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誓い

 家族一丸となり、代謝異常と診断された少年を見舞う家族の姿が新潟にあった。
 骨髄移植が必須と宣告された夫婦は、長男へのドナー提供を申し出たがもちろん相性は合わなかった。対処療法を余儀なく受ける兄を見守る弟、物心はまだつかぬとはいえ、死を予感させる兄の衰弱に弟はある決心をする。「僕なら、どう?」
 適合して移植が可能になる確率は、同父母の兄弟姉妹間でよくて30%、非血縁者間では数百~数万分の1といわれている。弟の悲願もむなしく、兄の骨髄と適合することはなかった。夫婦は長男の頭を撫でながらわらにも縋る想いで、病に伏し難病と宣告されたあの凍える日から、祈るように奇跡を待ち望んだ。奇跡を待ちわびながらも、家族は写真を撮ることで雑念をなぎ払う。頑張った、よく耐えた記録を残すためよと母は言い、長男を励ますその声は明るく、早くキャッチボールしようと次男は無邪気に長男の回復を待つ。しかし、祈りは天に届くことはなく、長男は静かに息を引き取った。

 長男が天国に渡ったことに違和を感じる次男。兄は病気で死んだ。悲しみに明け暮れる夫婦に、安らぐ日はこなかった。医者が口を開く。「弟さんのことなんですが……」
 医者の言葉に夫婦が絶句した。次男が、長男の命を奪ったあの病魔と、全く同じものを患っているということ。
 夫婦は残された一人息子に告知する気力も、勇気も残っていなかった。されど、ドナーへの呼びかけ活動に精を出した。確率の低さ、長男の死の前例。次男への責任感、病魔への怒り。
 ある日、医者が口を開く。「適合の確認が取れました。彼へのドナーが見つかったんですよ」母は決意をする。

 夕食を済ませたあと、母は次男に訊く。「お兄ちゃんはさあ、天国に行っちゃったけどさあ、お兄ちゃんの病気についてどう思う?」
 次男は言った。「苦しくて、どうしようもなくて、すごくいやな病気だと思う」母は顔をしかめた。
 「あのね、お兄ちゃんが苦しいときに、おまえが自分から進んでドナーを提供しようって言ってくれたとき、お兄ちゃん本当に喜んでたよね。それでさあ、そのときにお医者さんからね、おまえも、実はお兄ちゃんと同じように、骨髄移植が必要だってことがわかったの」
 兄が入院してからも何度も耳にした言葉、コヅズイイショク。突然のことに話についていけず、母がむいてくれたりんごをひたすらかじり続ける次男は、最期に見せた長男の笑顔を思い出す。
 「お兄ちゃんは間に合わなかったけどね、きっとお兄ちゃんがおまえにお返しをしてくれたんじゃないかな、ドナーが見つかったんだよ。これってすごいことなんだよ。それでね、来週の水曜日から、入院することになるから、学校も休まなくちゃならないの」
 事情が飲み込めたのか、りんごをいじる手が止まり、母の言葉に意識が集中する。
 「お母さん、寂しくならないように、毎日ずっと病院にいるからね。お兄ちゃんの分まで、がんばらないといけないよね。大丈夫だから、大丈夫」
 兄の死を思い出し、恐怖する次男は母に飛びついた。「死にたくない」「病気がこわい」

 適合施術後、直後に合併症に苦しむ次男の姿があった。髪は抜け落ち、口内炎の痛みで話すことも叶わず、日常的な嘔吐感にまともな会話をすることは無理な相談だった。母は思う。この子を連れて行くのは、もうちょっと待って欲しい。父は考える。この子は将来、兄の重さを背負うことになるだろう。次男は感じる。自分は、助かった。
 生と死を別つ未来を背負った兄弟、その役割の強制的な押しつけを受容した兄弟、四人家族は、三人家族になった。四人で笑った家の渡り廊下の壁には、一面に長男の闘病生活の軌跡が残っている。
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誓い

