忍者ブログ

ALTEREGO

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


小夜時雨

 驟雨のような寒い水玉が服をぬらす。赤羽ホーム先端で第一車両の扉が開く。喫煙エリアがボックス型に隔離され、効果的に分煙できている駅は少ない。たばこの副流煙が風に乗らずに湿った空気のなかで泳いでいる。煙は確かに彼らの上方を泳いでいっているはずなのに、電車の内部へと入り込んでいる。感知しているのは鼻と喉だ。
 たばこを吸わない人の受動喫煙の弊害が危ぶまれてから久しいが、この国ではあんまり効果的に浸透されていない。日本で危惧されていないのは、各国のたばこのパッケージを比較してみればわかる。産業が説得力のある形で示していないのは日本だけなのだ。タイやインドネシアではホラー映画で使われるようなどす黒い肺をパッケージにカラー撮影して載せており、たばこを吸うということは自他ともに肺をこんな風にさせるのだという忠告を示しており、日本のような「吸いすぎに注意しましょう」「飲みすぎに注意しましょう」というどうでもいいですよ調で謳ってはいない。日本は誰が肺ガンでおっ死のうが売れりゃいいのである。
 発ガン性クラスとしては「A」と認定されている副流煙。「私は非喫煙者だから大丈夫」だからと、皮膚がんの恐れになるからといって紫外線対策にUVAカットクリームを塗りたくり出勤し、職場で同僚の副流煙を吸っていることに気付いていながら目を瞑るのは、たばこ産業による非喫煙者への「鈍磨」という弊害が出ている。合法的に約束されたたばこに同意して喫煙するのは喫煙者の権利だが、非喫煙者の権利はどこにも約束されておらずたばこによる障害に脅えるだけだ。飲み屋に妊婦がきている姿も異形だが、その隣にいる夫が店員に「灰皿を下さい」と言い出した日には世も末である。
 だが不思議なことに、不特定多数の副流煙を煙たがる(煙なだけに)非喫煙者も、しかしそれをどこかで同意している場面があるのも事実なのだ。「この人のたばこなら受け入れても平気」世話のない話だが、どこか頭ごなしに否定できない。
 同棲生活、ホスピス、親友、一つ階段を下がれば会社でも学校でも(いけません)友人宅でもあり得る話。すべての元凶は人間関係から始まっている。わびさび謙虚な姿勢から始まる受動的な文化にあれこれ方程式のような水差しは無用、ということなのだろう。実は本末転倒な話ではあるのだが……
 ところでたばこを喫煙しはじめた当初の理由を、喫煙者は数ヶ月後には忘れているという話がある。何をするにも理由があるだろうという説は廃れてきているが、喜怒哀楽がすっぽり抜けている点が気になる。人それぞれだが、スポーツであれば汗をかけて楽しくて健康的だから、リストカットであれば悲しさや苦しみを痛みで昇華したいから、飲食であれば美味しいし誰にも迷惑をかけないから、という明確な動機付けのようなものが見当たらない。たばこに関しては「なんとなく」「気付いたら」といった答えが返ってくるのが九割を越えている。スポーツでもリスカでも飲食でも、その人が辞める時期を覚えれば幕を引くのに対し、たばこだけはその習慣に魔性のリズムが隠れている。自傷行為の対価として得られるものにそれほどの価値があるとは思えないが、辞めない理由というのはそれなりにあるのだろう。手に入りやすいし、始めやすい。
 スポーツもリスカも飲食も前衛的な意味で一括りにしたが、人によっては生死に関わるほどの深い関係を持つ場合もある。仕事をなげうって身体を酷使し呼吸するのでさえ苦しくなるその瞬間にだけ、カッターを引く瞬間にでる赤い玉を舐めて痛みに頭をもたげるその瞬間にだけ、生きたくても生きた心地を感じられずそれでもなんの味も感じない炭水化物を摂食嚥下するその瞬間にだけ、生きた心地を感じる、または感じたつもりでいようとする人がいる。本来、たばこという存在はこのあたりの位置にあるべきものだったような気がするのに、いつの間にか人々の間で普遍化していた。私はたばこを吸う人には動機を持ってほしいと思っているのかもしれない。人と共存する上で相手の生の一部または全てを奪っているという意識と、それを補うための優しさを持ってほしいと思うのかもしれない。非喫煙者の喫煙者に対する上から目線に疑問を覚え、喫煙者の非喫煙者に対する気遣いにときめきを覚え、日本は忙しい国である。
