忍者ブログ

ALTEREGO

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


笑止

 「あーもうほんっとに、あいつらばっかじゃないの。おおばかやろうばっかり!」
 アパートに帰り、ストッキングを脱ぎながら私は叫ぶ。テレビと向き合いゲームをしていたミツオはちらりと私を振り返り、ビールかなんか飲む? と訊く。おう、飲む、飲む。答えると、ゲームを待機画面にしてミツオは台所へいく。缶ビールを私に手渡し、
 「だれ? チイちゃん? 鍋島?」
 訊きながらゲームに戻る。私は宴会なんだか拷問なんだかだった飲み会の面子をこたえる。
 「鍋島、りつ子、コマ、キヤマ。恋愛氷河期とかなんとかさあ、好き勝手言いやがってよう」
 脱いだストッキングをまるめて放り投げ、ソファに座って私は冷えたビールを飲む。部屋は暑いほど暖房がきいている。ミツオは半袖Tシャツなのだから、トレーナーを羽織って温度を落とせばいいのに、と貧乏くさいことを思うが、面倒で私は言わない。テレビ画面のなかで、金髪タンクトップの男が、スーツを着込んだ敵と闘うのを眺め私は今日の飲み会の報告をする。
 「だいたいね、キヤマとかりつ子ってのはもうすでに妄想界の住人だからね。あいつら現実の男とお付き合いなさすぎて、人ってものをわかってない。ドラマに出てくるようなかっこよくて稼ぎもいい男が、現実にカクテルに指輪仕込んで結婚申し込んでくれるって信じてるんだよ、おげえ」
 「ゆいちゃん、何そのカクテルに指輪って」ミツオはへらへらと笑う。
 「私が思うに鍋島が悪い。あの男がうろちょろしてるから、みんな擬似恋愛で満足するんだよ。鍋島がいなければしゃべる男もいないから、みんな焦るってもんなんだよ」
 灰皿や煙草や鍵、ガス代金の請求書や耳掻きやボールペンののったソファテーブルから、クレンジングコットンをとり、私は顔を拭いていく。
 「鍋島ってさあ、女を憎んでるんだとおもうな」
 「そう! それなの! 私もずっとそう思ってた。あの子、自分で気付いてないけど激しく女を嫌ってるよね」
 「だからそのへんが鍋島の悲劇なんだよなあ。女としかつるまないじゃん、あいつ。そのくせ絶対恋愛にもちこまないし。ゲイかなって思ったけどそうじゃないみたいだし」
 「てういかコマちゃんは鍋島がすきなんだよね。のび太がださいぶん鍋島で我慢してるっていうか」
 「え、のび太って彼氏だっけ」
 「そうそう、あのぼんくら。性欲なさそうな。和菓子屋のぼん」
 「うわっ、また負けた! 信じらんねえよ」ミツオは部屋じゅうに響き渡るような声で叫び、あぐらをかいた自分の膝をげんこで数度叩く。リセットしてやりなおすのかと思っていると、立ち上がり、
 「お茶漬けとか、食う?」
 と訊く。うん、食う食う、化粧をさっぱり落とした私は笑う。暗い台所で調理を始めるミツオの後姿を私は眺める。冷蔵庫の前でしゃがみこみ、長い間迷って何かをとりだし、やかんに水を入れて火にかける。何か鼻歌をうたっている。私の知らない歌だ。本当に浮気しているのかもな、ちらりと思う。若い子と遊ぶために若い子の歌を覚えたんじゃないか。
 ミツオが若い子とカラオケにいったり酔ってでれでれと歩く姿は、いともたやすく想像できる。袖口のほつれたセーターやトレーナー、あまり清潔とは言いがたいジーンズをいつも身に付け、髪はぼさぼさでひげもきちんと剃れず、全身から不潔感が漂う上、金も持っておらず気の利いた遊び場も食事処も知らないミツオが、女にもてるはずがないと私はタカを括っていたのだが、意外に女にすかれるたちらしい。三度の浮気はたまたま浮上しただけで、ほかにもきっと色事関係はたくさんあるんだろうと近頃思う。二、三年前は、そのことで私もずいぶん悩んだり、逆上したり、数年後にバカオとののしられると予想もせず友達一同に相談を持ちかけたりした。けれど今はそんなふうではない。もちろん、ともに暮らす恋人が、若い女とでれでれ性交しているというのはおもしろいことではないけれど、それについて何か思うことに飽き飽きしてしまったのだ。それはね、疲れたってことなんだよ、そんな疲れた交際はやっぱりやめたほうがいいよと、キヤマたちは眉間に皺を寄せて言うけれど、そういうことでもないと私は思う。そうじゃなくて、ミツオと数度関係を持つ女の子たちは、きっとミツオを大好きになることはできても、大嫌いにはなれないだろうと思うのだ。私ほど強くは、嫌いになれないだろう。そう思うと、なんだかどうでもよくなってしまうのだ。
 「ゆいちゃんは明太子茶漬け。おれは梅干しい」
 両手に碗を持ってミツオは部屋に入ってくる。ソファテーブルの上のライターやら鍵やらを床に落とし、碗を二つ並べる。私たちは並んで座り、ずるずるとお茶漬けをすすった。足をのばし、ミツオは器用に足の指でリモコンのボタンを押し、テレビにどこか異国の風景が映る。
 「あ、世界の車窓」
 ミツオは言ってテレビに見入っている。晴れた空が映り、雲を映す湖が映る。
 「なんかプラズマテレビってすげえいいんだって」
 ミツオは言う。湖のなかをゆっくりと雲が移動している。カットが変わり、白と青の車体が映る。
 「じゃあボーナスで買うかな」
 「ええ、まじい? うれしいなそれ」
 「でもいくらすんのかな、プラズマって」私は言う。嫌味だ。プラズマテレビがいくらするか私は知っている。ミツオに金額を言わせることで、それだけの金額をきみは私に支払わせるのだと自覚させようとする、これまた貧乏臭い嫌味である。
 「十万くらいじゃないの」ミツオは言って汁を飲み干す。はーうまかった、とため息をつく。
 あほか。ちっこいサイズだって四十はするっつうの。私は心のなかで思わずつっこみを入れ、けれど口では、
 「ほんじゃ今度の休みにヨドバシいって見てくるか」などと言いへらへら笑う。
 「お、そうしようぜ」ミツオは言って、空の茶碗を流しにもっていった。私の知らない鼻歌が、仕切り戸の向こうからふたたび聞こえてくる。
 ミツオとは麻雀で知り合った。学生時代からつるんでいる麻雀仲間のだれかがミツオを連れてきた。ミツオはあまり強くなく、いつも暇にしているから、面子が足りないときは重宝した。負け代金をツケにするのが玉に瑕だったが、呼び出されればミツオはいつもへらへらと顔を出した。最近、りつ子やコマちゃんは、面子が足りなくてもミツオを呼ばない。バカオのツケを私が払うとわかっているからだ。
 寝室に布団を敷き、目覚ましをかけて私は布団にもぐりこむ。半分あけたふすまの向こうで、ミツオはまだゲームをしている。あっちくしょう、だの、つええよ、つよすぎるっちゅうの、などと、独り言が聞こえてくる。それを聞きながら私は目を閉じる。数秒を待たずに眠りはやってくる。

