情になることでもなく、リラックスすることでもなく、解放的な気分になるわけでもない。

 私は昔から、大きな行事やなにかしらの節目の前日になると、夕焼けを見て鬱々とした気分にさせられていた。受験、帰国、葬儀、面接、やりたくないこと、行きたくない場所。そればかりではない、本来よろこぶべき日を前にして見る夕日でさえ、ふと気づけば私は憂鬱になっていた。恋人と出向く旅行、里帰り、結婚式、表彰、出産、久しい友人との食事。私は夕日を眺めてかならず思う。「次にこの夕日を見るときは、~~が終わってからだ」私は目に見えないなにものかに脅えながら物憂げに考える。私は明日、正気でいられるだろうか、普通でいられるだろうか、今日と同じでいられるだろうか。

 そういう日は決まって夜遅くまで起きていた。朝闇は自分だけのものと知っていた。
 異国にいたころ、中学の卒業式を終えあとは帰国するだけとなった私の朝闇は、その日も健在だった。翌日に帰国するために準備を済ませてあるはずのショルダーケースの中は、いまだ空のままだった。机の右側の窓から見える深夜の空は、その日も星が見えなかった。机のライトを消すと、8畳ほどの部屋には青白い光が背中からともされていた。観賞用の海水魚は三ヶ月前に死んでしまい、間接照明としてしか機能していない水槽は、チューブの先から意味もなく酸素がそそぎこまれていた。耳をすまさずともぷくぷくと静かな水泡の音が聞こえてくるのは、朝闇のときだけだった。

応答

 栃木は宇都宮、墓参り。兄と待ち合わせをし、一時間半ほど電車に揺られた。
 迎えにきたのは腹違いの姉と、姉をママと呼ぶ子ども3人と、姉の母親だった。結婚をし、私と同じ苗字だった姉は姓を変え、子を授かり、家庭を築いていた。私たちと初めて会う子どもたちは興味深げにアプローチをしかけてくる。長男はDSを夢中にいじりながら、何ごとかをしきりに同意を求めてくる。私の兄は不意に子どもが欲しくなったとつぶやいた。将来美人になるだろう長女と次女は、どうやら言葉を覚えたばかりのようだ。ダイキ、レナ、カリン。まるで絵本に出てくるような子どもたち。

 デパートで線香と生花を買い、姉の車の窓から流れゆく景色を眺めていた。車両が二つしかない電車、電柱が目立つ背の低い集落、緑の田んぼ、古い看板。江戸時代から継がれている私の苗字と同じ先祖たちが眠る墓地へと赴く。四年前に訪れたときより、心なしか墓石が増えた気がした。代々この苗字の人間は裏方で主に仕えていた者が多かった。また女系が多く、サザエ家と同じ婿入りをしてまで一族を繋がせていた節もあった。しかしその依怙地ともいえる一族繁栄への手段に罰が当たったと考えるか、仇と考えるかは別としても、事実、訳あって自害したものもおれば、志半ばにして病に伏せるなどして、天寿をまっとうした先祖はなかなかいないという。

 私と同じ苗字を持った人たちの数を、兄と私は墓石に彫られた名前をなぞり数えたが、水かけのほうに気を取られるふりをして途中で故人の名を追うのをやめた。不気味になったからだ。自分たちと似通った血を流す人間がここに眠っているという生温かい現実は、不謹慎なことだが私たちを不快にした。
 今こうしてジーンズとパーカーを身に纏い線香を焚いている私がいるのなら、数百年前、着物を着た女が、刀を下げた武士が、宣教師然とした男が、同じように頭をもたげていたのだと思うと軽くめまいがする。そしてその着物女も武士も宣教師も、どこかで死にここに眠っているのだとすれば、私もどこかで死にここで眠るのだろうかとそんなことを思う。まったくもって同じことを、ここで手を合わせていた数百年前の先祖たちは考えていたのかもしれないし、こんなところで眠るものかと海や山で朽ちそのまま風に消えたのかもしれない。本当にこの地の底に彼らは葬られたのか、そんなことまで考えは広がっていく。

 昔は葬式なんてものは行わず、死体は墓場とされる場所の前で焼かれ、そのまま骨を土に埋葬した。その焼き台とおぼしきスペースで、新聞紙に擦ったマッチを寄せ、その種火で線香を焚いた。よく晴れていた。
 前回来たときは、私の母と祖母も一緒だった。祖母と私の先祖はまったくもって血のつながりはないが、私は祖母と墓の下にねむる「誰か」がひどくちかしい者同士と感じてやまなかった。それがどうしてなのか、なにが両者を引き合わせているのかわからないままだったが、祖母は私の先祖たちの墓前からすこし離れた場所で、長いこと突っ立ったまま前を向いていた。祖母はなにを見ていたのだろう。


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