 今年のテーマは「誓い」。

 カンボジアはプノンペン、山間にひっそりと立ち並ぶ集落のさらに奥に、一般社会と隔離することを目的とした少年少女のための施設があった。子どもたちの数は120人、彼らに共通するもの、それは「母子感染」。
 子どもたちの姉役を買う少女は語る。「鬱になることが多くなって、鬱になれば、父を恨むことは日常茶飯事だし、毒を飲んで死のうと思ったこともありました。気持ちが落ち着けば、特別なのは私だけじゃないと思えるけれど、仲間が発症して、病院に行っちゃうところを見ると、薬なんか飲んだってしょうがないじゃないって思うことがあります」

 月に一度、家族に会う。抱き合う親子。言葉にできない、憎悪と愛情。
 父、母、娘、HIV感染者として、村の住民から差別を受ける。仕事を辞めろ、井戸の水を使うな、うちの子供と遊ぶな。涙を呑まされる理由は三つ、感染者に対するネガティブ思考と、HIVに関する無知による偏見、そして社会における人間としての信頼。
 性社会は途上国も先進国も、いつの時代にも蔓延るもの。少女たちは決められた時間に、一日に二回、カプセルを口に含み、水で流す。慣れぬ手つきでコップを掴み、自力で飲み干す幼児に、施設の教師がしきりにほめる。
 無症候期(AC)の子どもたちは、いつか発症してしまうかもしれないという恐怖を手のひらに乗せ、握り、寝床につく頃、目には見えない何かの塊を、頼りない空へ投げてみる。翌朝目を覚ましてみれば何かが変わるかもしれない、物心をつく頃には、心を落ち着かせるための自慰習慣は消えていた。

 日本では薬物療法は進み、糖尿病と同じく慢性疾患と扱うようになり発症を遅らせることができるようになった。今日、日本におけるHIV感染に関する知識の浸透度はまだまだ満足がいくほどのものではないが、海外途上国の現状は比べ物にならない。
 日本やアメリカで入手ができるワクチンがアフリカなどに行き渡らない状況の背景には、経済的な問題よりも、性がタブーとされている宗教的な問題や、主権が国民にないという政治的な問題がある。

 日本におけるHIVに関する性教育が、今日どの程度まで成長しているのかは微妙なところ。実質、私が有益、建設だと思える教育を学校で受けた覚えはない。せいぜい感染ルートと、死への段階ぐらいである。
 初期症状、感染するための必要最低条件、その確率、献血時に感染有無の知らせを禁止する理由、陽性結果が出た場合の行動、感染者との付き合い方など、少なくとも中学高校の教科書には載っていない。セックスはゴムをするように、という決まり文句の持つ力がいかに無力で無駄か、感染者の上昇率から証明されている。