 木曜日、昼近くに起きた私たちは、上野駅のイタリア料理屋に昼飯を食べに出かけた。向き合ってパスタをすする。私たちは神妙な顔をしてパスタを食べ続け、何もしゃべらない。隣席の女たちの会話に、じっと耳をすませているのだ。
 木曜の昼間に暇にしている人を見ると、みな自分と同じデパート勤めなのではないかと私は思う。しかし彼女たちの大声で交わされる会話から、二人とも近隣企業のアルバイトであることがわかる。今日が休みなのではなくて、二人はランチを食べにきただけなのだ。二人ともずいぶん気合の入った恰好をしている。はばかりのない大声で「モリくんはクソヤマトのことなんか相手にしねえっつうの、なのにさあなんなのあのバカ女。いまどき試写券でつるなんてさあ」「でもモリくんいくって言ってた」「何それ、それをあんたに言うわけ? マナリンもちゃんとしなようう」「べつにいーんだ試写会くらい。それよかむかつくのは合コン」「あーあー合コン。ヨウコさんもおっかしいよねえ」「てゆうか今日のヨウコさんの恰好すさまじかったねえ」「あれモリ狙い? それともナカモトさんとの噂ほんとなのかなあ」「ノンちゃん合コン誘われた? 誘われないよね」「誘われるわけねーべや。てゆーかあたしモリくんに嫌味言ってやろ」「いーってそんなの、いーっていーって」切れ目なくしゃべっている。マナリンは渡り蟹のトマトソーススパゲティを食べ、ノンちゃんは鶏ときのこのクリームスパゲティを食べている。
 私はカルボナーラからちらりと目を上げ向かいに座るミツオを見る。ほうれん草とベーコンスパゲティのミツオは神妙な顔をしてフォークに麺をまきつけている。私と同じことを考えている。私は早く二人の話を検証したくてうずうずしている。
 案の定、女たちが席を立つやいなや「おれ思うんだけど」タバスコを大量にかけながらミツオはぼそりと言う。「ノンちゃんはさあ、マナリンの恋を応援しているようでいて、その実、モリくんをねらっている」
 「やっぱりか!」考えていたことがまったく同じだったことに興奮し私は大声を上げる。
 「しかしモリくんはもてるんですな。私はね、じつはノンちゃんはすでにモリくんとやっているとみた」
 「かもな。モリくんてけっこうフリーセックスかも」
 「ヨウコさんともたぶんやってるね。ナカモトさんてーのは妻帯者で、マリさん不倫街道で、そんでさみしくなって寝たんだねモリくんと」
 「じゃモリくんとやってないのはマナリンだけか」
 「あいつちょっと少女少女入ってたもん。キヤマ系だね」
 私たちは見ず知らずの女たちの背景を勝手に作り上げ、考察し、その後の展開を予想して楽しむ。下品な趣味だと我ながら思うが、この下品さが私とミツオの唯一の共通点であると私は思っている。友達をこきおろしたり、知らない人を無責任に考察したりして、それをまったく恥じることなく純粋に楽しめるところが。
 イタリア料理屋を出ると、見事に晴れ渡っている。さっきより気温もずいぶん高い。
 「小春日和」ミツオが言い、
 「それは秋だって」私は訂正してやる。
 「なんか午後から仕事いきたくねーな」
 「じゃ、さぼる?」
 「梅とか見にいきてーな」
 「梅、いいねえ。きっともう満開だよ」
 「じゃいかねえ? まじで」
 「えーほんとに仕事休む? 平気?」
 「平気だろいちんちくらい。梅ってどこで満開なの」
 「そうだなあ、青梅とか。青梅っていうくらいだから梅の町でしょ」
 「よっしゃ青梅いこう」
 私たちは切符を買いに歩き出す。途中、ミツオは携帯電話を取り出し、午後からいくことになっていた仕事に断りの連絡を入れている。午前中歯科医院にいったら親知らずが捻じ曲がってたいへんなことになっていて、ちょっとした手術をされ、明日の午後まで安静にしていなくてはならなくなった、今も痛くて何も手がつかない歩けないと、呆れるくらい幼稚な嘘を必死でついている。背をまるめ電話をかける後姿を私は眺める。三十四歳。来月で三十五歳。この人の母親は、自分の息子が、親知らずを手術して歩けないなどと言って仕事をずる休みする男に成長していると知っているんだろうかと、そんなことを思う。
 電車は空いていた。私たちは並んで座り、窓の外を眺める。連なる屋根を、陽射しがちかちか光らせている。まるで海が広がっているみたいだ。向かいの席に、眠る母親と退屈した子どもが座っている。後ろ向きに顔をつけていた子どもは向き直ってミツオと私をじろじろ見比べている。ミツオが舌を出し寄り目をしてみせる。子どもは微動だにしない。じっと見ている。
 「かわいくねえな」ミツオがそっと私に耳打ちする。
 「そういう問題じゃないと思うんだけど」私は声のトーンを真似て返事する。
 母親がぐらりと上体を揺らし、手にしていた子どもの帽子を落とす。子どもは座席から飛び降り黄色い帽子をかぶる。そしてふたたび私たちをじっと見る。海のような家並みを背景に、黄色い帽子もちかちか光る。
 ミツオとはじめて会ったとき、かっこいいだとか魅力的だとか、そんなふうには思わなくて、ただ、この人は自分と同じようなものを見てきたのではないかと思った。成長過程での立ち位置がひどく似ていたのではないかと。調子者でだれかを笑わせるすべを考えることで毎夜過ごして小学校を卒業し、中学に入って自身の抱える暗さに気付いて愕然とし、必死に隠して人気者であろうと心を砕き、高校に上がってその暗さは諦観にすりかわり、何事も冷めた目で見ながら、それでも人に嫌われまいと冗談だけを言い続け、そのうち嫌われたくないという一点のみから行動するようになり、筋金入りの不良と筋金入りの優等生の双方と友達になり、中途半端に改造した制服を着て、自分は何者かになれると信じて大学に入り、何者かになるはずが恋やバカ騒ぎに明け暮れて四年を過ごしてしまい、何者かなんかどうでもよくなって、それでも自分が世界の中心にいると錯覚して遊び狂い、気が付いたら三十歳で、好きなことと嫌いなことを選り分けて、極力好きなことを寄せ集める日々をだらだらと送っている。ミツオは私と寸分違わぬところで成長してきたんだろうと思った。そうしてその印象は会うたびに確信に変わった。
 なんとなくつきあいはじめてなんとなく一緒に暮らすようになったのは、だから私にとって不思議もないことだ。そこには恋につきものの華やかさも浮き足立つような甘さもなく、たとえばシャンプーが切れて銘柄も選ばず買い足すような、淡々とした日常しかなかった。私たちは互いを見詰め合って愛を語ることも恋をささやくこともなく、明日には忘れてしまう友達の悪口を言って笑い、隣り合った見知らぬ人の事情を執拗に詮索して笑う。
 「なんか温泉いきたいよね」私は横に座るミツオに言う。
 「温泉っていうか海いきてえな」
 「両方あるとこにいきたいね」
 「そうすっとやっぱ夏かなあ」
 「泳げたほうがいいしね」
 「ゆいちゃん別荘買ってよ、伊豆か房総に」
 「別荘ねえ、いいねえ」
 私たちは遠い目をして、男の子の黄色い帽子の向こうに広がる単調な景色に見入る。
 どこへいくのだろう。この静かに流れる空いた電車に乗って、どこへ。私たちが今目指しているのは、梅の町ではなく、ぼわぼわした得体の知れない場所のように思えた。そこには別荘もないだろうし、自分たちの持ち家もない。ペットもおらず、車もない。ただ太陽だけが照っていて雲のない空がのたりと広がっている。
 うんと子どもの時分、私はどんな未来を思い描いていたのだったか。明確に思い出せないということは、きっとたいして何も考えていなかったのだろう。ただ、将来の夢だの目標だのを、書かされたり言わされたりするのがひどく苦痛だったことだけは覚えている。高校の同級生だったスウちゃんは、スチュワーデスになってアメリカ人と結婚すると言っていた。スチュワーデスにはなれなかったが実際アメリカ人と結婚した。大学のとき仲のよかったマンダは、広告会社に入って何かしたいと言っていた。卒業後、有言実行で大手の広告代理店に入り営業で外回りをしている。私の友達のなかで一番のお金持ちである。私はそういう友達を、何か別種の生き物を見るように見ていた。きっと彼らは、平日の昼間に電車に乗っても、目的地をたやすく思い浮かべることができるのだろう。自分はどこへいくのかなんて、子どもじみた疑問をふと感じたりはしないんだろう。
 窓の外にうっすら山の稜線が見えはじめる。もうずいぶん都心を離れた。
 電車が停まり、ドアが開く。黄色い帽子の子どもは飽きずに私たちを見ている。私は首を傾けてミツオを見た。ミツオも同時に私を見た。
 まったく同じことを言おうとしているのがわかった。結婚しようと私は言いそうになっていた。ミツオも同じことを言いそうになっていたはずだった。大好きながら大嫌いなこの男と結婚したとしても、未来はかわらずぼわぼわした得体の知れない場所だろう。別荘も車もない。日々の細かい支払いと食事と支度と生ゴミと、ほかの女の影とつまらない嘘と安っぽいゲーム音楽と、ちいさな諍いと新鮮味を欠いた性交と多くの手に入らないものとで構成された、ごたついた場所だろう。私は今とかわらず、帰り間際にミツオがくたばっていてくれないかとひっそり期待し、けれどミツオはごたついた場所で生産性のない格闘ゲームでもしているのだろう。
 私たちふたりともに欠如したたくさんのものごとのなかに、結婚観と人生観の欠如というのは歴然とあり、それはたとえば、大きな病のようなものだと私たちは思っている。不幸は自分の身には降りかからないと楽観的に信じている。結婚も人生もそれによく似た何かで、だからこそ、私たちはへらへらと日々を過ごし、この先、とか、二人の関係、とか、将来、とか、言い合わなかった。そういう気遣いを、相手と自分にしていた。
 結婚においてミツオが思っていることは私と大差ないだろう。ぼわぼわした、くそおもしろくない場所を思い描いているだろう。そのことが、この電車のなかで私をひどく安心さえ、気遣いの気持ちを解いたのだった。
 開いていたドアは閉まり、電車は音もなくなめらかに走り出す。私たちは数秒見つめ合ったまま、結局何も言わず電車に揺られている。
 「あの親、どっか具合悪いんじゃねえか」
 私から目をそらしミツオが言う。
 「っていうか子どももちょっとへんだと思わない? あんなにちいさいのに、身動きひとつしないで、じっと私たちを見てる。ずーっとだよ?」
 「笑わしてみようか」ミツオは言い、子どもに向かって白目をむき、舌をだらんとだし、人差し指で鼻を持ち上げる。
 「笑わない」
 「不気味すぎる」
 「あの子、なんだか鍋島に似てる」
 「おれもそれ思ってた。鍋島もこういう不気味なとこあるよな」
 「女嫌いっていうか人間嫌いなのかな」
 「かあちゃん病気みたいにずっと寝てたらそうなるかもな」
 「かあちゃんて言えばさあ、チイちゃんってマザコンだよね」
 「だってあそこんちのママ、すげえぜ。会ったことある? 指に全部指輪はめて、南国の島みたいな色のコート着て、なんかの鳥? みたいな。友達みたいなため口で話してきたと思ったら、『うそぴょーん』とかって言うんだぜ」
 「寒い」
 「年とったって感覚がないんだろうな。若いままなんだろうな」
 「でもキヤマとかもそうなりそうでこわい。キヤマ、カラオケであやや歌うんだもん。完コピできるってことはCD借りたってことでしょ。こわくない? 三十四、五女が」
 親不知手術という嘘をつく三十四歳と、そんな男を誘って梅見物にいく三十四歳の私は、自分たちを棚上げして、相変わらず友人たちを無責任にけなしまくる。
 「なんか駅の間隔長くなったね」
 「田舎だからな」
 「梅干売ってたら買おうね」
 「かりかりみたいなのがいいな」
 「やだあ、ぼってりしたほうがおいしいじゃん」
 「ま、どっちでもいいけど。うわ、唾たまってきた」
 私たちはうすく暖房のきいた車内でぼそぼそとしゃべり続ける。次の停車駅でふたたびドアが開いたら、さっき言おうとしていたことを言ってみようかと私は思う。いや、言う必要もないか、とも思う。まあどっちでもいいけどと、梅干のことみたいに思う。
 突然眠っていた母親が目を覚まし、寝ぼけた顔で周囲を見渡し、突然がばりと立ち上がる。ここどこ? ここどこよ? 男の子の肩を揺すって訊いている。男の子はされるがままになり、黄色い帽子はふたたび通路に落ちる。あー寝ちゃった。あー寝ちゃった。ター坊なんでおこさないのよう、あーもうここ、いったいどこなのよ? 帽子を男の子にかぶせ、母親はうろうろと歩きまわっている。私たちは笑いをこらえてうつむく。ミツオの肩がふるえている。電車は次の停車駅へとゆっくりすべりこむ。窓の外、遠く、停まったままの観覧車が見えた。
PR

不遜

 数年前の話である。たまにいく近所の中華料理屋に新しい店員が入った。外見は日本人だが注文以外の複雑な文章(テレビのチャンネルをかえてくれ、水のおかわりをくれ)はあまり理解できない様子である。そしてどこか不安な顔つきだ。どこからきたのかと日本語と英語で訊き、ネパールだと答えた。その前の月、私はネパールに出ていたのでそのことを伝えると、彼はひどく喜びネパールの印象を訊いてきた。彼は故郷を発ったばかりだという。
 旅行が好きで出かけるが、そのたび、その国の人々に信じられないほど親切にしてもらうことが多かった。レストランで隣り合っただけで食事をおごる人もいれば、仕事を放り出してともに歩き回りホテルを捜してくれる人もいる。遠回りして道に迷った私を目的地に連れて行ってくれる人もいる。私の異国の印象はほとんど、そこの特産物や景色などではなく、そこで出会った人で決まる。帰ってくるたび自分の国を訪れる異国の人はどんな印象を持つのだろうかと考える。
 次に例の中華屋に知人を連れて行ったとき、ネパールの彼が、頼みがある、と真剣な面持ちで言った。日本語を教えてほしい。やっぱり真剣な顔のまま彼は言うのだった。快く承諾したのは、私が異国で受け取ったさまざまな親切を返せるような気がしたからだ。
 彼は見知らぬ土地で友達が欲しいのだろうと思っていた。お茶でも飲みながらわいわいと話し、そのうちなんとなく日本語を覚えることができたらいいと思っているのではないか。だから私は気楽に彼と待ち合わせ、だらだらと話すつもりで出かけていった。
 ところが、である。参考書にノート持参の彼は喫茶店の席に着くなり、さあ教えてくださいと両手を握り締め構えた。真剣そのものである。わいわいどころでなく、だらだらする暇もなく彼は熱心に質問をし、単語を書きとめ、例文を繰り返す。こうして週に一度、私たちは真剣に額をつきあわせ、日本語を学んだ。
 それにしても、日本語のなんと難しいことか。「やっぱり」。このニュアンスを英語でどう伝えればいい。「私がやる」と「私はやる」の明確の違いは? 私はしばしば頭を捻り、一つの言葉や言い回しについてあれこれと考えなければならなかった。まるで小説を書くように。そして目の前の青年がこのニュアンスを感じ理解するまでにどれほどの道のりと困難が待ち構えているかということや、私と、彼との距離がこんなにも遠いという現実に目がくらんだ。
 彼は仕事をかえ、遠くへ越してしまったので日本語レッスンは三ヶ月で中止になった。
 なぜ日本語を習いたいと思ったのか訊いたときの、彼の答えを私は忘れることができない。
 電車に乗っていたら、近くに座っていた子どもが彼を日本人だと思い込み、不安げな表情で何かを訊いた。質問を繰り返すその子どもがものすごく困り、汗をかいて顔も赤くしており、それだけはわかるのだが何を訊かれているのかさっぱりわからない。わからない。何もできない。これはまずい。本気で日本語を学ばなくてはならないと思った。それが彼の答えだった。
 私はいったい、はじめてのレッスンの時に感じた彼の真摯な姿勢の何に驚いたのだろう。私は、彼が電車の中で会ったという子どもを思い浮かべる。理解して欲しい、助けて欲しい。知りうる全ての言語や思いをつめて、ありったけの勇気で救援を求めてみる。だが、隣に座っている大人は何もしてくれなかった。その男に限らない、電車の中にいる全ての人間が助けてくれなかった。
 どうして人を殺してはいけないのか、という話題が彼との会話の中であがったとき、彼はすらすらと矜持をもって答えてくれた。答えるための術のうち言語力が欠けていただけであって、彼は人として本当に尊敬できる人間だった。でも子どもには伝わらなかったのだ! 相手に伝わらなかった。そして己は理解できずに、相手のメッセージを受け取れなかった。全身全霊で受け取る体勢でいたのにも関わらず、だ。ここは外国だし自分は外国人なのだからという逃亡を選ぶこともできるが彼はそれをしなかった。そういうことをしない人間に課せられる、その絶望と孤独のありようについて。
 人が人に伝えたいと願うこと、思い。両者の距離が遠く、溝が深い。なにもそれは語学や言葉の表情だけじゃない。私が人に何かを知ってもらおうと挑戦しようとし、しかし挫折したそのときの果てぬ虚無感について。誰かが私に勇気を出して相談を持ちかけ、しかし言葉に詰まってしまったときの良心の呵責について。ネパール人の彼の行動力にみせられたものが何だったのか、今でもときどき思い出す。