PR

ジーマ

 トマト君順調に成長中、連続した悪天候に何度も茎をへし折られたが、なかなか骨太になってきたので今ではそうそうたじろがない。
 六本木は相変わらず日本語が堪能な外人たちでにぎわう。かつての職場の土地と思いきや、既になつかしさは消えうせ肌で感じるのはいささかの煩わしさだけだ。皮肉にも飲む場所はリチャードマン&サン、スタッフの面子は変わっていて私の顔を覚えている者はいなかったが、ホールもキッチンもバーテンもかわらず無国籍な外国人でひしめきあっていた。二十年前からあるこの店はかつてのイミグレーションを迎え入れはじめたアメリカの老舗バーを連想させる。はりつけられた色んな国旗が天井で吹き抜けの風に靡いている様子は以前と変わりない。
 ハワイ大学中で出会ったビーグル犬を日本につれて帰り十五年の歳月恋人ができずに四十才手前でやさぐれはじめた雇われ店長と、見た目よりもずっと若く性格も人当たりのよい一体何が良くなくてそうなったのかわからない持ち上げ上手なバツイチ派遣OLと、バイト先で出会った未成年と謎な意気投合らしき理由で同棲中の秋田から単身上京してきた見た目だけは爽やかなロリコン男と飲んだ。
 メニュウの中身はかわらず、シャーマンポテトのチーズメイプルが美味しいという記憶があるので、これがおいしそうだと必死に薦める。シャンディガフ、ジーマ、ギムレット、ジーマ、ジーマ、ジーマ。すでに思考が落ち始め、二件目にして酒が飲みたいわけでもなく、アルコールを求めているわけでもなく、ひたすらにメニュウを開き酒を選ぶことが全員とも面倒になっている。プラズマテレビでやっているスポーツ番組を肘をつきながら眺め、となりで帰国子女風のパーティー席が意味不明な騒ぎを駆り立てシャンパンの蓋がロリコン男の頭上に舞い落ちる。爆笑とソーリーという言葉の雨が喝采のごとき左手から降り始め、何がなつかしいのかネジが飛んだ店長がグラスを持ってチアーと笑顔を振り撒きはじめたが、もともとそんなキャラの集まりではないのですぐに疲れ始める。ため息と鼻笑いが結局のところ一番落ち着くムードになる。
 バツイチが恋愛や異性との会話の間について語り出す。「私こう見えても気ぃ遣ってるのよ」「みんな癒し系だよね」「一見怖そうで、実は優しいって人なんかいいよね」句読点の合間を狙うように、どこかの席から笑い声が飛んでくる。沈黙が怖いと言うOLにやさぐれ店長が無理をして会話を捜す必要はないと言う。そう感じさせる相手とは長く続かないと軽い調子で続ける店長に、OLが神妙に頷くその様子はかつての離婚を連想させる気配があったが、酒の酔いがお節介な遠慮をなぎ払い空気は重くはならない。ロリコンが若干の千鳥足で席を立ちトイレに行き、二人の話題がこちらにとってかわる。「ノンケなんですか?」振り向きざま、今どこの連中と席を共にしているのかを忘れかけたが、なけなしの理性で「はあ、別にどっちでも」と適当に答える。「そーなんですかあ」気のない返事に「そーですけど」と気のない相槌を返す。「ですよね」とはにかみ笑いを漏らされ、「なにがですよねですか」とため息を漏らす。
 店を出ると霧雨が横に降り、傘の意味があまりなかった。新しいデニムと靴が水を吸収して変色する。地下鉄でSUICAを改札に通し、充電し忘れてバッテリーが赤いipodをつけ、携帯を開く。若いツバメのメールを読み心を和ませ返信し、そういえばと翌週の兄との約束を思い出す。遅めだが母の日のプレゼントとして東京芸術劇場で京劇を見に行くから付き合えとのこと。はっきり言って、何を勘違いしているのか分からないが中国の歌劇に母は全くといって興味はない。猿化粧をして曲刀を振り回すダンスを延々と見続けて一人A席7500円は微妙。親孝行の意を汲んで付き合う母も、なあなあで付き合う自分も、それについてくる友人も、兄のパートナーも、何かしら滑稽な部分があるがだれも口にしない。