人間

 ショッピングモールの駐車場に車を停めて、エスカレーターで入り口まで行くと、シンジが立っていた。中学生のシンジは自分の抱えている深刻さや切迫した状況を、丸裸の状態で、表に出していた。
 「ヒューマニズムって何なの!」尾瀬と不破は気おされていた。それは若者の間で流行っているらしい新しい挨拶か何かかもしれない、と勘違いをした。
 近くにあるベンチにシンジを座らせる。「どうした。いじめか」
 「カオルくんがさ、呼び出された」
 「カオルくん?」不破が聞き返す。
 「僕のクラスの同級生。背は高いんだけど、痩せてて。足がね生まれつき、悪いんだ。股関節がおかしいんだって。松葉杖を突いてる」
 「で、そのカオルくんとやらがどうして呼び出されるんだ?」尾瀬は質問を続ける。
 「生意気だから」
 「杖を突いているのが?」
 「カオルくん、頭がいいし、で、ちょっと口が悪いんだ。悪気はないんだけど。皆も分かってるくせに」
 「呼び出し注意か」
 「国道にある潰れたパチンコ屋に連れて行くんだって」
 シンジが下を向いた。悔しさと屈辱と、ふがいなさに憤っているのか、泣き出しそうな顔になった。
 尾瀬は、シンジの置かれている立場について了解する。
 おそらくシンジは以前からいじめを止めたかったのだろう。そのカオルという同級生に対する集団攻撃をどうにかやめさせたかった。けれど、反対を表明すれば、自分自身が攻撃の標的にされるのは分かっていた。「敵をかばう者も敵だ」という理屈は大国の大統領が堂々と口にするくらいなのだから、中学生が同じことを考えるのはおかしくはないだろう。
 シンジは立ち向かうことができず、かといって逃げ出すこともできずに途方に暮れていたに違いない。
 「いじめられるかも」と予言するように言っていたのは、自分が反旗を翻したらどうなるか想像したからだ。「いじめられなければいけない」という言い方もしれいた。あれは、自分がいじめられるのを覚悟で、友人を庇わなければいけない、という葛藤だったのかもしれない。
 「僕はカオルくんをいじめたってしょうがないって言ったんだ。そうしたら『ヒューマニズムなんて馬鹿じゃねえの』って言われた」
 「そのヒューマニズムは使い方が違うんじゃないか?」尾瀬は顔をしかめる。
 「人間らしさって言うのかな。ヒューマニズムの意味って」と不破が耳元のピアスをいじる。
 「みんなが言うには動物は弱肉強食なんだって。足が不自由な動物なんかすぐに死ぬから、だから弱い奴がいじめられるのは当然だって言うんだ」
 尾瀬は噴出しそうになるが、それでは深刻な顔をしたシンジに失礼だと我慢する。「そいつらは間違っている」と言った。「勘違いをしているんだ。トラが弱いトラをいじめ殺すか? そんなことはない。弱いトラはたしかに死んでしまうかもしれないが、それは自然にそうなるだけだ。仲間うちで食い合ったりしない」
 「話、長くなる?」不破がからかうように腰に手をついた。
 「俺の話が長くなったことがあるか?」
 「話が長くないっていう説明がまた長いのよ、尾瀬さんは」
 「ふん」と鼻を鳴らし、かまわず続けた。「強いだとか、弱いだとかは、何によって決まるんだ? 草原での噛みつきあい、空中戦、それとも学歴、遺伝子の配列か? 弱肉強食とほざいているおまえの友達は自分より強い奴に殺されることを良しとしているのか? 身体の頑丈さで足の丈夫さで決まるって言うんだったら、シンジ、おまえは今から四輪駆動の車に乗って、そいつらをはねてくればいい。『パジェロに潰される弱い奴らは死んで当然だ』と教えてやれ」
 「学校じゃ教えられないね。中学生になんてこと吹き込んでんの……」不破が呆れる。
 「どうしてライオンがガゼルを食うかと言えば、食わないと死ぬからだ。弱肉強食ってのは食物連鎖に参加している者たちが口にする台詞だよ。自分が死んでも、誰の餌にもならないような中学生が、食っても美味くもないような中学生が、『弱肉強食』なんて言う道理はないんだよ」
 「美味い中学生を食ったことがあるような言い方だ」と不破。
 「かわいい羊を食べるほうが残酷だろうが」
 「たしかに」動物愛護協会の不破が同意する。
 「い、一緒に来てくれないかな」シンジは思い悩んでいるようだったが、最後にはそういった。たどたどしい頼み方はとても好ましかった。
 しかし、正直なところ気乗りはしなかった。泥棒であるところの自分たちが、子どもの問題に関わるのは、出来の悪いコメディ映画にしか思えない。どんなにくだらない映画であっても、出演した強盗役には報酬が出るが、現実ではそれもない。
 尾瀬が尻込みしているのを見透かしたのか、不破が力強く言った。「尾瀬さん、僕たちがシンジくんを助けなければ、誰が助けるの!」
 「助けるも何も、別にシンジは無事じゃないか」尾瀬は顔をしかめた。「俺たちみたいなオヤジは余計なことをするべきじゃないだろ。若者の文化にオヤジの用はない」
 一緒にするなと不破が尾瀬を睨みつける。「放っておいたらシンジくんはこのまま一人で抵抗しに行く。行かざるをえないよ。そうだよね?」