障碍

 醸造酢のにおいがしみついているような髪が気になり、もみあげに垂れた数本をすくいかいでみた。自身から発しているにおいとは気がつきにくいものだ、ましてや寿司工場に昼から夕方まで缶詰状態だったのだから。
 階下から階段をのぞきこみ、ごはんよう、と明るく声を出してみる。返事はない。ごはんだってばあ、もう一度叫んでみる。ごはんだってばあ、もう一度叫んでみる。無音である。ごはん、いらないのっ、少し怒気を含んで叫んでみる。ややあって、
 「いらねーっつってんだろうがよっ」
 何かをドアに投げつける音とともに怒鳴り声が返ってきた。
 那美は食卓にいき、テレビのリモコンを手元において食事をはじめる。
 「あら、おいしくできた、今日のイカフライ」
 ひとりで声を出してみる。ばかばかしさと、食堂の静けさがよけい強調された。右手で箸を持ったままリモコンをいじり、旅番組にチャンネルを合わせた。お互い女優をやっている母子が伊豆の宿を訪ね、並べられた料理に感嘆の声を上げている。伊勢エビの刺身を見つめて那美はイカフライを食べ、アワビのステーキを見つめてきんぴらごぼうを咀嚼した。那美の隣、サチの席には茶碗が伏せて置いてある。どすん、と庭に何かが投げ落とされた音がして、那美は思わず体を固くする。またやった。そう思うと食欲が著しく低下する。
 サチは小便をペットボトルに詰めて庭に捨てる。最初、手入れされていない芝生に落ちているペットボトルを見つけたとき、通りがかりの中学生たちが、飲みさしのジュースを庭に捨てていっているんだと那美は思った。ゴミ捨て厳禁の貼り紙をはったのは、だからだ。けれどあるとき、庭を掃除していると、那美の誤解を笑うように二階の窓からペットボトルが落ちてきた。驚いて見上げると、サチの部屋のガラス戸が音を立てて閉められた。ペットボトルに半分ほど入った液体は、お茶かジュースだと那美は疑わなかった。キャップを開け、不快なアンモニア臭を嗅いだあとでも、腐ったお茶だと思い込もうとした。今だってそう信じたいが、けれど那美は知っている。
 どうしてわざわざそんなことをするのか、あるいはどのようにペットボトルに小便をするのか、那美にはわからない。高校生のころ、どれほど説明されても数式がわからなかったのと同様に、いくら考えてもわからないのだ。
 那美はうつくしい少女だった。他人からよくそう言われたし、自分でも知っていた。けれど今まで大それた望みなど持たずに過ごしてきたのは、自分のうつくしさの程度も那美は理解していたからだった。華やかなことの好きなクラスメイトが言うように、モデルになれるほどにはうつくしくはない、親戚が冗談めかして言うように、スポーツ選手に嫁げるほど美しくはない、けれど、人よりほんの少々幸福になれるくらいはうつくしいのだろうと、那美は自分を理解していた。人より少々多めの幸福―それがどのようなものか、二十代の那美はずっと考えていた。現在の夫から結婚を申し込まれたとき、ああ、これだ、と思った。自分がずっと待っていた、人より少し多めの幸福はこれだった、と。夫になる男は一流企業に勤めていた。一流企業とはなんであるかを那美は知らなかったのだが、夫の会社は那美も名を知っている生命保険会社だったから、きっと一流なのだろうと思った。友人たちはうらやましがったし、結婚式は希望通りのホテルで挙げることができた。子どもができるのが待ち遠しいわねとだれもが言った。きっととてもきれいなお子さんでしょうねと言った。もちろんそれは、自分がうつくしい女だからだと那美は知っていた。
 半分以上残した夕食を、那美は三角コーナーに捨てる。きんぴらごぼうとサチのぶんのイカフライはラップをかけて冷蔵庫へ入れる。流し台の蛍光灯をつけ、白々した明かりのなかで那美は皿を洗う。テレビの音が騒々しく背後で流れている。部屋は音で満たされているのに鎮まりかえっている。
 那美はそっと天井を見上げる。子ども部屋は台所の真上にある。子ども部屋にこもっているサチを思い描こうとすると、檻のなかでうずくまる珍獣が目に浮かんだ。
 風呂の自動お湯張りスイッチを押し、那美はテーブルに座って使い古した料理本をぱらぱらとめくる。テレビは旅番組を終えて、クイズ番組になっている。鰺の南蛮漬けときんぴらごぼう、あとは何にしようか。若い人はきっと野菜が不足しているだろう。銀ホイルのカップでほうれん草のグラタンをつくろうか。鶏そぼろとサヤインゲンで色ごはんにしようか。明日の弁当のことを考えていると少し気分が華やいだ。色合いがきれいだと、いなり寿司より何倍もおいしいと、あの新人の若い女はまた笑ってくれるだろうか。自分を若く美しいと、今年十五になる娘がいるなんて信じられないと言った、あの女。
 ピーと電子音が響く。那美はぐずぐずとたちあがり、階段の下にいき、手すりにつかまって上を見る。階上の暗闇に声を出す気分が萎える。食卓へ戻ろうとして、しかし意を決し、
 「サチちゃーん、お風呂どうぞー」
 明るく声をはりあげた。予想どおり返事はない。お風呂、先にどうぞー、もう一度あげた声を踏み潰すように、
 「うるせーんだよっ、クソババアっ」
 低い唸り声が返ってきた。
 部屋にずっとこもって外界と接触をもたない子どもがいるらしいが、サチはそういうふうではない。毎朝那美のつくった弁当を持って学校にいく。五時過ぎには帰ってくる。成績はよくもないが目を覆うほどではない。数ヶ月前の父母会で教師はサチについて「おとなしい生徒」という表現をした。お友だちは少ないようですが協調性にかけているというわけではありません、と言っていた。小便はトイレでしていますか、風呂に何日も入らないのですがにおったりしませんか、コンビニの菓子ばかり買って食べていますがそれでも問題ないですか、太っていることで男子にからかわれていませんか、那美は教師に訊きたかったが訊かなかった。人より少し幸福な家庭なのだと、サチもその幸福を充分に享受しているのだと、教師に信じていてほしかった。自分にもそう信じこませたかった。
 中学二年に進級してから、サチは帰宅後まっすぐ子ども部屋にいくようになった。そこから朝まで出てこない。でてくるときは、まるで人目を避ける野生の猿のようにこそこそと歩き、トイレにいったりコンビニエンスストアにいったり、冷蔵庫のなかのものを食い荒らしたり、ときどきは風呂に入ったりする。那美と出くわすと一目散に部屋に戻る。
 もともと明るい性格ではなかったが、どうしてそんなことをするようになったのか那美は幾度も考えてみた。思い出せるかぎり毎日をふりかえって、変化のきっかけを探し出そうとした。何か傷つけるようなことを言ったか。必要以上に叱責したか。何も思い当たらなかった。どうしてサチが自分を避け部屋にこもるのか、那美にはわからなかった。
 あまりにも不可解なので、サチが学校にいっているあいだサチは子ども部屋にしのびこみ、日記やメールの類を盗み読みした。そうしてすぐに後悔した。サチの日記は醜い言葉で満ちていた。読むに耐えない言葉で、クラスメイトをののしり、父と母をののしり、教師をののしり、家と街をののしり、世の中をののしっていた。しかしそれらより那美が薄気味悪く思ったのは、サチの妄想じみた恋だった。連発される名前の男が、クラスメイトなのか他校の生徒なのか、それとも架空の人物なのか那美にはわからなかったが、日記のなかでサチとその男は激しく愛し合い、アダルトビデオが連想されるような行為に延々ふけっているのだった。サチ用に買い与えたコンピュータを立ち上げメールをチェックしてみると、健全な交遊を示すようなものは何もなく、自傷行為や虐待や人の悪口ばかり書き込まれた掲示板が履歴として出てきただけだった。
 絶対にばれないように気をつかったのに、どういうわけだがサチは那美の盗み読みをかぎとり、その夜異常なほど暴れた。壁に掛かった絵を床にたたきつけ、観葉植物を蹴飛ばし、茶碗や皿を割り、椅子で那美に殴りかかってきた。醜い女。部屋じゅうを荒らす凶暴な獣みたいなサチを見て、那美は思った。そう思ってびっくりした。わが子を見て醜いと思っていることに、それから、実際自分の娘がたいそう醜いことに。あまりに驚いたので、突き飛ばされても壁に頭をぶつけられても、その瞬間は痛いと思わなかった。
 湯船につかり、湯のなかでふわふわとゆがんで見える自分の体を那美は見下ろす。湯船から手を伸ばし、曇った鏡をてのひらでこする。水滴の流れる鏡のなかで、たしかに自分は三十代にしか見えない。さかりのついた醜い娘がいるようには、とても見えない。