雀卓で麻雀自体はどうでもよく、会話の席を設けたいだけという例と似ているが、そもそも会話自体うまく成り立たない言うなればカルチャーギャップにほとほと頭をもたげさせる。アメリカナイズな兄とアメリカンなパートナーと無口な私と友人と台湾人の母。二度口にするのはくどいが、はっきり言って面倒である。池袋の会館まで出るのであれば、パイプオルガンを聴きに行ったほうがずっとマシだ。むしろ最近リニューアルした地元のプラネタリウムに足を運びたいくらいだ。だがしかし、同じ屋根の下としない生活を強いられた彼にとっては、今が動きたい時期なのだろう。私と彼の人生観や価値観や性格はまったく重ならないし折り合うことはないが、耳を傾け同意することに苦はない。
 テラスの紫蘇とゴーヤとトマトに水をやり忘れたと思い出し焦ったが、地元についてから雨が降っていることに気付く。飲み足りているはずなのに、駅前のコンビニで缶チューハイを買って帰りながら飲み下す。そういえば、彼の誕生日も今月だった。面倒な話である。


瑞応

 マレー半島の先にはインドネシアの島々がある。地図を眺めて行き先を決め私は荷物をまとめた。私の選んだ次の場所はビンタン島という名の島で、空港近くのフェリーターミナルからはリゾートへいくフェリーと、港町へいくフェリーの二種類あった。フェリーターミナルにおいてあったパンフレットで確かめると、リゾート地には高級ホテルが立ち並び、私が何泊もできるような安宿はありそうもない。港町へ向かう船のチケットを買った。
 島の中心部であるタンジュンビナンへは一時間と少々でつく。乗客はあまりいなかった。いつかの島へ向かう船に比べれば格段に豪華な座席に寝転がり、窓の外に流れる青い空を眺め、背中に振動を感じた。
 今朝早く、いつもと同じ、額に汗を浮かべて眠る彼を見下ろしてライチを食べていたが、ふと思いついて荷物をまとめた。共用していたもの、歯磨き粉やシャンプー、筆記具や薬、それらはすべて彼のデイパックに押し込んだ。こまごましたものを移しかえただけなのに私の荷物はいやに軽くなった気がした。滞在費を折半して、用件だけ書き記したメモ用紙に包み、それも彼のデイパックに押し込んだ。深く考えていたわけではなかった。私はただ、清潔な町をほっつき歩くことに飽きただけだった。数日たてば彼も同じ毎日に飽きてここをでるに違いないのだ、私だけ一足先に出て落ち合うつもりだった。
 毎日どこへいっているのか、高校時代にバレー部の後輩にうつされたインキンはどうなっているのか、ゆうべ十二時近くに帰ってきた彼に何気なく訊くと、彼は中途半端な笑みを浮かべ、じつはブギスの娼婦宿に通っているのだとあっさりと言った。先日の屋台で夜食の席をたまたま一緒にした韓国人の話を聞いていってみたくなった、毎日捜し歩いて、中華街で知り合ったじいさんが場所を教えてくれた、毎日いくわけでもないし同じところに通いつめているわけでもない、と彼は言った。
 「なんでインキンなんて言ったの」訊くと彼は自分の指先をいじり、
 「だってそういうのって、なんかへんだろ?」口の中でつぶやいた。
 薬屋を捜すふりをして女を買っていた彼はもっと何かを言ってほしそうに私の首筋あたりを見た。私も何か言いたいような気がし、何を言うべきか足元を見て考えた。汚れのつまったつま先を一本一本見ていって、薬指まで見てから顔をあげ、どんなところで、どんな相手と具体的にどんなことをするのかと訊いた。私の知りたいことはそれだけだった。私の決して入ることはない扉の向こうのことを知りたかった。彼はシャワー後の濡れた髪を執拗に拭いながら、ちらちらと私を見、告白めいた口調で話し始めた。