 「う、うん」シンジは頷いた。
 「パチンコ屋か」尾瀬は低い声で唸る。「ちょっと待てよ、そこはけっこう離れてるじゃないか。おまえの同級生たちはどうやって行くんだ」
 「センパイがいるんだ、高校生の。その人は車を持ってるから、みんなを連れて行くみたい」
 「卒業した奴が何の関連があるわけ?」不破がたずねる。
 シンジはそこで唇を尖らせた。もごもごと口を動かす。「その人、中学生のころから有名な人で、卒業しても時々僕たちを集めるんだ」
 「センパイ面した不良のこと!」不破が愉快そうに言った。「不良というのは本来さ、秩序から外れたくて、なるものなのに、結局別の秩序に組み込まれるのね。妙だなあ。行列をつくるパンクロックと一緒でさ、矛盾だね。列を作るパンク! 上下関係を気にする不良!」
 「何をぶつぶつ言ってんだ」尾瀬が笑う。
 そこでシンジがぽつりと、「で、そのセンパイが、前から、その、人を殺してみたい、って言うから」と眉をひそめた。
 「はあ?」不破が眉をひそめる。尾瀬も唐突な台詞に呆気に取られた。
 しばらくすると不破が露骨に顔を歪め、嘔吐の真似をした。「最低だね」
 「まあ、子どもの、『ぶっ殺してやる』という台詞は常套句だよ」尾瀬は無理やり笑う。
 「本当に殺すんだよ、きっと」シンジは、ふだんには見せない幼稚といえるほどの不安を浮かべていた。「そう言ってたんだ。十代のうちは、一人くらい大したことはないって」
 「ふうん」不破が素っ気なく言う。「柵事情も知らないガキが粋がって」
 「いじめか事故かなんて、分かりっこないって言ってた。人を殺したら、かなり自慢できるぜって」
 「素晴らしい」不破がにやける。「まったくさ、人を殺したいなら、志願して戦場に行けばいいね。僕にはね、許せないものが三つあってね、ワーストスリーだな」
 「ほお」尾瀬が目を向けてきた。「興味があるな」
 「料理に入ったパイナップル、リスクのない暴力、それから、シンジくん、君をいじめるやつらだよ」
 「それはそれは」尾瀬が顔を傾けた。
 「十人くらいでカオルくんを襲うんだって」
 「よーし」不破が当然のように言った。「尾瀬さん、そろそろ、ね」
 「ちょ、ちょっと待て」尾瀬は慌てて止める。「さっきも言ったが、中学生の喧嘩に俺たちのようなオヤジが首を突っ込むのはみっともなくないか?」
 「んなことを言ってるから若い子がいい気になるんじゃないの」
 「仕事があるだろう、あいつらから電話が来たらどうすんだ」
 「シンジくん、行こう。つべこべ言っている尾瀬さんなんて放っておいて、僕たちだけで行っちゃおう」不破が出口に足を踏み出す。「まったく非協力的なんだから。僕が世の中で許せないものはね、料理に入ったパイナップルと、非協力的な大人と、それから、『さっきのワーストスリーと違うじゃねえか』って指摘してくる人だよ」
 「分かった、分かった」尾瀬は諦めて肩の力を抜く。「行くよ。行こうじゃないか」
 「みっともないけどいいわけ?」不破が笑いながら言ってくる。
 「俺のポリシーは、『おとなげなく生きる』だからな。中学生だろうが誰だろうが、偉そうな奴らはガツンと一発食らわせなければだめなんだよ」
 「リーダーから電話が来ても知らないよ」不破がさらにからかうように言った。
 「リーダー? 誰だ、それは」尾瀬はとぼけた。
 「はい、決まり。行こう」
 「ヒューマニズムって悪いことなの?」シンジがふと訊ねてきた。
 「もちろん」と尾瀬は不破のかわりに即答する。不破は尾瀬の横顔を盗み見た。「人間らしいというのは何のことを指しているのかさっぱり分からないな。人間を何かの上位に置いた言い方だ」
 「人間なんて偉くないのにね」不破がつぶやいた。「理由もなく敵地に侵入襲撃するのはチンパンジーと人間だけって聞いたことがある。たいていの類人猿は、敵が退散すれば満足なのに、あくまでも殺害を目的とするのもチンパンジーと人間だけ。ヒューマニズムというのはそれを指すかもね」
 「おまえは厳しい」尾瀬はからかう。
 「僕はね、いつか動物たちが結託してさ、人間に対して、『何様のつもりだ』と襲い掛かってくるのを楽しみにしてるんだよ」
 「そうしたら俺はまっさきに羊に食われるかもしれないな」
 「尾瀬さん、羊は草食だよ」不破が笑う。
 「ふたりとも、大変だよ」シンジがぎこちなく言った。
 「行くとするか」尾瀬が立ち上がる。「こう見えても俺はボクシングのインターハイ選手だぞ」尾瀬は自分の左腕でこぶを作ってみせ、右手でぱちぱちと叩いた。
 シンジが、「嘘ばっかり」と息を吐いた。
 「最近の子どもたちは刃物とか持ってるから気をつけたほうがいいよ、尾瀬さんも。暴力団と繋がっている子どもも多いって話だからね」
 不破の言葉に尾瀬は目を丸くする。「それはちょっと、まずくないか」
 「もしそうだったら、すぐに逃げてくればいい」不破がなんともなしに言う。
 「それって何か意味があるのか?」
 「いいよ、どうせ暇つぶしなんだから」
 シンジが嬉しそうに、「そうだよね、暇つぶしなんだ。ヒューマニズムじゃないんだ!」と声を上げた。