 「南さんさあ、スカートとか、はくかな?」
 向かいの席に座り、おいしいといちいち声をあげながら弁当を食べる女を見ていた那美は、ふと訊いた。
 「え?」
 「あなたいつもジーンズじゃない。スカートなんかははかないのかなと思ってさ」
 天井の高い工場の食堂に女たちの声が響いている。きゃあ、いやだあ、どこかから悲鳴に近い声があがり、いっせいに笑いが起きる。ふりむくと、若い女たちのグループが隅でダンスのまねごとをしてふざけている。食堂には窓が多い。踊る女たちの上半身は、陽にさらされて金色に光っている。
 「貧乏なんですよ、私」女は笑った。「服とか、買えないんです」
 「そうなのお? じゃあさ、今度いらない服持ってきてあげようか。おばさんぽくないやつ選んで」
 「いいんですか?」
 「いいよいいよ、あのね、あたし太っちゃって二、三年前の服、もうきつくなってんの。つかわない化粧品も持ってきてあげる。あなた、肌きれいだけどちょっとお化粧したらもっとぱっとした感じになると思うわよ、素材いいんだから」
 「化粧とかどうも面倒くさくて。それに、今だって痩せてる川村さんが着られないサイズじゃ、私には無理かもしれないですよ。川村さんて娘さんいらしたでしょ? 娘さんに譲ったらどうですか?」女は言って弁当箱を持ち上げ、豪快に掻き込んでいる。那美は目を細めてその様子を見た。
 「うちの子さ、ものすごーく太ってんの」那美は両手で樽を表現しながら言った。「あたしのサイズなんか、とてもじゃないけど無理だわね」
 「中学生のころって太っちゃうんですよね。でもあと一、二年したら、すらっとやせますよ。みんなそうですもん。あーおいしかった。ごちそうさまでした。久しぶりに人間らしいもの食べました」
 女は手を合わせて見せた。那美はふいに泣きそうになり、あわてて天井を仰いだ。ペンキの剥げた寒々しいコンクリートが、ずっと高くにある。でかい換気扇がまわる音か、業務用の冷蔵庫のファンの音か、どこからか轟々とした音が響いている。
 「そんなの、なんでもないんだから。また作ってあげる。二人分も三人分もかわらないもの。さーて、混まないうちにトイレいってこよっと」
 那美は早口で言い、そそくさと立ち上がって小走りにトイレに向かう。そこにも酢のにおいが立ち込める女子トイレで、那美は勢いよく顔を洗った。
 午後は太巻き作りを任せられた。数人の女たちと調理台に陣取り、役割を決めてこなしていく。グループ分けされた女たちに那美はさっと目を走らせ、南という女がいることにほっとする。高城さんが海苔の上に酢飯を広げ、荻堂さんが具材を準備し、田中さんと那美が寿司を巻く。女はキュウリを任せられていた。幾度かやったことがあるのか、慣れた手つきでピーラーをキュウリに滑らせて皮をむき、たてに四等分している。作業がはじまって数分とたたないうちに、女たちのおしゃべりははじまっている。
 「つい三年前よ、サッカーのゴール決めてさ、ふつう友達と抱き合うじゃない? 真っ直ぐこっち見て、おかあさーんってあの子走ってきて。あのときはあたし、得意でさあ。ああ男の子でよかった、なんて思ったけど、それが今じゃ、メシっ! だもんねえ。ぐずぐずすんなよ、とか平気で言うわけよ」
 「それだって口きくだけいいじゃない。うちのなんかしゃべんないわよ。ときどき必要なことメモ書いて渡すのよ、ぞっとしちゃう。のりちゃんとこはいいよ、明るい息子さんでさあ」
 「明るいっていうか、ちょっと能天気すぎるよ、うっそぴょーん、知らないぴょーん、って、こうだもん。先生にもそんな調子なんだって。こないだ注意されたんだから、恥ずかしいったらありゃしない」
 那美は調子を合わせて笑いながら、ちらりと女を見る。女はまじめくさった顔でキュウリを切ってはバットに並べていく。女は、那美と二人のときはよくしゃべるが、大勢になるととたんに存在を消すかのようにしゃべらなくなる。何か話しかけられても曖昧に笑うか、ひどいときは聞こえないふりまでしている。
 「那美ちゃんとこはまじめでいいよね、お嬢さん。うちのみたいな馬鹿言葉つかわないでしょ」
 「えっ」話をふられて那美は顔を上げる。
 「だって那美ちゃんが子どもの愚痴言ってるの聞いたことないもん。できる子なんだろうなって」
 「那美ちゃん、きれいだから娘さんも将来有望だよねえ」
 「買い物とかいっしょにいくんでしょ? あたしも夢だったなあ、女の子と腕くんでブティックまわってさあ」
 那美は口元に笑みを貼り付けながら、作業をする女たちをぐるりと見回す。これは何か裏のある会話なのか。彼女たちは何か知っていて、遠まわしに嫌味を言っているのか。
 「ブティックなんかこのへんないじゃない。せいぜいジャスコよ」
 「ジャスコだっていいんだよ。かわいい女の子とジャスコ腕くんで歩きたいの、あたしは!」
 「あんたじゃ無理よ、万が一女の子だってかわいい子なんか無理だって」
 女たちは屈託なく笑い転げている。嫌味じゃない、会話に裏はない、めまぐるしく那美は考える。大丈夫、彼女たちは何も知らない、庭に落とされるペットボトルのことも、妄想日記も何も知らない。
 「うちの、かわいくなんかないのよ」陽気な声を出して那美は言った。「見るも無残に太っちゃって。お菓子、すごい量食べるんだから。あれにはがっかりしちゃうよね」なんにも言わないから詮索されるのだ。自慢すれば陰でもっと詮索される。彼女たちを見習って卑下すればいい。そうすればもう何も訊かれないに違いない。「しかも反抗期真っ最中。ババアって平気で言うんだから」
 「女の子の反抗期なんかかわいいもんだっていうじゃないよ。うちの、高校生のときすごかったよう。あたし今じ障子張りプロだもんね」
 「そうだよ、女の子なんかあと一年もすりゃおかあさーんって甘えてくんだから」
 「そんな兆し、ないない。私だってさ、田中さんみたいに思ってたよ。女の子だから反抗期なんてたいしたもんじゃないだろうって。それがけっこう馬鹿になんないんだな。ずっとこのまま一生反抗期なんじゃないかって思うときあるもの。いっそのこと死んでくれないかなんて思うときあるよ」
 そう言ってから、那美ははっと口を閉ざした。言い過ぎた。女たちは引くだろう。奇異なものを見る目でこちらを見るだろう。けれど女たちは、それを聞いて威勢よく笑い出した。
 「ほんとだよねえ、あたしだってうちのがバイク買うって言ってきかなかったときさあ、いっぺん死んでみろって思ったね」
 「うちの子なんかあたしに向かって言うよ、テレビで覚えたんだかなんだか、オメエ死ねやってへーんな関西弁でさあ。おまえが死ねっちゅうんだよ」
 女たちは手を休めず、大口を開けて笑いあい、主任社員に注意されてようやく黙った。黙ったものの、主任がその場を離れていくと、目配せをし合ってくすくすと笑いをこぼしている。ストレス発散だわ、高城さんが言い、ほんとだよ、ったくね、荻堂さんが受けてみなひそやかに笑った。那美も笑った。笑いながら視線を感じて顔を上げる。一瞬女と目が合った。女は無表情に那美を見ていた。目が合うやいなや、さっとそらして手元に視線を落とした。米粒のように頬にはりついた那美の笑いは、すっと引き込まれるようにして消えた。
 「本気じゃないのよ」工場の裏口から女と並んで外に出た那美は、敷地内を歩きながら隣を歩く女に言った。「あたしも、みんなだって、本気で言ってるんじゃないのよ」
 工場から女たちが吐き出されてくる。バス停に走る女たち、日向に立ち止まって話す女たち、自転車置き場に向かう女たち。幾人かが、並んで歩く那美と女に声をかけて過ぎていく。女はちいさく頭を下げて彼女たちを見送ったあと、
 「なんのことですか?」
 那美をまっすぐに見て訊いた。
 「ああ、さっきの。死んじゃえばいいっていうの、冗談なのよ。あなた、ぞっとするような顔であたしたちのこと見てたからさ、本気でこわがらせたかと思って」
 四時を過ぎたばかりなのにもう日は夕方の色になっている。風が冷たくて那美はコートの前を合わせる。隣を歩く女は薄手のジャンパーを羽織っただけだ。
 「わかってますよ、そんなこと」女は笑う。自分の影を踏むみたいにうつむいて付け加える。「殺したからってゼロになるわけじゃないですもん」
 那美は立ち止まった。「え?」女が何を言ったのかわからなかった。数歩先を歩いてから女はふりかえり、立ち止まる那美に笑顔を見せた。
 「それじゃ、ここで失礼します。川村さん、また明日。お弁当ありがとうございました」
 走り出した女につられて、思わず那美も足を早めた。
 「ねえ、今のどういうこと? どういう意味?」
 橙に広がる陽のなかで女はふりかえり、
 「だーかーら、本気になんかしないですって!」
 少しばかり呆れた顔で言い、そのまま門へと走っていった。那美はその場で足を止め、陽の光にさらされながらちいさくなっていく女の姿を見つめていた。
 女の姿が見えなくなると、那美はのろのろとバス停に向かう。バス停はすでに女たちが輪を作って、何かを夢中で話している。空の弁当箱が入った鞄を提げて、那美は輪の外に立った。バスはなかなかこない。顔見知りの女が那美に話しかけてくる。セールについて。家計について。工場の給与の安さについて。那美はにこやかに相槌を打つ。
 やがてバスがきた。女たちは一列になって乗り込む。那美は最後にバスに乗った。工場で働く女たちでバスは混雑し、那美は吊革につかまって窓の外を眺める。群れて歩く徒歩組みの女たちをバスは追い越す。那美は首を傾けて、南と名乗った女の姿を捜してみる。けれど彼女の姿はなかった。
 三十分弱でバスは那美の自宅近くに停車する。いつも同じ道を走り続けるこのバスが、ふいに路地を曲がり、曲がりに曲がって、見慣れた景色をぐんぐん後ろに流していって、自分の知らない土地へいつしか自分を運んでくれはしないものか。帰りのバスに乗るたび那美はそんなことを思う。案の定、塀で囲まれた工場が遠のき、バスはいつもの角を曲がって見慣れた国道沿いの道を走り出す。