 裏通りの一角に、そこだけタイムスリップしたような、色の抜け落ちたぼろぼろの三階建ての建物が並んでる場所があって、数回いけばだいたいどこがそういう店なのかはわかってくる。交渉を済ませるとまず部屋に通される、四畳半ほどの、ベッドとエロ雑誌がおいてあるそっけない部屋。そこで雑誌をめくってると女が入ってくるんだよ、最初の女は、色が黒くて痩せた女で、英語が全然しゃべれなかった。女はおれのわからない言葉で何か言って、すごく事務的に服を脱ぐわけ。私は彼の話を聞きながら目を閉じ、その光景をできるだけリアルに再生しようと試みた。それについて何か思ってみようとした。嫉妬、軽蔑、憎悪、嫌悪、否定、あるいは肯定、けれどどれも感情のともなわないただの言葉として滑り落ちていくだけだった。私はこの男について、夕方に部屋をでて見知らぬ女を抱きにいく男について、自分が何を思えばいいのか、まるでわからないでいた。そこで言葉を切った彼に、先を促すしかできなかった。彼は日にやけた指をいじり、私と目を合わせず言いにくそうに続けた。
 女は服を脱いで、それで、おれにも脱ぐように身振りで示して、おれさそういうときどうしたらいいのか全然わかんないんだよね、真っ裸でぽかんと立ってると女が口を吸ってくるわけ、それでベッドに押し倒して、っていうか押し倒されて、この女がね、ひんやりしてるんだよ、肌が薄くてその肌が冷蔵庫に入れておいた野菜みたいに冷たいの。彼の口ぶりは次第に変わってきて私は彼を見た。指をしきりにいじりながら壁のしみを見つめ、彼は話すことに夢中になっているふうに思えた。そむけた目は見開いて、頬は次第に紅潮し、こすり合わせる指には力がこもりはじめていた。そして彼は切れ目なく、相槌を打とうが打つまいが話し続ける。女のべたべたと甘い味のする舌について、顔をそむけたくなるほど強烈なにおいの腋の下について、顔を近づけるとねっとりと温かい陰毛について、こげ茶色の乳首について女の無表情について、一定のリズムで彼の腰を刺激する二つの平たい足の裏について。自分が何に萎え何に欲情するかについて。いっときでも口を閉ざしたら銃で心臓を撃ちぬくとおどかされているように、言葉をつなぎ話を終える気配がなかった。
 彼があまりにもなめらかに言葉をつなぐので、いつものように思いついたでたらめを言っているのかもしれないと、ちらりと思った。そう思っても不快を感じなかった。すべてがうそでもかまわなかった。なぜなら彼の言葉の一つ一つは私に届いた。なんの感情も呼び起こさないがそれでも彼の口から流れ出る言葉は確実に私に届き、私はその言葉の合間に、まぎれもない一人の男を見た。彼は、彼の語るでまかせの過去のどれとも一致せず、私の友人でもなく恋人でもなく、見知らぬ他人でもなかった。私は向き合う男の細部に目を凝らした。乾いた唇、淡い桃色の頬、耳たぶ、小刻みに動く鼻の穴、日にやけた指とあざやかに白い指のまた。私と同様、目的地もないのに先を急ぎ、荷物を軽くしてはその重さに首をかしげている一人の男。彼もまた、軽い思いつきでなじんだ場所をでてきて、その軽さが今どこにも見当たらないことに戸惑っているのだ。
 帰りたくないと切望して山にのぼり、犬になっておりてくる旅行者の話を彼としたのはいつのことだっただろう。宙を見つめとめどなく言葉をあふれさせる彼は、まるで一匹の犬のようだった。一緒に暮らしていたとき以上の時間をともにすごし、言葉を交わし、大きいものを大きいと言い、美しいものを美しいと言い合い、見慣れぬものを見知った言葉に置き換えて、そうしていた私たちの姿を思い出す。思いついたでたらめを軽い口調でさらさらと話す彼の姿を思い出す。彼が今語る言葉はそれらのどれとも違ったものに聞こえた。犬に姿をかえたことに気付かずに弱弱しく泣き続けているようにも聞こえるのだった。ドアの向こうにも、布切れのかかった窓の外も静まりかえっていた。時計は午前二時を指していた。

 気が向いたら電車をおりてその町に滞在した。北へ向かえば向かうほど食べ物の味は辛さが増し、南へおりるだけ花の色は鮮やかになり、大きな町は猥雑な雰囲気で小さな町へいけば通りを歩く私たちに視線が向けられていた。途中下車した街の雰囲気はそれぞれ少しずつ違ったが、それでもどこか似ていた。すべての輪郭を溶かしだしてしまいそうな熱気のこもった空気、くっきりした雲影、強烈なにおいのたちこめる薄暗い市場と昼夜かまわず湯気をあげ続けている屋台の群れ。