玉響

 「お客様の救出作業が終了しましたので、間もなく運転再開いたします」
 作業、終了。死体処理が済んだことをヴェールに包んで放送するのは、被害が広まらないようにするという意味も含まれる。(精神的に参って嘔吐されたり、貧血で倒れられたりしたら緊急ボタンが押されるため)。警察が乗客を誘導するような形で通路を確保しているところをみると、あれがいわゆるダミーというやつで、目立たない場所で遺体は担架で運ばれている。一瞬見えたはずの救急隊員の姿は、すでに乗客の目からは捉えられない。正気なのか酔っ払いなのか基地外なのか判断のつかない男が、JRスタッフに詰りつけている。デジカメは野次馬か、一眼レフはマスコミか、警備員が倫理の渇をとばす。

 人身事故が起きた場合のことについて調べてみると、遺族に巨額の罰金を請求するというのは、ガセとは言わないが、噂は大げさだったということが分かった。JR社員の心情からしてみれば、遺族に金を求めるのは心が引けるので、示談で済ませることも多い。JRが負担するのは乗客の反感と(利用者は不満があっても利用せざるを得ないので客は離れない)、一番のネックである電気代。毎月、一定量の消費電力をもとに契約をしているので、それを大きくオーバーしてしまうと数千万円という負担を浴びることになる。電車を停め、稼動時間を延ばし、代わりの電車を走らせることにもなれば厄災豪雨である。遺族が「知るかそんなの」という態度をとればJRも人間なので「いい加減にしろ」ということで裁判に、という事例もあるが、大抵の場合、遺族は「大変申し訳ありませんでした」と真摯な態度で謝罪を取るのが大半であり、JRは「○○さんのご冥福をお祈りします」という穏便な形で頭を下げる。現場の清浄やスタッフの残業の手当てだけご負担いただけますかという程度の額で(1000円~2000円)示談し、線香をあげ、お暇し、弔問はすぐに幕を閉じる。