 めずらしくサチがリビングルームにいる。膝をたててソファに座り、リモコンを片手にテレビを見ている。大根の面取りをしながら、那美はちらちらと肩越しにサチを見やった。
 「今日は手羽が安かったんだよね」那美は精一杯あかるい声を出す。「それで手羽大根。圧力鍋をつかおうと思って。アレ全然使ってないもんね」サチは何も言わない。ソファに置いたスナック菓子の袋に手をいれ、何かをばりばりとかみ砕いている。「荻堂さんに聞いたんだけど、今ジャスコセールしてんだって。なんかほしいものない? 母さんセーターほしいんだよね。パパに内緒で一緒になんか買いにいかない?」ゆっくりとサチが動くのが視界に入る。立ち上がるのかと思ったらそうではなく、でかい尻を持ち上げて、勢いよく放屁した。うんざりしたが、那美は笑い声をあげた。
 「ちょっとー、やめなよそういうの。まさか学校でもやってんじゃないでしょうね」うるせえという怒鳴り声を覚悟したがサチは何も言わない。菓子を食べながらテレビを見ている。「あと二十分かな。もうちょっとでごはんになります。アボガドといっしょに山葵で食べると刺身みたいなんだって、ほんとかな?」切った大根を鍋底に並べ、へとへとに疲れていることに那美は気付く。サチが二階に閉じこもってくれればいいと願っていることにも、同時に気付く。いったい何をびくついているのか。そこにいるのはまだ十五にもならない、自分の産んだ娘ではないか。そう言い聞かせはするものの、ソファにいるのが、いつ襲い掛かるとも知れない獰猛な肉食獣であるような錯覚を那美は消すことができない。
 「ねえ」
 肉食獣は思いのほか柔らかい声をだして那美を呼んだ。ずっと那美を取り囲んでいた緊張が少しほどけた。
 「なあに」
 那美は笑顔でサチをふりかえった。
 「あんたら、離婚すんの?」サチは那美を見ずに訊く。
 「なーに言い出すのよ」左手に手羽を、右手に包丁を持った那美は訊き帰す。自分の耳に届く声にはかろうじて笑いが含まれている。そのことを慎重に那美は確認する。
 「じゃあしないわけ」
 「だからどうしてそんなこと言うのかって訊いてるの」
 「だって、終わってんじゃん」サチは言い、ちらりと那美を見て、あざ笑うように鼻を鳴らした。
 「何それ。図星? 口、開いてるよ。ばっかみたい」
 サチに言われ、那美はあわてて背を向けた。手羽に切り込みを入れていく。絶句したのはサチの言葉に驚いたからではない。サチの幼い言葉で傷つくはずがない。十四の子どもに夫婦のことをとやかく言われたってなんとも思わない。けれど那美は気付いたのだった。サチがその巨体のなかにためこんでいる悪意の存在に。
 おそらく九十キロ近くはあるだろうその体よりも巨大な悪意を、どういうわけだか自分の娘は抱え込んでいる。それを吐き出したくてたまらなくて、じりじりしている。彼女の言葉も行為も、今はまだその悪意に追いついていない。小便の入ったペットボトルを庭に捨て、夫から愛されていないと母親に指摘し、部屋のなかにとじこもり、椅子で母親に殴りかかり、そうすることで悪意が体の外に流れ出ていくのをサチはじっと待っている。けれどそれでは、ダムの水を水道の蛇口からひねり出すほどの効果もない。サチは突破口を捜すために成長している。なみなみとあふれる水を勢いよく放出する手段を得るために、日々菓子を食べ、学校へいき、知識を増やし、眠り、ひとつずつ年を重ねている。いつかサチはその悪意に見合うだけ成長し、一番効率的な、一番的確な、自分に一番負担のかからない方法で、ためこんだそれらを一気に吐き出すのだろう。ちいさな突起のある手羽の表面そっくりに、包丁を持つ腕が粟立っているのを那美は見下ろす。いったいどこで、どのようにして、あたしの子どもは悪意を拾い集めてきたのか。
 「あんた、お酢臭ぇんだよ」
 反応が薄いことに焦れたのか、サチはそんな言葉を那美の背中に投げつける。
 「そりゃあそうよ、寿司工場で働いてるんだもの」
 那美は言って、笑った。微笑んだつもりが高笑いになった。高笑いを通り越して馬鹿笑いになった。思うように母親を傷つけることができず苛ついているのだろう、サチは手にしていたリモコンを床に投げつけた。電池が転がり出る。那美は無視して手羽に切り込みを入れ続ける。笑いはおさまらず、ひーひーと息が漏れる。
 「何がおかしいんだよっ」
 サチが叫ぶのと同時に、背中に鈍い痛みが走って那美は振り向いた。サイドボードに置いてあった茶筒を投げつけられたのだと理解する。茶筒は口を開き那美の足元に茶葉が散らばっている。床を覆う深緑の葉を那美はぼんやりと見下ろした」
 「何それ、ばっかみたい、なんのつもり」
 何を言われているのかわからない那美はゆるゆるとサチに視線を移す。右手に握ったままの包丁が、ちょうど立ち上がったサチに向けられているのに気がついた。包丁の刃に、黄色い鶏の脂肪がこびりついている。今だれかがこの部屋に入ってきたら、自分は娘に包丁を突きつけているように見えるだろうと、鶏の脂肪を見たまま那美は考える。いざこざののちにかっとして包丁を手にしたのだと、安手のテレビドラマみたいな想像をするだろう。
 「刺せば。刺してみたら? そうしたいんでしょ?」
 サチまでがそんな芝居じみたことを言っている。手羽を、那美はちいさくつぶやいた。
 「はあっ? なんだって?」
 自分と母親のあいだに刃物があることに興奮しているのか、サチは大声でわめく。膝の丸くまるくでた水色のジャージ姿のサチに向かって、那美も声をはりあげた。
 「手羽を切ってただけじゃないのよっ」
 「ババア、何言ってんのかわかんねえよっ」サチは怒鳴り、ソファのクッションを那美に向かって投げる。顔に飛んできたそれを那美は右手でよける。包丁の刃が頭上でちかちかと光る。
 「もう、もの投げないで。危ないでしょっ」
 ああ、もういやだ、那美は思う。いやだいやだ、こんな女の相手はもういやだ、馬鹿みたいな言い合いももういやだ、何でこの子はここにいるんだ、どっかへいってくれないか、いなくなってくれないか、その意味不明の悪意ごと消えてくれないか、矢継ぎ早にそう思う那美の顔に、鶏の脂肪のついた包丁をサチのだぶついた腹に突き刺すドラマのような場面が浮かぶ。
 「ごはんの仕度をしてるときにものを投げるのはやめなさい、支度できるまで部屋に戻ってなさい。あんたいっつも部屋にこもっているのになんだって今ここにいるの。ごはんできたら呼んであげるわよ、だからいつものように部屋にこもったら?」
 那美は穏やかに言い、立ち尽くしているサチに笑いかけた。どこに反応したのかサチは急に顔を赤らめ、赤らめたまま思い切り顔をゆがませ、どかどかと歩いてきて食卓の椅子に手をかけた。また殴られるか。人ごとのように那美は思う。けれどサチは両手で持ち上げた椅子を、那美にではなく床に思い切りたたきつけ、背を向けて走り出し、すさまじい音をたてて階段を上がっていった。上階から、何かを何かに投げつける音がしばらく続いた。那美はふたたびまな板に目を落とす。手羽にはすべて切り込みが入っていて、切るものはもう何もなかった。
 ひとりきりの夕食を終え、単身赴任している夫に電話をかけようとして、けれど那美は手にした子機を元に戻した。変わりはないのか、不自由はないのか、今度の週末は帰ってくるのか、そんな意味のない会話を交わす気にはなれなかった。サチが茶筒を投げつけたのだと嘆いても、放っておけといわれるだけだ。風呂のスイッチを入れ、那美は二階のクロゼットにいく。暖房のついていない冷え冷えとした小部屋にうずくまり、もう着ない服をより抜き、クリーニング屋のタグを外していく。黒いロングスカート、フード付きのダウンジャケット、ベージュのタイトスカート、首回りにファーのついたセーター。
 あたしだって夢見ていた。衣類をたたみながら那美は思う。腕を組んで買い物にいくこと。洋服を交換しあうこと。放課後に待ち合わせてケーキを食べにいくこと。日曜の午後、料理を教えること。サチがまだ言葉もしゃべれないころから、ずっと思い描いていた。周囲の人が言うようにサチはうつくしい少女になるだろうと思った。サチが一緒に歩きたくないと思わないように、自分も身奇麗にしていようと思った。腕を組んで歩く自分たちは美しい親子だろうと思った。どこで何が間違ったのか。どこで何を間違えたのか。桜が散り始めたあの肌寒い日、あたしは何を産み落としたのだろう。分娩室であたしは何を見て泣いたんだろう。夫は何をみてよくやったと叫んだんだろう。
 まとめた衣類を紙袋につめる。冷たくなった指先を擦り合わせ、那美は服を受け取るあの女を思い描こうとする。けれど頭に浮かんできたのは、鶏の脂肪のついた包丁を強く握ってサチに体当たりする、さっきよぎった陳腐な空想だった。白々とした蛍光灯の下で那美は薄く笑う。一瞬にせよ自分がこんなことを思い描く母親になるとは思わなかった。うつくしい少女だったころから夢見ていたもの、手に入れようと追っかけてきたものは、こんな空想ではなかったのに。そして当然、サチを殺したいわけではないことを那美はわかっていた。ただゼロに戻したいのだ。その望みのほうがよほど残酷であることも、那美は理解していた。
 那美は立ち上がり耳をすます。斜め向かいのサチの部屋からは、なんの物音もしない。眠っているのか。眠るサチの顔を那美は見たいと思う。母親を必死に目で追い澄んだ瞳で笑いかけてきた赤ん坊のときと、眠る顔はきっと何も変わっていないだろう。クロゼットを出、足音を忍ばせて廊下を歩き、那美はサチの部屋のドアノブに手をかける。ひやりと冷たいドアノブを、けれどまわすことはせず、那美はそっとその場を離れた。暗い階段を静かに下りる。