 最初は数軒の宿を回り歩いて値段を確かめ、部屋を見せてもらって値段とつりあうか確かめていた私たちだったが、次第にそんなこともしなくなった。宿のマークが見え、安ければすぐさまチェック・インした。部屋のコンクリがひびわれていようがシャワーの水がちょろちょろとしかでまいが、巨大なゴキブリが部屋の隅で交尾していようが舌打ち一つですませてしまうようになった。ベッドのマットレスが汚れていればバスタオルを敷き、部屋が耐え難いほど暗ければ外をうろつき、何かしら対処して平気な顔をするようになった。それは慣れたのではなかった。安宿の汚さや這う虫や不便なシャワーに慣れたのではなく、疲れていたのだ。何か不都合を口にすることもできないほど疲れていた。
 夜になると私たちは連れたって町を歩いた。どんなに小さな町でも夜は活気に満ちていた。屋台に吊るされた電球の、そのはじけるような明かりが、無造作にならべられたありとあらゆる食材、黒く飛び出たカニの目玉やくくられた鶏の足や、何か言いたげに開く雷魚の口と几帳面に並んだ小さな歯なんかをグロテスクに照らし出していた。その夜、何を食べようか見定めるためにではなく、その活気の中に沈みこむために光の合間を縫って歩いていた。店の片隅の、かろうじて屋台の明かりが届く位置で向き合って、見慣れない料理を頬張り、私たちは次第に言葉を交わさなくなっていた。かといって険悪に黙り込んでいるわけでもなかった。言葉を交わさないというのはつまり、驚くことにも、また目にしたものを言葉にすることにも飽きていたのだ。異国人に興味のある陽気なだれかが私たちのテーブルに近づき、茶色い酒をすすめながら片言の英語であれこれと訊いてくれば私たちはいつまでも会話をしつづけ、宿に戻るのは十二時をすぎた時間になった。遠巻きにちらりと見るだけでだれも話しかけてこなければ私たちはずっと二人で、目前に展開される異国の夜の日常を眺めていた。どこの屋台でもテーブルの下を犬がうろついていた。うろつく犬の毛並みがよく太っていれば、その店は繁盛しているようだった。
 排気ガスを吸い舞い上がる埃を浴びながら町を歩き、宿のマークを捜し、目覚めてふたたびデイパックに荷物を押し込んでいると、身体の中に蓄えられた疲れが前触れなく押し寄せて閉口した。ぱんぱんにふくらんだデイパックから、不要なものを取り出しては宿に置いていった。それはヘアブラシであり、日焼け止めクリームであり袖口のほつれたパジャマだったりした。それでも荷物は重かった。疲れが癒えることはなかった。不要なものを捨てた分だけ、同じ大きさの、倍の重さの何かが入り込んでいるように感じた。帰りたいとは思わなかった。ただ何かが噛みあわないのだった。
 彼は同じことを感じているのだろうか、それとも疲れとも汚れとも無縁なのか。なんだか疲れたと口にしてみると、それはまったく違った響きとなり、今日はおいしいものを食って早く眠ろうと、彼からもまったく見当違いの答えが返ってきた。移動の連続に疲れきっているのに、もっと遠くへいきたかった。背負い込んだものがすっからかんに感じられるまで先へ先へ進みたかった。

 海に向けて丸く突き出たかたちに広がる砂浜は、昼間のあいだ閑散としているが日の暮れる六時前後には人でにぎわう。私たちの泊まっているバンガローの経営者家族も、周囲のバンガローの家族たちも、町へ続く一本道の途中で飲食物を売る店の双子の母親もその腕に抱かれた赤ん坊も、垣根の向こうで甘い茶をすする痩せた男たちも、この海岸のはずれに居着いているらしいカナダ人も、みな太陽が沈みこむ前にでてきて、潮の引いた白い砂浜に点々と座り込む。足を投げ出し、かわいた砂をいじりながら言葉を交わし、ずっと前方を見つめている。
 ぽつぽつと砂浜に座る人々の中に彼の姿を見つける。隣に腰をおろす。
 「今日、ジャングルの中歩いた」周囲の砂をかき集め、握りしめ、掌の隙間からそれを落として彼が口を開く。
 「歩けるの、山の中」
 「途中までは人ひとりが通れるくらいの道があるんだけど、五分くらい歩くと、突然道はなくなってあとは草を分けていって進まなきゃならないんだよね、ものすごい急な上り坂。げんなりしてきたんだけど戻るのもしゃくにさわるから、必死で歩いてさ」
