作文だけ書いて中学生にあがった。高校に上がっても勉強はせず、ノートといえば作文だった。
小学校と中学校は一貫の私立で、一年に一度配布される文集があった。作文が掲載されるのである。この文集の存在は、私の作文に対する気構えに姿勢を正させる何かがあった。
小学校のときは、コミュニケーション手段のひとつとして作文を書きまくった。担当教師ひとりに見てもらいコメントを書いてもらえば、コミュニケーションは成り立ち、それで満足だった。しかし中学校では作文に、いい、悪い、という評価が生じ、さらにいいものは授業に取り上げられて注目をあびる。
中学二年のときに書いたものが授業で使われた。私はたいへん舞い上がり、調子に乗り、作文書きにますますのめりこんだ。中学時代に私のほぼ全てともいえる時間を注いだのは、作文か、音楽か、この二つだった。しかし、コミュニケーション手段として活用していた作文はその姿のままでいることはなく、人目に触れるための作文にかわっていった。音楽はときに恋人とともに私の手を握ってくれたが、それ以外の分野での作文に関しては、まったく狭い世界で生きていた。それが全てだった。
それだけ心血を注いで書いていればそれなりに作文は上達する。年に一度の文集特別掲載というみみっちい目的はわりあい達成される。私の作文はよく表彰された。
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