 その日、あの女の姿はなかった。いなり寿司を作りながら、那美は工場じゅう視線を這わせて捜してみたが、惣菜班にも太巻き班にも南という女は見当たらない。
 「ねえ、南さん、休みなのかしらね」
 相変わらず作業をしながら子どもの話をしている女たちに那美は訊いた。
 「え、だれよそれ」荻堂さんが顔を上げ、眉間に皺を寄せて那美を見る。
 「ほら、いたじゃない、最近入った若い子」
 「若い子は若い子でかたまってるもんねえ、あの輪に入っちゃったらもうだれがだれだかわかんないよねえ」つい数日前、いなりの作り方を教えていた田中さんまでもが言う。
 「そうじゃなくて、その子はよくあたしたちと喋ってたじゃない、っていうか無口でさ、おとなしく作業してたじゃない、ジーンズとジャンパー着た、若い女の子」那美は自分でも不思議なくらい必死になって言い募る。
 「だっていっつもこれ着てるから、何着てたかなんてわかんないし」青のユニフォームを指して高城さんは笑い、
 「若い子は回転早いもんね。こないだ糸井さんって、ほらあの金髪の子に聞いたんだけどさ、先月の携帯代、とか、先月の買い物代、とかそういうののためにバイトくるんだって。だから必要な額がたまるとすーぐやめちゃうんだよ」高城さんが話題を変えてしまう。
 「あたしたちのころは違ったよねえ。月々のおこづかいっていうか」
 「そうよ、とりあえずは長く勤めてたよねえ。そんなかから分相応なものを買っていくわけじゃない」
 「そうそう、今の子はあとでなんとかすればいいやって、高いものでもすーぐ買っちゃうんだよね」
 酢飯を握り、湿った油揚げに詰め込みながら、那美は適当な相槌を打ち、目だけできょろきょろとなおも女を探し続けた。
 昼休み、弁当を食べずに那美は事務室にいた。いつも給料明細を受け取る、狭い暗い部屋だ。電話ののったカウンターの向こうで、青い上っ張りを着た数人の女が、机に昼食を広げていた。
 「あのう、南さん、今日はお休みでしょうか」
 一番近くにいる女に声をかける。コンビニエンスストアのサンドイッチを食べていた女は那美を見、「だれ?」と訊く。
 「南さんです。昨日までは工場にいた、若い人で……」
 女はサンドイッチをもったまま机を離れ、カウンターにたてかけてある分厚いファイルを引っ張り出した。めくっていく女の手元を那美はじっと凝視した。ぎっしりと名前や日付の書かれた紙を、白く筋張った女の手がめくっていく。
 「先週新しくきた人で……」那美が言いかけたとき、
 「ああ、この人」女はあるページで指をとめ、顔を落としたまま言った。「辞めたんだわ、昨日で」
 「えっ、でも昨日、なんにも言ってませんでしたよ」
 「うーん、でもたしか、おとといかそれくらいに、辞めますって言いに来たけど?」
 「困っちゃうんだよねえ。若い人はほんと、長期アルバイト募集って知ってて応募してきてねえ」
 奥の席に座っている年配の女が言い、
 「面接のときはだれでも言うのよね、一年は続けますとかなんとかさ」サンドイッチの女がふりかえって同調している。那美はファイルをのぞきこんで、南という名前の周辺に書かれている文字にあわただしく視線を這わせる。南よう子とあった。二十八歳とあった。住所と電話番号があった。工場からそう離れていない番地が書かれている。
 「ありがとうございました」
 那美は礼を告げて事務室を出、ロッカールームに駆け込んで紙袋を取り出した。時計を見上げる。昼休みはあと四十五分ある。たった今覚えた住所にいって戻ってくれば、作業開始には間に合うはずだった。ユニフォームのままで那美はロッカールームを飛び出した。
 だれもいない工場の敷地内を走り、門を出て国道へ続く細い道を走り、陽にさらされた埃っぽい国道を走る。紙袋には衣類と弁当が入っている。走る那美をトラックが追い越し、らーめん屋に並んだ男たちが走る那美を視線で追っていた。国道沿いにある埃まみれの地図の前で那美は立ち止まり、口の中でくりかえしていた番地を探す。おおよその位置を頭に入れて、ふたたび走り出す。
 コートもスカート丈も短い数人の高校生とすれ違う。すれ違いざま、彼女たちは那美を見、互いをつつきあって笑い始めた。彼女たちのたてる耳障りな笑い声が陽の光に溶けていく。学校はこんなに早く終わるのだったか。すらりと細い足をスカートから出した高校生をふりかえり、今は試験期間なのだと那美は気付く。昼に終わるのなら弁当はいらないだろうに、サチは何も言わず那美が用意した弁当を持って学校にいった。食べているのか、捨てているのか、弁当箱は空になっていつも流しに置いてある。
 国道からわき道にそれ、ごたごたと並ぶ県営住宅を過ぎる。それらを過ぎると、田んぼが広がり、田んぼの向こうに似たような造りの木造アパートが密集している。田島、田島荘、田島荘104号室。くりかえしながら那美は走る。
 密集するアパートをひとつひとつ見ていったが、田島荘と記された建物は見あたらない。住所を覚え間違えたのか。ハイツすずらんと看板が出ているアパートの隣に、中村という表札の民家があり、民家の奥にアパートがあった。田島ではなくて中村だったのかもしれない。こじつけるように思い那美は中村家のわきに続く細い路地をふりかえった。中村家の敷地から、柵に身を乗り出すようにして老婆がじっと那美を見ていた。
 「このアパートに南さんって女のかた住んでいませんか」
 那美は老婆に向かって叫ぶように言った。
 「いいえ、おりませんよ」
 老婆は那美の全身を嘗め回すように見て答える。片手に土のついたスコップを持っている。
 「じゃあ田島荘ってありませんか。番地は524の9だと思うんですけど」
 「田島……心当たりないですけれど」
 ペンキの剥げた柵をはさんで老婆と那美はしばらく見詰め合った。何か言おうと老婆が口を開きかけ、那美はあわてて声をだした。
 「じゃああたし、間違っちゃったんだわ。間違って覚えちゃったんだ。確認して、またきます。どうもすみませんでした」
 頭を下げ、中村家の柵に沿って続く路地を戻り始める。路地から通りに出、ちらりとふりむくと老婆はまだ同じ位置に立ってじっと那美を見据えていた。
 アパート郡に背を向けて、田んぼの真ん中に続く道を那美は歩いた。荒い呼吸が耳に届く。額が汗でぬらぬらしていた。数日ともに過ごした女の顔を那美は思いだして歩いた。中学生の子どもがいるように見えないと眉を持ち上げた女の顔。事務室に戻ってもう一度住所を確認しようと思いながら、けれど心の片隅で、女の記した住所も電話番号も年齢も、名前すらも、すべてでたらめだったのだと思っていた。工場の女たちは南さんを覚えていないといっていた。弁当をともに食べた数日の記憶も、自分の妄想だったように那美には思えた。娘と食卓をともにできない母親の、一瞬の妄想のように。
 陽のあたる国道を歩く。車が屋根をちかちかと輝かせて通り過ぎる。さっきまで行列のできていたらーめん屋にもう人の姿はない。暗い店内でテレビがちいさな光を放っている。
 最近できたばかりの大型書店の前を通り過ぎた那美は、ふと足を止めた。ガラスばりの店内に見覚えのある姿があった。棚のあいだを移動する巨大な体。サチだった。那美は紙袋をさげたまま、店頭に立ってサチの袋をぼんやりと目で追った。棚のあいだに隠れ、またあらわれる。首を傾けて棚の上部を熱心に見、そのままこちらに向かって数歩移動する。若い男の客にぶつかってサチはおどおどと頭を下げている。みるみるうちに顔が赤くなるのが、那美の位置からでもわかった。あんなに太っちゃって。那美は思う。あの重たい体を引きずって歩くのも面倒だろう。菓子をどれだけ詰め込んでも満たされない腹が恨めしいだろう。いつのまにか脂肪より重く体内を満たしている悪意を解き放つことができず、じりじりと苛立ちばかりが募るのだろう。
 サチは棚に手を伸ばし、一冊の本を抜き出す。ページをめくり目を落とす。艶やかな黒い髪が頬に揺れる。ゆっくりとページをめくったサチは名を呼ばれたように顔を上げ、窓の外に顔を向けた。すぐそこに立つ那美と目が合う。表情のない顔でサチは那美をじっと見つめる。サチと自分を隔てるガラスが鏡であるような錯覚を味わい那美はたじろぐ。
 しばらく那美をみつめていたサチは、素早く本を棚に戻し、窓ガラスに沿った通路を歩き、鏡から抜け出てくるように自動ドアをくぐった。那美には一瞥もくれず、国道をまっすぐ歩いていく。足音は走る車に消されるが、どすどすとアスファルトを踏み鳴らす音が聞こえてくるようだった。
 那美は紙袋を肩にかけて走り出し、でっぷりと太ったサチの後姿に近づいた。気配を察してふりむいたサチは、走り寄ってくるサチにぎょっとして、逃げるようにどたどたと走り出す。サチは昔から―今ほど太っていない小学校低学年のころから、走るのが苦手だった。のろく、かけっこはいつもびりだった。ときどき転んで、立ち上がらずその場で泣き出していたことを那美は思い出す。
 追いかけてきた那美を肩越しに見やったサチは、通りを渡ってやり過ごそうと思ったらしく、いきなり車道に飛び出した。サチの背後から紺色の車が走ってくるのが、那美の目にやけにゆっくりと映った。今だ、と那美の頭のなかで声が聞こえた。今だ、今だ、今なら包丁なんか持ち出さなくてもこの醜い娘はあっけなくいなくなる、声はわんわんと頭のなかを飛び交い、那美は肩にかけていた紙袋を投げ捨てて全速力で走り寄る。ぱあああんと、光景を引き裂くようにクラクションが響く。那美はその場に倒れこんで思い切り目をつぶった。
 自分は今なにをしたのか。サチを助けるふりをして突き飛ばしたのか。サチは内に抱えた悪意ごと放り投げられ地面にたたきつけられたのか。そして目の前からいなくなかったのか。
 馬鹿野郎と野太い声で怒鳴りつけられ、那美はそっと目を開けた。紺色の車が遠ざかっていくのが目に映る。つんとすえたにおいが鼻をつく。車道に座り込んだ自分の腕の中にサチがいた。においはサチから漂ってくるのだった。風呂に入らないサチ。
 車道の隅に抱き合うようにして座る那美とサチを、大きく迂回して数台の車が通り過ぎていく。クラクションが鳴らされ、運転席の窓から迷惑げな視線を投げられた。土埃が舞い上がり、冬の陽射しを黄色く染め上げる。サチの腕を強く引き寄せ、その弾みにもつれ合って転んだのだと那美は理解するが、けれどサチを突き飛ばしたような感触がてのひらに残っている。
 何が起きたのかわからずぼんやりした顔で道路を見ていたサチは、母親に抱きかかえられていることに気付き、那美を突き飛ばすようにして立ち上がる。これ以上ないほど顔を赤くして歩道に戻り、コートの土埃を払っている。那美はよろよろと立ち上がり、サチの手届かないコートの後ろ側をはたいてやった。那美の手はじっとりと汗ばんでいた。
 「くさいわ」那美は笑った。
 「くさいのはてめえだろうがっ」
 泣きそうな声でサチは叫び、コートをはたく那美の手を振り払おうと、狂ったように腕をふりまわす。さっきのクラクションに驚いて店先に出てきたらーめん屋の主人が、ものめずらしげに歩道の母子を眺めている。
 「みっともないんだよっ、こんなものかぶって」
 サチははき捨てるように言い、那美の頭に手を伸ばす。むしりとられ歩道に投げつけられたビニール帽を見て、今までずっとそんなものをかぶっていたことに那美は気付く。
 「やだあ、あっははは、こんなものかぶったまま、母さん、町うろついて、やだあ、誰も教えてくれないんだもん、あっはははは」
 那美はこみ上げる笑いを抑えきれず、声をあげて笑った。笑い声がふるえていた。サチはコートのところどころを白く汚したまま急ぎ足で歩きはじめる。右手をあげ顔をこすっている。泣いているのか、と那美は思う。足元に目を落とすとビニール帽と、中身を歩道にばらまいた紙袋があった。那美はしゃがみ、それらを拾う。花柄ナプキンで包んだ弁当箱、見知らぬ女のために用意した衣服。拾おうとしたビニール帽は、ゆるやかな風に飛ばされ、ふわふわと車道へ転がり、白い車がそれを踏み潰して通り過ぎる。
 紙袋を肩にかけ、那美は歩道の先を見る。遠ざかるサチの姿がある。数十メートル先にあってもちいさくならないサチの巨大な後姿。南なんて女はいなかったのだと那美は思った。自分と腕を組んで歩く美しい娘なんかどこにもいないのと同じように。確固としてそこにいる、巨体の娘の腕に腕を絡ませるため、那美は立ち上がり、ふたたび駆け出す。