 「なんかあった?」
 「ずうっといくじゃん、つまりのぼりきって下りになるとふいに海が見えるの、あれちょっと感動的だったな、いきなりばあって海が広がってるんだよ。それでさ、海に向かって下っていくと山の途中でな、ぽっと小屋があってさ、そのまわりにぼろぼろの、崩れ落ちそうな四、五軒のバンガローがあるわけ、山ん中にだよ。草に埋もれるようにしてさ。あたりにはなんにもないし人の気配もない。下のほうに海がどーんと広がってるだけ。多分だれかがここに小屋建てて、バンガローはじめたんだけど、人がこなくて閉めちゃったんだろうなって思ってさ、小屋のわき通りすぎたら、いるんだよ、じじいとばばあが。小屋に二人ちょこんと座ってたの。その小屋、カフェ&レストランなんて看板までだしてて、おれ見て手招きすんだよ、おれ幻覚見たかと思った」
 「二人は何してんの、そこで」
 「何って、カフェ&レストランだよ、コーラくださいっていったらちゃんと出てきた、ぬるいコーラ。甘いけど。お客さんきますかって訊いたら、こないねえって、英語で答えた」
 「明日いったらその店なくなってるんじゃない」
 「そんな感じ。あんた今日どこいった」
 「どこもいかない。洗濯して、掃除して、海を見てた」
 太陽は水平線のほぼ中央に、吸い込まれるように沈んでいく。私たちは口を閉ざして顔を海面に向ける。強烈な橙色は海面を染め人々の腕や頬や足の先を染める。押しつぶされる直前の水風船のように太陽は輪郭をかえながら海に浸かる。それを見ていると口中に甘い味覚が広がる。私は彼が見た光景を浮かべて眺めてみた。草に埋もれた食堂、ぽつんと座って日がな一日海を見下ろす老夫婦。
 島の人々はだらしない恰好で座りだらしなく言葉を交わしながら、ふくらみきった橙色の水風船がゆっくりと海に飲み込まれ、最後の光が水平線上に一本の色鮮やかな線を描くのを見守っている。この世の終わりを見届けるように。べちゃくちゃと言葉を交わししどけない恰好で砂の上に座り込む彼らの姿は、まるで対極にあるはずなのに礼拝堂を連想させ、私はいつもどこか居心地悪く感じる。彼とともに場違いな場所にまぎれこんだように思えるのだ。
 この島には犬が多い。バンガローの経営者たちが飼っている犬もいるしどこに住んでいるのかわからない犬もいるが、みな一様に首輪をつけず、人に慣れきっているので飼犬と野良の区別がつかない。この狭い島でどんな具合に繁殖したのか、じつにさまざまな色、さまざまな毛並み、さまざまな大きさの犬がいる。犬たちも人と同じように夕暮れ時には海岸にあらわれて、波打ち際をじゃれあいながら走り回る。砂浜に点々と座っていた人々も腰を上げ、のらくらした足取りでその場を離れ、自分たちの生活に戻っていく。背後で蝋燭の火が灯る。バンガローが経営する食堂の、宿泊客がいる小屋の。
 「あれさ、きっともともと人だったんじゃないか」
 海岸から少し奥まったところにある野外食堂に向かいながら、彼が言う。
 「あれって」
 「犬さ。旅行者が旅の途中にここによってさ、おれたちみたいに長居して、そのうち、帰りたくない、帰りたくないって言いながら山にのぼっていってさ、そんでおりてきたときはワンコになってんだ」
 私は笑う。何食べようか、懐中電灯のスイッチをいれて足元を照らし、今日はおれカレーにするわ、彼が答える。いつここをでるか、どの方角を目指すか、そういったことを私たちはいっさい話し合わなくなった。数日後、帰りたくない、帰りたくないと言いながら二人して山にのぼっていくような気もした。おりてきて、犬にかわったおたがいの姿を見て、弱弱しく吠えあうのだ。そうなることを半ば本気で望んでいる自分もいた。

正しい距離

 清水の舞台から飛び降りるつもりで、高校時代におけるほとんどの時間をアルバイトに注ぎ込み金を貯め、単身上京し、いきずりのクラブで会った男とその日のうちに寝て処女を捨て、内定が決まった会社に4月から勤め、部屋も日当たりがいいまあまあのところで落ち着かせ、友達もできた。
 生活、仕事、遊び。すべて上手い具合に、計画通りに、とんとん拍子で進むはずだった。