 「お客様の救出作業が終了しましたので……」
 人身事故に関して日本社会がこうあるべきだと示唆しているのかわからないが、死者が出る現場からは離れておくべきだ、離れてしかるべきだという認識が、あるいは潜在意識が、この島国にはあると思う。(野次馬とは違って、死人が出る現場が目の前にあるのに、自分たちとは全く無関係のテレビの先にあるような別世界という認識)
 たばこが未成年はダメとしているのは、健康上よろしくないからというのは詭弁で、そんなの端から誰も心配していない。ただ単に法律が定められていてそれに従うべきとしているからだ。健康を守るためではなく、法律を守るためであって本末転倒なわけだが、それが事実であり現状。未成年がたばこを吸うのは良しとしない素晴らしい国であるということを親から子へ、国から国民へ、国家から他国へと伝えるために。素晴らしい精神を訴えている国であるんだぞという、依存しても何ら問題ない、寄りかかれる帰属意識が強いためだ。自我はない。
 だったらたばこを吸わなきゃ誰も文句は言わないだろう(見つからなきゃ問題ないだろう)、死体を見なけりゃ人身事故の車内放送を聞いたときに舌打ちの一つもらしても問題ないだろう。
 たばこを隠れて吸って健康を損なっても自分で責任がとれるだろう、電車が遅れて会社や学校に遅れても責任はJRと自殺者だろう。
 たばこを売ってる奴が悪いんだから手の届く場所に置いておくこの国が悪いんだろう、死体さえ見なければ飛び込む人間をうざがっても良心の呵責に苛む必要はないだろう。
 事故が起きるたびに死者を思う気持ちの有無を議論する前に、自己の精神思想に難ありとは誰もが本当は気付いている。「あー可哀想とはおもうけど仕事で疲れてるから早く帰りたいのにさあ」「まじうぜえ」口にはせずとも心で思う。そして、そう思ってしまう自分を疎み、自分を疎ませる自殺者を疎み、自殺者を生んだ社会をさらに疎む。やり場のない怒りの矛先は煮え切らないまま飲み込むか、JRスタッフへの冷たい視線を送るか、深く考えたくないので携帯に意識を飛ばすか、寝るかのせいぜい四択。

 緊急停止ボタンが押され、けたたましいサイレンがなるホーム、電車が駅で停まったまま数人の警備員とJRスタッフがあわただしく走り回るなか、乗客がこれ何事かと一様に同じ顔をして事態を見守っているが、もしその視線の先に、赤と白の、生そのままの形を目の当たりにしたとき、その好奇心のやり場がどこに向かい、次に何を失い、何を生むのかを想像する。憎悪か、倦怠か、憐憫か、寂寞か、歓喜か、恐怖か、愛情か、喪失か、達成か、無心か。
 広島原爆被害者の「昼が夜になって、人間がお化けになった」という言葉がある。
 鉛筆立てにささった鉛筆たちのように、ぽつぽつと並んで立ったまま死んでいる人間らを見て、初日に憐憫、翌日に無心と変化していくのだと。
 駅ホームでバケツを両手に提げて歩く人を知っている。彼の表情を見て思う。彼は何を考えていただろうか。


ミミンズクの夢

 結核を患う母を持つ娘たち、サツキとメイ。空気の澄む埼玉は所沢市、時代は高度経済成長を迎える前の、緑豊かな田舎町に草壁一家は引っ越してきた。テレビはもちろん普及しておらず、ガスもないので七輪で料理をし、水は井戸から運び洗濯をした。姉妹が目にした新しい家は、おとうさんが子どもの頃から夢みたお化け屋敷だった。家を支える柱に手をあててみればギシギシと揺れて今にも崩れそうだし、屋根裏ではマックロクロスケと愛称のつくススワタリと出くわすし、夜のおもてで風呂焚きの薪をかつぎに行ったサツキが目にしたのは深い森の轟だった。