偏狭

 待ち合わせのレストランはやけにきどりすましていて、入るのがためらわれたが、このまま帰ってしまうわけにもいかない。入り口で私を値踏みするように眺め回すウェイターに、コンドーさんの名前を告げると、彼は店の風貌とおなじくきどりくさった仕種で私を座席まで案内した。数組の客が食事をしていて、通り過ぎる私にちらりと視線をなげる。先端のはだけたラバーソウルは、たしかにこの店の絨毯には不釣合いだ。
 陽子とコンドーさんは先にきていて、やけに細長いグラスで、小さくあわ立つ透明の酒を飲んでいた。
 お飲み物は何か、と言いかけたウェイターを遮って、
 「あ、ビール、ビールお願いしまーす」私は言った。
 乾杯をして、メニュウを広げる。私は完全に浮いている。だらんと長いパッチワークのスカートも、毛玉だらけのカーディガンも薔薇の刺繍のインナーも、すべて古着屋でそろえて気に入っていたけれど、ここで見るとひどく貧乏くさい。いかにも金のかかっていそうなスーツを着たコンドーさんと、どこのブランドか知らないががっちりしたツーピース姿の陽子に向き合っていると、自分がこれから彼らに引き取られていく、貧しくかなしいみなし児の気分になる。そんな歌があった、みなし児じゃない、子牛だ、ドナドナと追い立てられどこかへ連れて行かれる子牛。
 「ひさしぶり。アイルランド、どうだった?」
 注文を終えたあとで、コンドーさんは私に訊く。陽子の恋人の、この妻子もちの男にはじめて会ったのはアイルランドに行く直前だった。そのときは、銀座で寿司をおごってくれた。当分食べられないだろうから、と言って。
 「えーとあの、まあ、寒かったです」
 何にたいしてかはわからないが私は緊張している。店の雰囲気にか、ひさしぶりに会ったコンドーさんにか、彼といるとまるで見ず知らずの女みたいに見える陽子にか。私の答えを聞いてコンドーさんは笑う。
 「寒かったって、それ、ミッキーちゃんらしいな」
 彼は私をミッキーちゃんと呼ぶ。陽子がそう呼ぶからだ。しゃべりかたがやわらかく、本当にやさしそうな顔で笑うコンドーさん。
 「今はそんなことないけど、帰ってきたときのミッキーちゃん、そりゃたくましかったんだ。マドンナみたいだったんだから」陽子が言う。
 「へえ、なんか想像できないけど。見てみたかったなあ」
 「今日はしてないけど、マフラー、おみやげにもらったの。すごくあったかいの」
 オードブルが運ばれてくる。コンドーさんはワインを注文する。私はビールを飲み干し、もう一杯頼む。次を飲み干せば、もう一度頼むつもりだ。
 「脳死って、このあいだ認められただろ?」テリーヌを切り分けながらふいにコンドーさんが言う。「昨日雑誌読んでいたら、そのことで作家と医者が対談していて、興味深かったな」
 「へえ、どんなこと言っていたの?」陽子は手を止めて彼を見る。
 「医者っていうのは結局、人をどこかパーツでしか見ていないようなところがあってさ。臓器移植をしたいがために脳死を死と認めたんだろうといわれてもしかたないと思ったね。でも作家はもう少しウェットでさ、胃も心臓も、指先も足の一本も、みんなそれぞれ魂を持って共存しているというわけね、それを切り離してどうこうするのは、マルクス主義に通じるものがあるって」
 「ふうん。私はどっちかっていったら後者に賛成だな。でも、臓器移植で助かる人もいるんだって思うとなんとも言えないけど。生きることって最優先だと思うし」
 「でもそうしたら、脳死が死だというのと、矛盾することにならないかな?」
 私は交互に彼らを見る。こいつらはいつでも、こんな話をしているんだろうか?いったい何になりきっているつもりなんだろう? この端正な顔立ちの妻子もちが、一度だって自分の言葉でしゃべったことがあるか、陽子は疑問に思わないんだろうか?
 メインディッシュが運ばれてくるより先に、私は席を立ち、トイレの個室に閉じこもった。便座に腰掛け、ポケットからたばこケースを出して、たばこではなく、ハシシのパイプに火をつけて、深く吸い込む。頭の奥が鈍くしびれる。パイプに口をつけて、ゆっくり数を数えて、それから呼吸を止める。唇ととがらせて、深く深く煙を吐く。たすけて。心のなかでそうぶつやくが、その言葉の響きとは裏腹に、妙に心地よくなってくる。陽子のその恋人が脳死を話題にフランス料理を食べているときに、古着姿の私が便所できめていることが、ものすごくシュールな、滑稽なことに思えてくる。売られていくさびしい子牛の歌が、狂ったように頭のなかでくりかえされていて、よけい私をおかしくさせる。
 「何にやにやして歩いてきて」
 席に着いた私に陽子が言う。
 「なんでもない。思い出し笑い」
 「やーね、へんなの。何思い出してんだか」
 「あのさあコンドーさん」メインは運ばれてきていた。牛肉のまわりに散らばっているとりどりのソースや野菜が、幼稚園児の描いた絵を連想させる。注いであったワインを一気に飲み干して続ける。「コンドーさんてできちゃった結婚だったんですよね? お子さん、今いくつですか?」
 コンドーさんはゆっくりと私を見て、動揺なんかしていないといった表情で、やわらかく答える。
 「ああ、六歳になったよ。こんど小学校だね」
 「それってえ、陽子と付き合ってる年数ですよねえ? ってことはさあ、二人のあいだのあの時間が、かたちとしてわかるってことだよねえ? だってほら、ふつー五年だの六年だのってあっという間っていうでしょ? でも、赤ん坊が小学生になるくらいは、長い時間だと思うのね、それが実感できるってわけじゃん? 成長というかたちで、よ」
 陽子の顔が視界に入る。陽子は舌平目のなんとかソースを食べている。うつむいていても陽子がどんな表情でいるかがわかる。笑い出すのとよく似た泣きそうな顔。陽子の耳が赤いのは酔っているからではない。突然、私はあざやかに思い出す。すっぴんで、そばかすが鼻のまわりに散って、歯並びが悪くて、ヤンキー顔をくしゃくしゃにして笑っていた、紺のセーラー服姿の陽子。自分の姿は思い出せないのに、中学生のときの陽子がまるですぐさっき会ってきたみたいに思い浮かぶ。
 「ミッキーちゃん」ワインを一口飲んで陽子は静かに言う。「私も訊くけど、あんたは週に何回、見ず知らずの男とやってるの? かたちにならないセックスをさ」
 「五回」私は陽子を遮る。「ファイブ・タイムズ・ア・ウイークっすよ、まさに」
 私は言う。牛フィレ肉のワインソースは驚くほどおいしかった。
 「げっ、げきうま! やっぱ『びっくりドンキー』とは違うよねー」
 私は言って笑うが、だれも笑わない。
 エスプレッソを飲んでいるときコンドーさんが席を立った。彼の席に置かれた、淡いピンクのナプキンを見ているうち、急激にハシシの酔いがさめていく。ケーキの皿にこびりついたチョコレートを、人差し指ですくってなめる。
 「私はあんたのことを大切な友達だと思ってるし、ずっとそうでいたいと思ってるんだ」うつむいてデミタスのコーヒーカップをいじりながら、陽子が小さな、でもきっぱりな声で言う。「だから、私たち、おたがいの恋愛のことについて話すのはもう二度とやめよう」
 「陽子、本当にあの男が好きなのか。私たちもう二十四だぞ、いいのかそれで?」私は言う。あの男がトイレから戻ってくるのが視界の隅に映る。
 「話すのはやめようって、たった今言ったよね」陽子は言い、ナプキンで口を拭い、コンドーさんに笑いかける。
 店を出て、彼らはタクシーをとめ、乗り込んで去っていった。コンドーさんが会計をしているあいだも、タクシーを待っているあいだも、陽子は一度も私を見なかった。彼に乗ったタクシーのテイル・ランプが遠ざかるのを見守ってから、ガードレールに寄りかかり、たばこを一本取り出した。ビルのデジタル時計が、十一時二十九分を告げている。ここからならたぶん五分も歩かずにいきつけのバーに寄れる。それともタクシーに乗って恵比寿まででるか。金曜だし、きっと誰か知っている顔が見つけられるに違いない。もしくは六本木方面。運がよければエクスタシーを誰かがわけてくれるかもしれない。
 どこへいくか決められず、次のたばこに火をつけて歩道橋をわたる。真ん中あたりで立ち止まり、橋の下をすべるようにして流れていく車の列をぼんやり眺めた。赤、銀、黄金の光が闇のなかを流れ、自分が川の真ん中に突っ立っているように感じられた。冷たい水につっこんだ両脚をふんばって、川底をじっと見つめている、そんな風に。どこにもいきたくなかった。最寄りのバーにも、恵比寿にも六本木にもだ。ゆっくり眠りたかった。
 ウォークマンを取り出して、イヤホンを耳にねじこむ。ショパンのエチュード4番が流れた。
 車の流れの向こうに電話ボックスがあり、それはそれ自体が闇のなかで白く発光しているように見える。歩道橋の手すりを人差し指でなぞりながら、電話ボックスを目指して歩く。腕を組んだ恋人同士とすれ違い、声高に何かを語り合う女の子連れに追い越される。覚えている電話番号を口のなかでくりかえす。やっぱり幼馴染の番号が一番覚えやすい。
 イヤホンを引っこ抜いて、耳に受話器をあてつける。一回目の呼び出し音でキョーチがでた。いつもと同じように、大音量で音楽がかかっていて、私をむやみにほっとさせる。
 「これからいってもいーい?」私の声は、今さっきまでコンドーさんたちと食事をしていたことが嘘みたいに、ばかっぽく明るく、意味もなくハイだった。
 「あーほんだらねー、今ちーぽがきててこれからごはんだからー、あれ? 何作るんだっけちーぽ?」背後の音に負けないようにキョーチは電話口でどなり、だれかに受話器を渡す。もめている気配がする。私はそれに気付かないよう、彼の部屋で響いている音楽に耳をすませる。きっとピクシーズだ、と思った直後に受話器から女の声がする。キョーチのガールフレンドだ。
 「あっ、ミッキー? あんねーカレー作るからさあ、カレーの材料買ってきてくれる」
 「ちーぽって何? チトセちゃんのこと? なんだよかった、ハロハロー。カレーって何柄? ハウス? ゴールデン?」
 「違う違う、ルーじゃなくて、カレー粉でいいの、あと具ね、ぐっ。あとねー、ミッキーに誕生日プレゼントあるよ! もちろんサトシのもね!」
 「うっそ、まっじー? うれぴー」
 電話を切って駅へ向かう。しだいにわくわくしはじめる。
 サトシは二年前の私の誕生日に、事故で死んだ。サトシの乗っていたバイクを跳ねたのは、無免許でトラックを乗り遊んでいた高校生グループだった。トラックは信号無視だった。身内のいないサトシの知らせを警察から受けた私は病院に駆けつけたが、すでに死んでいた。というより、死んだことにされた。身内も金もない輩に貸すベッドはないと、やわらかい言葉でいいくるめられた私は夜の病院を出た。病院を出たところで、キョーチとチトセは立っていた。
 やけに明るい私の声より、キョーチの声のほうが、さらにチトセの声のほうが高かったのはそのせいだろう。
 キョーチとチトセがもめていたことについては、なんとなく察しがつく。キョーチは芝居がへたくそで、それに呆れたチトセが受話器を奪ったのだろう。もしかしたらもっと簡単に、どちらが買い物にいくかとかそんなことかもしれない。それでも関係ない。そんなことに気付かなかったふりをしていれば、私たちはうまくやれる。みんなでぎゃあぎゃあ騒ぎながらカレーを作り、床に並べて一緒に食べることができる。楽しむのなんて実に簡単なことだ。
 陽子。金のかかったスーツを着てこじゃれた店で向き合い、何かの核心に触れまいとこっそり努力しつつ、永遠に脳死だの臓器移植だのについて、どこかで見聞きした他人の言葉で語り合っていればいい。いつかどこかの街ですれ違うのであれば、目を逸らし、真っ直ぐ前を向いて歩いて生きていけばいい。
 隅田川にでて土手を歩く。墨汁を垂れ流した色ちがいの雲がたがいをさしかけて、更待月の微光を下界に逃がしている。かくけき光は川に反射して光の砂となって踊り、よわよわしい存在を瞬間的にしめしているそれは、私のそれよりは頼もしかった。川を右手にして高台の砂利を歩いていると、しめったつめたい風がびゅっと吹いた。弱い風だったがおもいのほか冷たかったので、夢でも見ているのかと思った。自分の心のなかをのぞく夢など聞いたことも見たこともなかったが、あてはめてみるとなんてことはない、何一つずれているものなんてありはしなかった。現に私は一人であるし、恋人も親友も離れていき、また彼らは一人ではなかった。それが自分の手でくだしたものであるのか、そうでないのか、それらは判然としないわけではないが、ずっと疑問に感じていた、下されるものとそうでないものの違いを理解するに関し、結果、すこぶるどうでもいいことであり、失くしてみなくてはわからないといわれているはずのそれは、さほど感慨ぶかいものでもなく、ただ一人で寒い風にあたりながら実感するだけのものでしかなかった。背後からライトを点けずに鈴を鳴らす自転車が私を追い越し、またたく間に遠い景色に溶け込んだ。どうか私もうしろに乗せていってほしい、心のなかで叫ぼうとしたが、ここが心のなかであることに気付き、心の中で心から叫ぶというのは滑稽だな、そう思い至り私は叫ぶかわりに笑い転げた。