 ハタチのときから付き合っているというと、たいていの人は驚く。学生時代の友人でさえ、当時から恋人が変わらないことに驚愕する。きっと運命なのだ、と言う人もいる。ものすごい大恋愛をして結婚に至ったと思ってくれる人もいる。二十代のころは、実際、彼は運命の人なんだと思ってた。自分は大恋愛をしていると思っていた。結婚するならこの人としかあり得ない、この人以外の男を好きになる自分が想像できないと、一点の曇りもなく信じていた。
 けれど結局のところ、私も彼も、ただ怠慢だっただけなんじゃないかと思うようになった。関係を解消するのが面倒で、ほかに恋愛相手を捜すのが面倒で、それでいっしょにいただけなんじゃないか。十五年後の結婚、というのがその証のように思える。別れるのも面倒だったかわりに、結婚に移行するのも面倒だったのだ。
 きっかけは、彼の父が脳梗塞で倒れたことだった。死んでしまう前に父を安心させてほしいと彼の母が泣きついてきて、それで、親族を集めて食事会をし、友人をあつめて小さなパーティをし、区役所に届けを出した。
 恋愛も結婚も同じだと思っていた。私にとくべつ結婚願望はなかったが、この先、この男以外の男と恋愛することなどないように思っていたから、義母のすすめた結婚に異議はなかったし、それで何もかわるはずはないと思っていた。
 しかし、変わったのだ。
 交際していた十五年と、夫婦になった三年とでは、あきらかに何かが変わってしまった。怠慢な私たちだが、努力はしようとしただろう。だが、わかっていれば修正できた。
 彼の父は死ななかった。左半身に少し麻痺が残り、自宅でリハビリを続け現在ではふつうに生活できるようになったという。ときおり彼の姉は、電話をかけてきて自分が介護を任されていたことの不満を愚痴ったが、それを聞くのはいつも彼であって、私たちがうまくいかなくなったこととまったく関係がない。私の父母も、新居や家事や子づくりについて口を出すようになったが、それだって、私たちの生活に何か影響を与えたとは思えない。
 変わったことがらは、たぶん、そういう外的要因ではなかったのではないか。私たちの中身が、おそらく結婚というものに向かなかったのではないか。私はそう思うのだ。
 三年のあいだにいろんなことはあった。階下にはどう見てもヤンキー上がりの若夫婦が住んでいたが、足音がうるさい、洗濯機の音がうるさいと、幾度も怒鳴り込まれたりした。一戸建て購入を考えて、休みになるたび物件を見て歩いたりしたが、夫婦が先に引っ越していき、こちらが移る機会を逃してしまった。子づくりに励んでみたり、子どもができないのが不思議で、検査にいくかいかないかで喧嘩したりもした。空梅雨のあとゴキブリが大発生して、大騒ぎしてホウ酸団子を仕掛けたこともあった。共通の友人を呼んで、夫婦らしくもてなしてみたこともあった。正月どちらの実家に泊まるかで、つまらない口論をしたりもした。
 ふつうの生活だった。けれど私には、その三年に起こったひとつひとつ、どんなにささやかなことも含めたすべてのできごとが、私たちの関係を少しずつ磨耗していったように思えてならない。ひとつひとつ、たとえばヤンキーが、たとえばゴキブリが、たとえば正月が、私たちに正面切って問うのだ、おまえたちはちゃんと夫婦になったのか否かと。この生活に基づくものは愛なのか、それとも違う何かなのかと。夫しか知らないのだから、その答えが出るはずもなかった。
 今年の夏の日、ちょうど私たちの住む町では七夕祭りが行われていて、いつも眠ったような商店街が珍しく活気づいていた。店は歩道に出店を出し、焼き鳥や綿菓子やビールを売り、子どもたちの背負う神輿が練り歩き、設置されたスピーカーから安っぽい祭囃子が流れていた。私と夫は、祭りを見るためではなく、食材を買うために部屋を出てきたのだった。いつもはひとりでいく買いものに夫がついてきたのは、米だの醤油だの重いものを買う必要があったからだ。
