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「おまえらしい季節だ」と言われたことがある。興味ぶかいあてつけのような祝い文句にかぶりをふると、「忘れたころに冬ってもんがこの先にあるって脅す感じな。チョー性格ワルそうじゃね」と弁の立つ口で言う。
ずいぶんな言い草に、眉間に川の字をつくりながら相手を置いてさっさと先を歩く。「褒めてるつもりなんだけど」と悪びれた態度で付け足されてもシカトし、背中にため息が続くのを無視しながらずんずん歩く。
それがおもしろいことに、今になって、今度は私が冬の気配に気づくのである。改札前の人いきれ、七日目の蝉の鳴き声、祭ちょうちん、それらがいつの間にかなりを潜めどこか遠くへ消えてしまっている。青葉の変色、風の透明さ、行く先を求めるトンボ、早朝の吐息の白、それらが次の季節を予告する。それらの目立たない存在や仕事そのものが私のようだ、と言った言葉に唇を尖らせていた私は、しかし今になってニヤニヤしながら街を見渡しているのである。
春のような出会いと別れ、始まりと終わりという大局を迎えるにふさわしい季節ではない。夏のようなエネルギッシュに満ちあふれたイベントラッシュもなければ、冬のようなインパクトあるセンチな思い出を作る時間もない。秋は地味なのだ。地味かつ短いのである。