 高校生のとき熱中して読んでいた漫画の主人公は、ギャンブル運と恋愛運は両立しないのだと言い放ち、大きな賭けに出る前は、実際、女と交わりたいのをぐっとこらえていた。私はその漫画のあらすじをくりかえし話し、その意見がどれほど真実に近いかを力説し、
 「ねえ、だから、恋愛運と仕事運も両立しないのではないだろうか」
 と、ミヤビに言ってみると、しらけきった顔つきで私を見て、ミヤビは深くため息をつく。
 私たちは四谷のオープン・カフェにいる。店外に出された座席のある茶店をオープン・カフェと呼ぶらしいが、私はずっと、屋外席は冷遇されているんだと思っていた。店内よりコーヒーの値段が安いとか、恰好がみっともないから店内に入れてもらえないとか、そういうための席なんだと思っていたが、どうやらちがうらしいと今日知った。ミヤビとここで待ち合わせをして、先にきて屋外席に座っていたミヤビに「みっともないからなかに入ろうよ」と言うと、ミヤビは馬鹿にしたように笑って言った。「あんた、なんのためにオープン・カフェにきたのよ」と。
 私の足元にはふくらんだ紙袋が三つ置かれている。会社に私物なんか何も持ち込んでいないと思っていたのに、ロッカーやデスクに突っ込んでいたものを整理したら、思いのほか多かった。
 「運とかさあ、そういうこと言い出すのやめたら?」
 ミヤビは言う。給仕係がコーヒーを運んでくる。筋肉質の背の高い若い男で、不必要に色気がある。
 「今の人ちょっとよくなくない?」
 聞き間違えたのだろうか。とりあえず、いいのかわるいのか、さほど問題ではなかった。給仕係が去って、ミヤビは私に顔を近づけて言うが、今の私にとってあの男以外は男に見えない。筋肉質で色気のある、遠い異国に棲息する変わった動物にしか見えない。それがしあわせなことか不幸なことかわからないが。
 「そうかね」
 「あんた、ああいう人好みだったじゃん。筋肉で守ってくれそうだっつってたじゃん」
 「筋肉男をいいと思ったことなんか私一度もないよ。私はさ、抱きしめたら腕が組めそうなくらいもやしが好きだったんだよ、昔から」
 言うと、ミヤビはわざとらしいため息をつく。
 「あんたさあ、過去とか好みとかを都合よく捏造するのはべつにいいけどさあ、運とかなんだとか、人知の及ばないほうに話をもっていくのはやめなさいよ」数分前の私のはせりふについて言っているらしい。「男にうつつを抜かして遅刻はするわ、仕事はさぼるわ、外線電話は出ないくせに携帯で長電話するわで、このご時世にクビにしないでくださいっていうほうが都合よすぎるんじゃないの?」
 私は黙ってコーヒーをすする。もうぬるくなってしまっている。
 「風邪が吹けば桶屋がもうかるって、あれ、運とか占いとかの話じゃないんだよ? しかもあんたのは、風が吹けば桶屋がもうかるより、もっと単純な話じゃないの」
 「ミヤビちゃん、若いのに渋い引用するね」
 私は笑うがミヤビは笑わない。
 空は高く、晴れ渡っている。秋の日の晴天は清潔だ。歩道に沿って植えられた銀杏はまだ濃い緑のままだ。フロントガラスを白く光らせて、車が数台通り過ぎていく。
 「ねえ、なんで一番ホームランを打つ人が一番じゃなく四番って言われてるか知ってる? ねえ、猛打賞ってなんのことか知ってる? ねえ、今年はどこが優勝したかわかる? あ、日本一のほうだよ、セとかパとかのなんかじゃなくて」
 ミヤビをのぞきこんで訊く。私の足元に置いた紙袋を眺めたまま、
 「セとかパねえ」ミヤビはつぶやく。「徹夜して並んで自由席買って、自由席じゃいらないって言われて金券屋で馬鹿高いチケット買ったんだよねえ。徹夜した日は会社で倒れて早引きでしょ? 金券屋も値段くらべてはしごして午後出勤でしょ?」
 「でも言っておくけどさ、彼は私が徹夜したなんて知らないよ、知ってたら自由席をありがたく受け取ってくれたと思うな、私、余ってるチケットがあるって言っただけだから」
 私は言って大きく伸びをする。銀杏の葉のあいだから、青く澄んだ空が見える。

 ひょっとしたら私は余命がいくばくもなく、だから神様が特別に夢を見せてくれているのではないかと、本気で心配になるくらい、最近私と彼の関係はうまくいっていた。彼はほぼ毎日電話をくれ、二日に一度私はそのまま彼んちに泊まりにいった。
 こういう状態のときに、就業時間や仕事場のコンピュータやレポートや、そんなことを考えている人間がいるのだろうか。好きで好きでたまらない男と、六ヶ月目にしてようやくうまくいっているときに?
 いるのかもしれない。もちろんいるのだろう。だからこそこの国は経済成長を遂げたのだし日本円は強くなったのだ。けれど私はあいにくそんな人間じゃない。失業率も経済危機も犯罪の若年化も、好きな男の前にはまったくなんの意味もなさない。私みたいな人間にはきっといつか罰があたるんだろう。というより、実際あたりつつある罰に、私はそのときまだ気付いていなかった。
 明け方まで起きて話したりいちゃついたりしているから、朝は当然起きられず、出勤の遅い彼と一緒にアパートを出、誘われれば断れるはずもなく昼飯を食べたりもするので、二日に一度は無断遅刻をし、終業より早い時間に「めし食わない?」と誘う彼からの電話が入れば、トイレにたてこもり念入りに化粧をし、終業前にこっそり会社を抜け出した。
 入社以来三度くらいしか口をきいたことのない企画部長に呼ばれ、やる気がないならどうか辞めて欲しい、と、やさしく懇願されるような口調で言われたのは、ほんの数日前だ。
 「会社、ひょっとして辞めることになるかも」
 下北沢の居酒屋から彼んちに向かって歩きながら、私はなんとなく口にしていた。やる気がないのなら……という、その日に聞いた言葉はもちろん言わなかった。
 「まじ? いいなあ。失業保険で一年くらい遊べるじゃん」
 酔うと彼の声はかすれる。笑い声は息だけになる。昔のアニメ漫画に出てきた犬みたいな笑いかただ。
 翌朝、九時過ぎに目覚めるやいなや、
 「今日さ、動物園いこう」隣で眠る私を起こし、彼は言った。
 「仕事は?」訊くと、
 「校了明けだし今日はひまだからいいんだよ。な、いこうぜいこうぜいこうぜ」
 子どものように連呼して、ベッドから飛び起き、パジャマを脱ぎ散らかしながら洗面所へ走っていった。
 新宿高島屋の地下で、一口カツやおにぎりや点心や、チーズやパイや春雨サラダや、惣菜をたくさん買いこんで上野動物園にいった。晴れていて、空気は乾燥していて、片手で食べ物のぎっしり詰まった紙袋を持ち、片手で好きな男と手を繋ぎ、キリンや象やフクロウを見て回った。ニホンザルの前でカツとおにぎりを食べ、ペンギンの前でビールを飲んで点心をつまんだ。日だまりに座るとあたたかくて、うっとりするような眠気が全身をおおった。猿や象の檻付近は、糞と体臭の混じった獣臭が深くたちこめていた。黄も赤も白も茶も、動物たちの色はすべて青い空に映えてうつくしく見えた。彼は子どものころの思い出話を語り、私は遠足の失敗談を話し、酔っているみたいに笑い続けた。三十三歳で仕事やめて、おれ、象の飼育係になる、いや、アシカでもいいな、ワニでもいいな。いつもみたいに彼は言い、その「三十三歳以降」の未来には、私も含まれているのだと、なぜかその日は強く思った。
 何もかもが完璧すぎて、泣き出しそうなのをこらえなければならなかった。
 こんなとき、赤坂の裏通りにある殺風景な仕事場に、フロアの女の子が全員自分を嫌っているような場面に、欠勤の電話をかけてみようかと思いつく人間なんて、この世のどこにいるのだろうか。いるのかもしれない。もちろんいるのだろう。だから、もう会社にこないでほしいと私は言い渡されたのだろう。
 動物園の明くる日に、そのように言い渡され、わかりましたと私は答えた。反省してます、これからがんばりますなんて、明白に嘘だと自分でわかることをとても口にはできなかった。失業保険を一年遊べるくらいもらえるって本当ですか、と訊きたかった。それが非常識な態度であるということは理解でき、「手続きはどうしたらいいのでしょうか」としょんぼりと肩を落として言ってみた。こちらの都合で辞めさせられたことにしていっこうにかまわないから人事で話し合ってくれと、部長は迷惑そうに言った。一刻も早く消えてほしかったのだろう。
 仕事と机まわりのあとかたづけは三日ほどかかった。その三日、私の周囲は驚くほど静かだった。だれも話しかけてこなかった。みんな遠くで声を落として何か話していた。雪の日みたいだと、私物を紙袋につっこみながら思った。雪がすべての音を吸い込んでしまう、あのしずけさに似ていた。
 今年の冬は彼と一緒なのだと、雪から連想し、自分をなぐさめるためにそんなことを思ってみたが、思ったとたん、窓の外に雪を見ながらみぞれ鍋を食す私たちや、酌をしあって熱燗を飲む私たちの姿がなかば妄想的に次々と思い浮かんで、いつのまにかゆるみきった口元を懸命にもとに戻さなければならなかった。こんな罰ならばまったくおそれるに足りず、だった。
 そして三日目の今日、昼過ぎにあとかたづけはすんでしまったのだが、四谷でのミヤビとの待ち合わせが三時だったので、会社を出、時間つぶしに近辺をぶらついた。ビル街をうろついて、本屋や文房具屋をのぞき、店の外に出されたランチメニュウを眺めて歩く。モスグリーンの制服を着た若い女の子たちが、強風に髪を押さえスカートを押さえ、きゃあきゃあ言いながら横断歩道を渡ってくる。ネクタイの先端を肩にかけたサラリーマンが、携帯電話に向かって何ごとか熱心に話しながら、私に軽くぶつかって通り過ぎていく。見上げると、ビルとビルの合間に台形の空が見える。台形に切り取られた薄いブルー。
 私といっさいかかわりのないこれらの光景を、いつかなつかしく思い出したりするんだろうか。いや、その予感はあるし、そういった類の予感は、いままで必ず的中してきた。すべてひとしく私から遠く、よそよそしさしか感じさせないこの光景を思い出すのだ。そんなことを思うと、ひとつひとつ、女の子のパンプスやまぎれこんだ鳩や、日替わりランチ八百八十円の文字や陽を反射して鏡みたいに光るビルの窓なんかが、すでになつかしい、いとしいものに感じられた。そう感じさせているのは光景ではなく、彼なのだと知っている。
 缶コーヒーを買って、ずっとひとりで弁当を食べていた公園にいく。昼休みをとうにすぎた公園に、常連のサラリーマンと中年女はいない。鳩と浮浪者を眺めて缶コーヒーを飲み、三時が近づくのを待った。

 足元に置いた紙袋をまたちらりと見やり、
 「でもさあ、失業保険がおりるっていったってそれだけじゃ食べていけないでしょう、どうすんの、仕事捜すの?」
 ミヤビが言い、私は目の前のコーヒーカップに焦点を合わせる。
 「それなんだけどさあ、もし結婚とかの方向に話がいくんだったらへたに仕事とかしないほうがいいかなって気もすんのね」私は言う。そうしているつもりはないのに、耳に届く自分の声はでれでれしている。
 「結婚? そんな話してんの? おれさま男と?」
 「いやしてないよ、してないけど、でも、仕事やめたらいいんじゃないかって言ってくれたのは彼だしさあ、それって、いいほうに考えればそういうことじゃない?」
 「やめなよあんた、いいほうに考えるの。あんたの言ういいほうって、現実に基点をおいてポジティブな思考とネガティブな思考ってんじゃなくて、単純に現実離れしたことなんだもん」ミヤビはコーヒーを飲み干して、煙草に火をつける。「いいほうに考えれば、私は来年ブラッド・ピットと結婚できる」
 「げ、ブラピなんかがすきなの?」
 「いいほうに考えれば、今年の年末宝くじであたる三億で、青山にできるタワーマンションを買える」
 「いくらなんでも、そこまでかけ離れてないでしょ、私の言ってること」
 ミヤビは店員を呼び、コーヒーのおかわりをする。私はミヤビの手元からあがる、細い煙草の煙を眺める。色気店員が去ってから、私は口を開く。
 「あたらしい仕事は、でも当分捜さない。いい仕事が見つかって男運が反比例で減ったら困るもん」
 ミヤビは正面からまじまじと私を見据える。
 「言いたかないけど、あんたって、ときどきぞっとするほど頭悪いことを言う」
 何か言い返そうと口を開けた瞬間、おまたせしました、と映画俳優みたいなしゃべりかたで言い、給仕係が妙に色っぽい仕草でミヤビの前にコーヒーを置く。
06 2025/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
(12/10)
(08/13)
ANN
(05/19)
(04/04)
(01/05)
(01/03)
(12/24)
(10/20)
(10/09)
(08/21)
<<前のページ  | HOME |  次のページ>>
Copyright ©  -- ALTEREGO --  All Rights Reserved
Designed by CriCri / Photo by Melonenmann / Powered by [PR]
/ 忍者ブログ