 人の多さにうんざりしながらスーパーに向かい、分担して荷物を持ち、商店街を横切ったのだが、図らずも女神輿にかち合ってしまい、見物客でごった返したなかを突き進まなければならなかった。荷物が重いせいで、気が遠くなるくらい暑いせいで、陽気な混雑のせいで、私も彼もいらいらしていた。むっつりと黙りこんだまま、人の隙間を縫って前に進もうとしていた。
 そのとき、私はぽっかりと気付いてしまった。前を歩く男をこれっぽっちも愛していないということに。
 十年前、まだ三十になっていなかったころ、やっぱりこうして祭りに出くわしたことがあった。私と彼は映画を見に行こうとしていたのだが、そのにぎやかさにつられるように浮き足だって、出店でビールだの串焼きだのを買い、商店街をなぜか進むサンバ軍団のあとを、ほかの人々とともにくっついて歩いたのだった。あのとき、町は光を放って生き生きとして見えた。肉を焼く屋台も、泣き喚く子どもも、くるくるまわる綿菓子も、隅で酔いつぶれている親父の姿も、見慣れた商店街の隅々まで、光を反射しているように見えた。それが今は、行列も、祭囃子も、子どもも、神輿も、まるで色彩を欠いた、バカバカしいほど無意味な、通行の妨げにしか見えないのだ。
 重い荷物を提げて先を急ぐ私たちは、まるで、社員寮の煮炊き係りみたいだった。そこには愛なんてなく、生活すらなく、ただ義務ばかりがある。私たちが今まわしているものは、いったいなんなのか。
 神輿を見るために駆けてきた中年女性の軍団に押されるようにして彼はよろけ、そのまま派手に転んだ。背後に有刺鉄線で囲われた空き地があり、彼の手にしていたスーパーの袋は棘にひっかかって切れ、中身がばらばらとアスファルトに散った。米袋まで破けてしまったらしく、白い米粒がざあざあとあふれ出た。両手に荷物を提げた私は彼を助け起こすこともせず、漏れ出た米をただ見つめていた。
 その夜、彼は性交を求めてきた。きっと彼も、祭りのなかを歩きながら、私と同じことを思ったのだろうと思った。不安になったのだろうと。どのくらいぶりだか思い出すこともできないセックスは、快感ではなく驚きを私に与えた。怠慢な私が、今になって愛なんてすさまじい言葉を持ち出したことに私は驚いていた。もっと驚くべきことに、私はそれを切望しているのだった。
 もう一緒に暮らさないと、事を終えたあとで私は言った。床の上に脱ぎ捨てたボクサーパンツを見つめ、そうだなあ、と彼はぼんやりした声を出し、おれたちさあ、結婚してなかったらうまくいったと思わないかと、背を丸め煙草に火をつけて言った。同じことを考えていたと私が答えると、不思議なものだよなあと、しみじみ言って顎を撫でさすっていた。
 ほしいときにはまったくできなかった子どもが、その夜の性交でできたと知ったのはつい数週間前だ。とはいえ産婦人科にはいっていない。判定剤で三回試したが、全部陽性反応が出た。三つ目の窓に、陽性を示す青い線を見たとき、面倒なことになったというのが六割、ひょっとして起死回生のチャンスかというのが三割、残りの一割は空洞みたいに空っぽだった。
 それでも、その三割に賭けたのだ。あのね、子どもができたみたいよ、とその日遅く帰ってきた彼に私は言った。十八年前に戻れるんじゃないかという期待があった。うそ、やったじゃん、と彼は言い、万歳と芝居まじりに二人で喜べるのではないかと思っていた。けれど彼は言葉に詰まったのだった。困惑がはっきり見てとれた。彼はすぐに顔を上げ、すごいな、と言ったけれど、一瞬の沈黙は私に流れ出た米を思い出させた。ざあざあと音をたてながら散らばっていくあの白い米粒を。
06 2025/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
(12/10)
(08/13)
ANN
(05/19)
(04/04)
(01/05)
(01/03)
(12/24)
(10/20)
(10/09)
(08/21)
<<前のページ  | HOME |  次のページ>>
Copyright ©  -- ALTEREGO --  All Rights Reserved
Designed by CriCri / Photo by Melonenmann / Powered by [PR]
/ 忍者ブログ