 近所づきあいは良好、姉サツキは転校初日に友達もでき、妹メイは母が入院する七国山の近くに越したことに喜んでいる様子。おとうさんは大学で非常勤として働き、足りない生活費は翻訳の仕事でまかなっていた。当時、結核という病は今の時代で言う癌に相当する重い病気で、治療費はばかにならず、助かる見込みも絶望的だった。幸いにしてかん快に向かっているとはいえ、万が一にも愛する妻を失うかもしれないという恐怖にもたじろかず、おとうさんは娘たちを不安にさせないようにと、いつでもおどけた笑顔で彼女らを支えていた。
 引っ越しを済ませてからすぐに、母が入院している病院へ、三人は自転車にまたがってすずなりになって向かった。退院を前向きに考え、普段の生活に馴染ませるために一時的に一緒に暮らせる許可が下りたことにメイは大喜び。

 母が入院してからというものの、メイは幼いながらも自分なりに楽しい遊びを自然の中で見つけようと精を出す。ある日メイは、自宅の庭先で小さなおばけを発見してしまう。そのリスでもないサルでもない半透明の白い生き物と鬼ごっこをしているうちに、メイはついにおばけの住処を発見してしまう。太古より塚森の主として自然を守っている生き物、子どもだけが見ることができるというミミンズク、トトロとの出会いだった。
 メイはトトロとの出会いに心を弾ませ、五歳としては当たり前の、母に甘えたいという気持ちを紛らわせるように、トトロの大きなおなかの上で眠りに落ちてしまう。目が覚めたとき、そばにいたのは姉のサツキであり、からだの下にあるのはやわらかいトトロのおなかではなく固い土の上だった。トトロに出会ったことを信じてくれないおとうさんや姉サツキに腹を立てかんしゃくを起こすが、おとうさんは彼女をぞんざいに扱うことはしない。「サツキやおとうさんはメイのことを信じてないんじゃないよ、きっとメイは森の主に会ったんだ。それはとても運がいいことなんだよ」

 妹メイの世話を忘れずに、学業も怠らず、家事を手伝う姉サツキ。お弁当のことをうっかり忘れてしまう台所事情に疎い父を支えるのは、母の代理だと自負している姉サツキだった。礼節をわきまえ、クラスメイトから借りた傘はちゃんと家にまで行って返し、雨が降れば父を迎えに行き、同行したいとわがままを訴える妹の手も握ってやった。そんな一人前の大人の女性として振舞うサツキにも、不思議なできごとが訪れる。暗い夜道にたたずむバス停で父を帰りを待つ間、眠りに落ちたメイを背負いながら、ついにサツキもトトロに出会ってしまう。畦道のような道路沿いで、夜の雨がしとしとと降る中、すぐ隣で理解不能な生き物がその長い爪でポリポリと毛だらけの体を掻いている。
 傘で隠れ隠れゆっくりと隣の顔を覗き見上げると、雨避けのつもりなのか大きな葉っぱを頭に乗せた、クマのような、しかしクマではない何ものかが直立不動で前を向いている。突然の衝撃的な出会いにサツキははじめ戸惑うけれど、それでもサツキはメイの言葉を思い出し、トトロに興味を覚えおとうさんの傘を差し出した。トトロは大いに喜びはしゃぎ出すと、メイは目を覚まし、やがてバスのライトが近づいてきた。今度こそおとうさんが乗っているバスだと期待するが、なぜかバスは不毛に飛び跳ね、猛スピードで近づいてきたかと思えば急ブレーキで止まる。猫の顔をしたバスか、それとも猫型のバスなのかと、口をあんぐりと開けて呆然としている姉妹に、トトロはあるものを差し出した。龍のひげで包んだたくさんの種だった。

 翌日その種を植え、サツキは母に近況の手紙を書いた。姉妹はある日、トトロたちが出てくる夢をそろって見、その夢を見た翌日に種は芽を出した。願えば確実にいつか芽を出してくれる。トトロは私たちにその夢をくれた。「夢だけど、夢じゃなかった」その出来事は、サツキとメイにとって大きな心の支えとなる。母の病だって、いつかきっと治る。それは夢じゃないんだ。
 新しい生活に慣れはじめ、おばあちゃんの畑仕事に付き合うサツキとメイは大自然から生まれた生野菜をご馳走になる。おてんとうさまの光をたっぷりと浴びた野菜を食べればどんな病気もいちころだ、そう語るおばあちゃんの言葉にメイはますます嬉しくなった。
 その頃、木陰で休憩をしていたサツキとメイとおばあちゃんのもとに、雨の日に傘を貸してくれたクラスメイト、カンタがやってきた。家を空けていたときにたまたま病院から電報がきていたのだ。「すみやかに病院に連絡を寄越すように」という内容に、サツキはいいようのない不安を覚える。おかあさんにきっと何かあったのだ。メイは姉の様子にいぶかしむが理解できない。連絡をするにも電話はない、おとうさんは職場だし、どうしたらいいだろうとサツキは混乱する。おばあちゃんがカンタに本家の電話を使わしてやれと案内させ、サツキはメイをおばあちゃんに任せカンタと走り、メイが後ろからついてくるが沸きおこる焦りから振り返れない。カンタの本家で父に電話で事情を説明すると、折り返しの電話を待つようにと言われその場で正座して待ち続ける。おかあさんの容態が急変し、一時退院は見合わせることとなった。

 カンタの本家から出てきたサツキは、うしろからつけてきたメイを見つける。おかあさんの事情をメイに話すと、メイは激昂し不満をぶちまけた。「いやだ」不安に押しつぶされそうなサツキも、妹を守ってやる姉としての顔を忘れてしまう。「じゃあお母さんが死んじゃってもいいの」「いやだ」「もう知らない」メイはおかあさんがまた帰ってきてくれないことに、姉に叱られたことに、自分の気持ちをうまく言葉にあらわせないもどかしさに、そしてすべてを受け止めてくれるはずの母の不在に、ひどく落胆し泣き出してしまう。どこかで我慢していた姉妹のなけなしの健気さが、とたんに崩れ落ちてしまう瞬間だった。カンタは姉妹の家庭事情に同情し、サツキへの思いを募らせる。
 姉妹を心配するおばあちゃんが毎日訪れてきてくれ、家事を手伝ってくれる。ありがたいことだが、母の一時退院の見合わせは、姉妹にとって思いのほか大きなショックだった。サツキが洗濯を手伝うおばあちゃんにぽつりぽつりと本音を語り出す。「前にも同じことがあったの。あの時も、同じだった」おかあさん死んじゃったらどうしよう、突然泣き出すサツキの背中をさするおばあちゃんが見たものは、気丈に振舞っているだけの本来母親を必要とするはずの小さな女の子だった。いままで一度も見たこともなかった姉サツキが号泣する姿を見てしまったメイは、おばあちゃんの畑で取れたとうもろこしを抱えて、家を飛び出してしまう。

 夕方になってから、塚森は騒然としてしまう。メイが行方不明になったと住民は総出で捜しており、サツキは七国山をにらんで目指したが、ひたすら一本道に続く七国山からやってきたというカップルが、小さな女の子は見ていないと言い、メイはひとり迷子になってしまったのだと悟る。肩を落とすサツキに追い討ちをかけたのは、自転車でサツキを追ってきたカンタの知らせだった。「池でサンダルが見つかった」サツキの背中に戦慄が走る。頭のどこかで考えていた最悪のケースに身の毛がよだつ。おかあさんがあの状態の上、メイまで失ったら私はどうしたらいい。
 来た道を駆け戻ると、桑で池から何かをかきだそうとしている農夫や、事態を見守る近所の人たちが群がっている。おばあちゃんの震える手にはカンタが言っていたサンダルが握られており、池の中からメイが出てこないようにと祈る姿があった。今にも泣き出しそうなおばあちゃんの顔からは、畑で口にしたことについての後悔と自責の念がにじみ出ている。震える手の中にあるサンダルにサツキは息を切らせながら目を落とす。「メイんじゃない」
 でも、だったらあの子はどこにいる? 万策は尽きた。意味もなく空を見上げると、視界の片隅に森の木の葉が移った。それこそ、神頼みだ、サツキは走る。大丈夫よ、あなたなら夢をかなえてくれるでしょう?
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